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消えゆく音、終わらない音楽――『Ryuichi Sakamoto | Opus』の公開に寄せて②

楽曲解説(続)

引き続き、楽曲の成り立ちについて考察していこう。

  1. Lack of Love

  2. BB

  3. Andata

  4. Solitude

  5. for Johann

  6. Aubade 2020

  7. Ichimei - small happiness

  8. Mizu no Naka no Bagatelle

  9. Bibo no Aozora

  10. Aqua

  11. Tong Poo

  12. The Wuthering Heights

  13. 20220302 - sarabande

  14. The Sheltering Sky

  15. 20180219(w / prepared piano)

  16. The Last Emperor

  17. Trioon

  18. Happy End

  19. Merry Christmas, Mr. Lawrence

  20. Opus - ending

「Aubabe 2020」
2009年に三ツ矢サイダーのCMのために書かれた音楽を2020年にアレンジした楽曲。

坂本龍一とCM音楽のつながりは強い。ソロデビュー作『千のナイフ』のリリースやYMOの結成以前に、この分野でのキャリアをスタートさせ、2021年にはコンタクトレンズ『CREO』のために楽曲を書き下ろすなど、晩年まで膨大な作品を生み出してきた。

興味深いのは、これらの作品をCM用の音楽として割り切るのではなく、自分自身のための楽曲として、アルバムやコンサートのレパートリーに取り入れていることだ。本作もその一つである。

ところで、曲名の「Aubade」というフランス語の単語は、「朝の歌」と訳されることが多いが、元々は「夜明け」を意味する「Aube」から派生した言葉である。

空監督が語るように、時間というテーマにもとづき、一日の光の変化が照明によって表現されているという。

その「時間」というテーマに呼応して、照明の吉本有輝子さんと照明設計を考えるときに「1日の光の変化」というコンセプトを思いつきました。そして、曲ごとに「薄暮の光の感じ」「午後の低い日差し」「月のように見えるランプ」などと照明を考えたのです。そのことを坂本に伝えたら喜んでくれたようで、「この曲は朝っぽいかも。これは夜」と言いながら、プレイリストの曲順を入れ替えたりしていました。

CINRA「空音央が語る、映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』。坂本龍一の「最初で最後のコンサート映画」の裏側」

実際に「Aubade 2000」が演奏されたことによって、暗い夜が明けて朝が訪れたかのように、ほの明るい照明とともに、これまでの演奏で漂っていた重い雰囲気が一変する。

「Ichimei - small happiness」
三池崇史監督『一命』(2011年)のテーマ。

三池は坂本が、『一命』の音楽を手がけるようになった経緯について、こう語っている。

僕らの時代は、ラジオ文化が主で、何をする時もラジオを聴いていて、そのラジオの中で坂本さんが、映画音楽で世界で衝撃や話題を生んでいるのを知っていました。その時、ちょうど僕は、まだ助監督として仕事をしていたのですが、自分たちのやってることをずっとやり続けたことによって、プロデューサーのジェレミー・トーマスに出会い、坂本さんにも出会えました。そうして、僕は『一命』を作ることになり、坂本さんが音楽を作ってくれることになったんです。

映画『一命』、三池崇史監督&坂本龍一インタビュー

大島渚監督『戦場のメリークリスマス』や、ベルナルド・ベルトルッチ監督『ラストエンペラー』、『シェルタリング・スカイ』、『リトルブッダ』をプロデュースした、ジェレミー・トーマスと知り合ったことで、坂本と仕事をすることになったというのである。
坂本とジェレミーが旧知の仲であることを考えれば、自然の成り行きともいえるだろう。

なおジェレミーは、今回の映画でエグゼクティブ・プロデューサーを務めていることから、この曲はジェレミーに捧げた演奏であったとも考えられよう。

「Mizu no Naka no Bagatelle」
先に演奏された「Aubabe 2020」と同じように、元々はCMのために制作された楽曲である。原曲は1983年の発表された『サントリー・ウィスキー・オールド』のCM曲であり、『WORKS I-CM』(2002年)にシンセサイザーとピアノのバージョンが収録されている。

このほかにも、同年に発表された『サントリー・ウィスキー・オールド』のCM曲としては、『Dear Liz』があり、そのストリングス・バージョンが『CM/TV』(2002年)に収録されている。

「Mizu no Naka no Bagatelle」は、おもにライブ会場で販売された『ryuichi sakamoto playing the piano 2009_out of noise -tour book CD』(2009年)NYで録音された『04』のアウトテイクとして収録されている。

『04』には、「Yamazaki 2002」、「Tamago 2004」、「Dear Liz」などの古いCM提供曲が、新しいピアノアレンジで録音されており、「Mizu no Naka no Bagatelle」もそのうちの一曲であったが、結果として収録されなかったものと考えられる。オリジナルアルバムには収録されなかったものの、その後は、ピアノソロコンサートのレパートリーに加えられて、この映画にも収録されることになった。

このように坂本は、過去のCM曲をコンサートのレパートリーに加えるということが珍しくない。新曲であると思っていた曲が、実は30年以上前に発表されていたCM曲であったことを、後になって知るというパターンも多い。

たとえCMのために書かれた古い曲であっても、コンテクストや時代性などが消え去り、坂本固有の美しい響きに還元される――坂本のピアノにはそのような力があるように思う。

ここで坂本のCM音楽ついて省察してみよう。

坂本は数多くのCM音楽を残しているが、最大の特徴は、本人がCMのキャラクターを務めて、音楽も担当しているという点である。YMOデビュー以前よりCM音楽を手掛け、1999年には、本人も出演した『リゲインEB錠』の提供曲『Enegy Flow』を収録した『ウラBTTB』(1999年)がミリオンセラーの大ヒットを記録。このように坂本のCM音楽は映画音楽と同様に、全キャリアを通じて、創作活動の柱となっている。

まずは、坂本とCM音楽との関係を振り返ろう。CM音楽のデビュー作となったのは、東京藝術大学の大学院在籍していた1977年に『丸井のメガネ』のために制作された楽曲である。この曲は『CM/TV』(2002年)に収録されており、ライナーノーツで坂本は、次のようにコメントしている。

CM制作会社の大森さんという方から仕事をいただき、その後も長く関係が続きます。大森さんは大滝詠一さんや山下達郎さんなどにもたくさんCMを依頼した有名な方です。

『CM/TV』ライナーノーツ

CM制作会社「ON・アソシエイツ」代表の大森昭男は坂本との出会いについて、次のように述懐している。

最初は仕事ということじゃなかったと思いますね。知り合いを通じてお会いしたんじゃないでしょうか。青山の事務所に現れてくれたんですよ。その時に、詩人の富岡多恵子さんとレコードを作ったとかいう話をされて。私はぐっと惹かれたんですね。

田家秀樹『みんなCM音楽を歌っていた : 大森昭男ともうひとつのJ-POP』、P334-P335

CM制作が、坂本のそれ以外の音楽活動に与えた影響は大きい。

「ビハインド・ザ・マスク」はもともと、SEIKOの企業CM(引用者注記:「SEIKO QUARTZ])の為に作られた。ロック的なコード進行を使いながら、7thや9thなどのテンションの使い方、ミニマル的なバックグランドなどが合わさって、とても気に入った曲だった。

『コンパクトYMO』、P111

坂本がそう語るように、YMOの「BEHIND THE MASK」も原曲はCMのための音楽だったのである。

この映画で坂本は、「Aubabe 2020」と「Mizu no Naka no Bagatelle」というCMを原曲とした2曲を演奏している。もしかしたら、もともとCMのための楽曲であったことは、坂本にとってさほど重要ではなかったのではないだろうか。

そのことを示唆するようなコメントを残している。

今回このCDを作るために改めて聞くまでこの曲のことを忘れていたんですが、非常にいい曲ですね(笑)。(中略)自分のソロアルバムには全くと言っていいほど反映されていない、ジョビンなどの影響がこのころから見られますね。今度是非演奏してみたい。

『CM/TV』ライナーノーツ

坂本は『CM/TV』に収録された、1979年発表の「PARCO-フェイ・ダナウェイ『卵』」の良さに気づいて、演奏したいとコメントしているのである。

実際にピアノソロアルバム『/04』(2004年)に、アレンジされたものが「Tamago 2004」として収録されている。またアントニオ・カルロス・ジョビンの影響が、当時のソロアルバムではなく、自分でも意識せずに、CM曲に反映されていたというコメントも非常に興味深い。

坂本は『Sweet Revenge』(1994年)の頃より、ボサノバの雰囲気を作品に取り入れているが、ジョビンの影響について明言するようなったのは、次作『Smoochy』(1995年)であると考えられる。

特に、不幸にして亡くなったアントニオ・カルロス・ジョビンの影響…彼の作品は60年代初期のものが有名ですが、それよりも後期の、少しメランコリックでロマンティックな要素が強く出たころの作品にすごく影響を受けているんです。ジョビンのようになりたい、というかジョビンのように曲を作りたいですね。

サウンド&レコーディング・マガジン(1995年11月号)、P29

この発言は1995年のものであるが、それよりも早い1979年時点で無意識にジョビンの影響が作品に反映されていたことを、坂本は後年になって発見するのである。

これを踏まえると、坂本の音楽を構成している様々な要素は、キャリアの初期から潜在的に存在しており、そのときの状況に応じて、そのうちの何かの要素が顕在化していると捉えることができる。しかし、前出の発言にみられるように、本人はそのことに無自覚であったようだ。

「Bibo no Aozora」
原曲は『Smoochy』(1995年)に収録された「美貌の青空」。坂本がボーカルを務めている。

ジョビンの曲だって、あんなに洗練の極致をいっていながらポップでしょう。それで「ああ、これでいいんだ」と答えをもらって、「スムーチー」で最初に生まれたのがこの曲なんです。

『US』ライナーノーツ

「ジョビンのようになりたい、というかジョビンのように曲を作りたいですね。」とコメント(「Mizu no Naka no Bagatelle」の解説で引用)していたとおり、音楽家としてのジョビンのスタンスに影響を強く受けて、作曲されたのが「美貌の青空」である。

この曲は『1996』(1996年)ではピアノトリオにアレンジされ、その後もピアノソロなどのコンサートでは必ずと言っていいほど演奏されており、坂本の音楽のなかでも中核的をなす楽曲といっていいだろう。

【続く】

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