「his」を観た

「his」という映画を観た。
以下はいつもどおり内容に触れるので少し間を開けて。








同性愛者の男性ふたりを主人公にした物語。世の中の傍らで愛し合っていた2人が、世間を理由にして別れ、数年経って再会してからのお話。

好きな俳優が出ていることを理由に観始めたのだけれど、良いなぁと思う映画は大抵今泉力哉さんが監督をつとめている。役者を選ぶ力がすごいなぁといつも思います。

幸せで、でも苦しくて、やっぱり幸せででも苦しい。そういうひんやりした、でも生ぬるいような現実を懇懇と描いていた。

愛した人を忘れるため田舎でのんびり暮らしていた主人公の元に、突然愛した人がふらりと戻ってくる。それも、娘を連れて。
当然の戸惑いや怒りに似た気持ちのなか暮らしが始まる。それでも男2人と娘、まだまだ奇妙と受け取られる暮らしのなかで噂が立ち、決定的な証言ゆえに2人はまた生き苦しさを感じることになる。

一時停止してまでこれを書いているのだけど、私が当たり前のように享受している自由は、誰かが選んで勝ち取るほど価値のあるものだという事実に苦しくなる。当たり前が当たり前じゃないって皆言葉では理解しているけれど、特に私なんかは実態をまだまだ伴っていない薄い言葉として用いている気がする。私には何が出来るだろうか、と思った。

彼らが生き苦しさを感じたときに、そっと、でも確かに寄り添ってくれる人が居たこと、受け入れてくれる人が居たこと、その温かさが現実のどこかにもあってほしいと切に思った。(これが現実であれば良いと思ってしまうことこそがフィクションである。)


ごたごたした問題も最終的にまるくおさまるところがやっぱりフィクションなのかもしれないけれど、やっぱりそこは映画だから、「こうあってほしいよね」を描くのはある意味で正攻法だと思いもした。


私は受け入れます、理解しています、なんて声明を出すことこそがナンセンスな気がして、この手の話には何も言えなくなってしまう。ただ、「冗談でも言っちゃダメですよ笑」を笑って流してやりすごすとか、「そんなのありえないっすよ」って自分で言いながら傷つくとか、そういう些細な棘がありふれてしまうのは嫌だと思った。自分もまた知らないうちに誰かの棘になっていることを怖く思いもしました。


久しぶりに観れた映画がこれでよかった。

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