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お昼休み

朝ご飯を食べてから仕事に向かって、実際に仕事をしてからお昼休憩に入るまでの間って短すぎると思う。朝ご飯を食べすぎなだけかもしれないけれど。全然おなかだって空かないし、でも仕方なくお昼休憩の時間にお昼ご飯を食べてから、お昼以降の仕事をして夕方に退勤するまでの時間は、午前中に比べて長すぎてダメ。どっちもバランスが悪い。
お昼休憩に入るといつもそう思う。今日も昨夜の残り物と白米を適当に詰め込んだお弁当を開く。

ゆっくりと、静かに冷めていった熱を取り戻すことは出来ない。
台数の少ない共用電子レンジの順番待ちをしながら、手のひらに収まる冷たさに対してそう思う。私たちの関係だってそうだ。冷たいままじゃおいしくないのに、惰性で咀嚼して、なんとなく習慣で呑み込めてしまうようなもの。ピーと音がして列が進む。私は今日もお弁当を温める。オレンジ色に照らされながら回るお弁当をぼんやりと見つめる。そこにあるだけで、真ん中で照らされるお弁当が羨ましいと言えば羨ましいし、どうでもいいと言えばどうでもよかった。

残り物の揚げ茄子はなんだかべたべたしすぎていたし、適当に詰めたブロッコリーは温めが足りなくてうまく噛み切れない。感じる些細なずれに目を閉じて、やりすごしていれば日々は流れると知ってしまった。ふと机に置いた携帯の画面が光って、「おつかれ」の文字が見える。かれこれ1か月ほど、挨拶以外の会話が弾まない。同僚や女友達にそんな愚痴をこぼせば「別れちゃえば?」「潮時だよ」のオンパレードなのが分かっているから、なんとなく秘密を抱えるような気持ちで過ごしている。

付き合いは長いほうだと思う。大学生特有の浮ついた雰囲気と足取りではじまったそれらを明確には覚えていないけれど、イベントを過ごす相手といえば真っ先に思い出すのは彼の顔だし、互いの誕生日もそれなりに祝っている。好意が無いかと言われればゼロだと断言できないし、あるかと言われれば自信をもってあるとも言えない。「そこにいる」ことで惰性的に続いてきた関係ともいえる。世間ではそれを「情」ともいうのだろうけど、そうやって積み上げてきた空気感とか、分かりあってきた互いのことを簡単に壊すのも捨てるのも忍びなくて、今日も明日も、何事もなかったかのようにやり過ごすのだろうと思う。

もっとちゃんと丁寧に水をやって真剣に向き合って花を咲かせようとしないとだめなのだろうか。花を咲かせることが正解なのだろうか。冷たかったこのお弁当みたいに、ボタンを押すだけで簡単に事がまわって、再び温まって、それだけでちょっと安心できるような、そんなかんじで私は大丈夫になれるのに。

「おつかれ」と送信して、相手が返信を打ち込んでいる様子がうかがえたので画面を閉じた。めんどくさいな、色々。でもめんどくさいことを放置していたら腐っていって、もっと面倒なことになるのかな、と思った。腐ったらもう手遅れだけど、温めなおす手間ぐらい、それだけ頑張ればうまくいくなら。

味も触感も微妙なお弁当をきれいにして蓋を閉じる。
午後の仕事を終えてから、ちゃんと連絡しようと思った。

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