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慣れの果て

電気が止まったのは8月半ばのことだった。
日記を書く習慣もないし、時系列順に記憶を遡るのも苦手だから、細かい日付はちっとも覚えていない。ただ、東電に電話している間汗が噴き出していたから、夏だったということはこの先もきっと忘れないだろう。

電気が止まる時、ファンファーレなど鳴らしてくれればわかりやすいのだが、そういうことはなかった。ふっとエアコンが止まり、充電器に差しっぱなしのスマホが勝手にチャージをやめたから気づいた。おかしい。電気が止まっている。
その瞬間私の頭に浮かんだのは、きちんと払っていたのに、ではない。

「この間滞納分、9ヶ月分も払ったのに」
だった。

そう、私はつい数ヶ月前、二週間ぶりに開けたポストからカラフルなハガキが大量に噴き出すというハリーポッター第一巻のような経験をしたばかりだった。
曰く「あなた9ヶ月間電気料金を払っていません。二週間以内に全額払わないと契約を打ち切りますよ」という内容だった。
私は慌てて有り金を集め、コンビニに走った。給料前にまとまった金が残っているはずもなく、PayPayの力も借りてなんとか全額納めたのだ。
だから、油断していた。私の中で電気料金は過去のインシデントと化していた。

慌てて問い合わせる。突き止めたところによると、ポストを開くのが少し遅かったらしい。詳しい説明は忘れたが、まとめてやってきたホグワーツ改め東電のはがきの束のうち、期限の早いものは既に失効していたらしい。そこで私と電力会社との契約は終了しており、その後数か月電気が使えていたのはいわばお情けだったらしい。最終的に電力の供給を停止する日を通達したはがきが来ていませんか?と言われてゴミ箱を漁ると、何の変哲もありませんという顔の白いはがきが未開封で捨てられていた。そこに、書いてあったのである。この日電力をとめますからね、と。

私は犬を飼っている。

自分ひとりが熱中症になるくらい仕方がないが、犬に何かあっては申し訳ない。飼い主の責任として一刻も早く電力を復活させねばならない。私は東電の担当者に2時間たらいまわしにされ、5人目のオペレーターとめでたく再契約を結ぶことができた。冷風を吹きだしたエアコンに心底ほっとしたのは言うまでもない。
電力を取り戻した部屋で二時間遅れの仕事に戻る。ノートパソコンでチャット対応はできたが、デスクトップの方が動かないと、作りかけの資料や図表は編集できないのである。普通の汗と冷や汗とをまとめてぬぐいながら、なんだかこれはまずいなと思った。

底辺の生活が慢性化している。

たとえば、ポストって、なんだか開けたくない。開いたとて入っているのは請求書とかばかりで、わざわざダイアルを回して中を見ても気分が悪くなるだけなのだ。そもそも電力料金を9か月滞納したのも、請求書を開けずに捨てていたからだ。どうしてそんな馬鹿なことが起こるのかというと、私はてっきり、水道代と同じように自動引き落としにしたと信じていたのである。だから、毎月来る封筒は明細書だと思って開けずに捨てていた。そういう経緯があった。
冷静に考えて、責任ある社会人なら毎日ポストを確認して、オンスケで納税と諸々の支払いをすべきである。しかし私はというと、そういう丁寧な暮らし――以前の、人間としてのまともな暮らしを失って久しかった。

私の生活はこうだ。
朝起きて、無理やりパソコンの前に座る。絶望的な気持ちを抑え込んでなんとか仕事のチャットを開いて、最低限の仕事をする。時折指先が痺れるほどの胸の痛みと不安発作がやってくるので、頓服を飲んでやり過ごす。社会人になりたての当時は毎食自炊をしてスムージーなんて作っていたが、今ではコンビニに行く気力さえ失って、おなかがすいたタイミングで適当なものを詰め込んでいた。そして時々悲しくなって爆食に走る。在宅ワークで一歩も動かずそんな生活をしていたら何が起こるかは明白だろう。私はこの1年で10キロ太り、そしてその事実がまた私の精神をむしばんでいた。デブはデブに厳しいとはよく言うが、太った自分と向き合えずに生活も改善できないまま、己の容姿を呪って、余計に捨て鉢の生活を送っていた。
唯一まともに保てていたのは犬の食事だ。愛犬の食べ物だけはしっかり容量を守って毎食管理し続けたが、その横で自分は食べ過ぎたり嘔吐したり繰り返している。暴飲暴食をしたショックからトイレで戻している私を、クリーム色のポメラニアンがじっと見つめる。見ないでくれ、と思いながら、水を飲んでのどを潤す。

そして、仕事に戻る。やりがいもモチベーションもない仕事をぼんやり眺める。ツイッターでは鷹匠だとか宮大工だとか名乗っているが、それはもちろん嘘で、実際の私は外資系の総合コンサルに務めている。(コンサルタントというと「胡散臭い」か「ブラックそう」というイメージのどちらかが先行しそうだが、面倒くさいので弁明は割愛する。)
さて、なぜ嫌々仕事を明かしたかというと、この業界の仕事の仕方が特殊だからだ。今からその説明をしないと、ちょっと話が通じなくなる。クソ、鷹匠という設定でいたかったのに。
さて、特殊というのはなんなのか。コンサルの仕事は基本、プロジェクト単位で回っているという点だ。例えば、同じ部署の人間と一緒に仕事をするということはない。あくまでもあるひとつのプロジェクトに集められた様々なレベル・担当分野の人間が期間中鬼のように仕事をして、終わったらパッと解散するのが、我々の働き方だ。当然、新人の一兵卒である私もプロジェクトに所属しているのだが、このプロジェクトの要員がひとりだったのが問題だ。赤ちゃんも同然のころからクライアントの元に単身でぶん投げられ、ひとりで依頼をこなしていく。どんなガバガバの要件で仕事を振られようが、感じの悪いばばあにスコープ外の仕事を押し付けられようと、ひとり。もちろん監督をする先輩はいたが、その人も所詮は別部署の別タスクに従事する人である。彼の分の給料をいただいているわけではないから、基本的に単価のやすい新人である自分がそれなりに何とかしなければならない。
プロジェクトにアサインされて一年、私はすっかりこの形に慣れていた。プレッシャーとかストレスとか、感じていたのだろうか。もはや感覚が麻痺して、やれと言われたのだからできなくてはという根性論で薬を飲みながら最低限の対応でしのいでいた。

仕事が終わると、買い込んできた本に背を向け、IMDBにたまった見たい映画リストに目をつむり、ただただ万年床で横になる。YouTubeを流しながら睡眠薬を飲んで寝る。おわり。そして朝が来る。すごく嫌だな、と思いながら、パソコンをつける。そういう暮らしだった。


「もうそれはさ、典型的な鬱だよね」

不健康仲間の友人にそういわれた。経験者の言葉は確かだ。ただ、そんなことはとうに知っていたのだ。
自分が鬱であることは知っている。定期通院して、薬も飲んでいるからだ。
ついでに生活のひどさの言い訳になるかとおもい付け加えておくと、ADHDの治療薬も飲んでいる。医者のお墨付きだ。
ただ、私のメンタルが崖っぷちでスキップをしていようと、誰かが優しくしてくれるわけではない。私の代わりにポストを開けて請求書を払ってくれるわけでも、家賃と、火の車になっているクレジットカードの支払いと、犬のローンと、それから、あとなんだっけ。とにかく、一人暮らししていけるくらいの給料はもらっているはずなのに、毎月ものすごい赤字をたたき出している私の生活を助けてくれるわけではない。大人だから。それも、家族と離縁しているタイプの。

なんとか毎日が進んでいくから、それに慣れていた。一日が全く楽しくないことも、突然母親から連絡が来て人ごみの中で動けなくなることも、仕事のことを考えるだけで憂鬱と不安がせりあがってきて気持ち悪くなってしまうことも、かつてあんなに活動的であった自分が、文字のひとつも絵の一枚も書けずに横になっているしかないことも。大人になるってそういうことなんだなあと、自分に慣れを強要していた。

異変は、休暇のあとにやってきた。
入社してはじめてとった長期休暇だった。私はコロナで3年あっていなかった恋人に会いに、イギリスに行っていた。そこで過ごした1週間、仕事もなくただ遊びの予定だけをつんで、誰かに優しくされた1週間が終わったあたりで、私の体が限界を叫びだした。

目を動かすだけでざざっと揺れるようなめまいが走る。頭痛、嘔吐感。まっすぐ前を見ることができない。頭を動かすと視界が壊れかけのテレビのようにおかしなことになる。とにかく気持ちがわるい。
生活と仕事に差し障る異変だった。病院嫌いともいっていられず近所のクリニックを受診し、なんやかんやあって、自律神経失調症ということになった。ストレスからくるらしい。
何をいまさら、と驚いたのを覚えている。仕事が苦痛でしかないのも、何の気力もわかないのも、1年来の付き合いじゃないか。何か生活の変化があったわけではない。否、あるとすれば、束の間、久方ぶりに楽しい思いをしたくらいだ。それだけで、ストレスだなんて言われても。

幸い、悪化するたびに鍼治療を受けることで生活はしのげるようになった。ただし、仕事中に悪化した場合はとてもじゃないがモニターを凝視し続けられない。そこで、上司に事情を説明し、フレックス稼働を申請した。しかしそこに突っ込みが入った。果たして、君は働き続けるべきなのか。休職して療養したほうが良いのではないか。かかりつけ医から診断をもらってこい、というのである。

医者には以前から休職しろと言われていたから、結果はすぐに出た。

休職しろといわれても、私の生活は(なぜか)火の車だったから、給与の6割の手当だけでは生活ができない。どうしたものかと思っていたところに、タイミングよく上司から一件の報告がきた。「クライアントからもっとスピードと仕事の精度をあげてくれと言われた」ということらしい。
その時、何かが決壊した。

仕事は嫌いだった。
でも、決して難しい内容だったわけではない。直にやり取りしているクライアントにも、ある程度の信頼はおかれていると思っていた。だからこそやれると思っていた。それが、直接の苦言もなく、管理者である上司に苦情を入れていただなんて。

上司からそれを言われた瞬間、頭が真っ白になった。

役立たずだと思われていた。そしてそれが、自社の人間にバレる。終わりだ、と思った。恥ずかしくて情けなくて、決して厳しい案件だったわけでもないのにろくにこなせていなかったことが申し訳なくて、「ふつうに」生活できていた心がぽきりと折れた。数か月前の内部審査ではきちんと評価されていたのに。クライアントからは及第点をもらえていなかっただなんて。
会社の名誉のために書くと、上司も監督者である先輩も、私を責めたりはしなかった。ずっとひとりで任せきりにして、フォローや指導が足りなかった。今後は必要なケアをするから一緒にやろうと言ってくれた。しかし私にはそれが、落伍者に対してもコンプライアンスが守られたという風にしか聞こえなくて、突然すべてが恐ろしくなってしまっていた。誰かが自分に不満をもっていたこと、その一撃で慣れきった生活は根元から崩れてしまったのである。

私の人生はだいたい、苦しくとも誰も助けてくれないから必死でぎりぎりをぶら下がって生きていくというスタイルで乗り切られてきた。受験も、ゼミ選抜も、心理学部に留学したときも、就活も。いつだって苦しかったが、友人に恵まれてなんとか生き残ってきた。大きな挫折を味わったことはない。心が強かった瞬間などないが、部長や学科の代表もこなしてきた。だから、仕事というフィールドで役立たずの烙印を押された瞬間、何もかもがわからなくなってしまった。

苦しい思いをして頑張ってきたのは、この仕事につくためではなかったはずだ。ただなんとなく、いざ仕事を選ぶときになって安定が欲しくなってしまった。早く家を出たかった。それで、最初に受けた大きい企業に受かってしまったから入っただけだ。後悔していた。本当は何かを生み出す仕事がしたかった。脚本を書くとか、それが無理なら、たとえば広告の仕事とか。とにかく、エンドユーザーに自分の作成したなにかを届けられるような仕事が良かった。コンサルなんて、真逆だ。それでも、この組織の中ですこしでも自分の希望に合う仕事につける日を夢見て、なんとかぶら下がっているつもりだったのに。


落下してはじめて、自分の生活がひどかったことに気づいた。
健康管理をし、当たり前の生活を営んで、ある程度前向きに自分の仕事とキャリアをみつめること。いつの間にかそれは自分の中で「夢物語」になっていて、苦しいのが当たり前だと思っていた。みんなはもっと大変な仕事をしていて、何の能力も資格も知識もない自分は仕事がもらえているだけで御の字なのだから、薬を飲んでぎりぎりでも仕方がないと、本気で信じていた。日曜の夜は誰だって憂鬱になる。そんなもんだろう?

「休職したいです」
上司にそう告げた途端、それが本心であることが自分でもよくわかった。

ここで、よくあるレポ漫画ならいうだろう。
『憑き物が落ちたようだった』とか『気が楽になった』とか。
私の場合はそうはいかなかった。

自分の頭と心がちぐはぐで、「鬱である」という自覚とか、精神疾患諸々と療養の有用性とか、学部で勉強したはずの知識がまったくに無力だったのだ。それらは心には全く通用せず、ひたすらずるをしたような気持になった。実際にめまいで吐き戻していてもなお、仮病で休みをもらうような気持で罪悪感が大きい。ブラック案件にアサインされたわけでもない。普通の人間ならきちんとこなせる仕事をあてがってもらって、結果を出せずに具合が悪いと休みを要求するなんて。

そして、お金はどうするんだ。家賃もカードの支払いも待ってはくれない。それより、引継ぎは?いま抱えているタスクは?

濁流のように不安が押し寄せてきて、それでももう一度浮かんだ「やすみたい」という欲求は消せなくて、混乱して号泣した。
いつものようにやけ食いして、それに焦って嘔吐して、キッチンの床にへたりこんで号泣した。ケージの中から犬が見つめていたのを覚えている。

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