死んでも意味がないので人生観について考えてみた。

 私の今の願いはただ一つだ。

 「話を聞いてほしい」

 ただ、これだけなのに。これができない事で結構生きるのがつらい。
誰も話をきいてくれない。私を理解しようとしない。私なんてどうでもいいんだ。

 こんなことを他人に言ったってめんどくさそうに相槌を打たれるだけ。そして離れていく。昔、同じような漫画の主人公を見たような気がするけれど、まさか私がそうなるなんて思わなかったな。

 悲しい、苦しい、寂しい。もう何年も笑っていない。誰も私を認めてくれない。こうやって犯罪者って生まれるんだろうなと思う。

あまりに生きづらく、もう死にたいと思った。もう無理かもしれないという瞬間が一日のうち何回もある。でも死んでも意味がないよね。何も終わらないのだから。そう考えてどうにかしのいでいる。死ぬって結構勇気いると思うんだ。

 認められるためには結果を出さなければいけない。過程にこだわる必要なんてないんだ

 今までの私は過程にばかりこだわっていたのかもしれない。人がこうだからこうしなければいけないとか、頑張っているんだから誉めてもらえるはずとか。でも結局そこに何も生まれなかったんだよな。人にやさしくしたってうまく利用されて今では周りには誰もいないし。

 人間ってそういうものなのかな。20代で答を出すなんておかしいのは分かっているけれど、答えを持っていなければ生きていけない。自分で生きるためには強靭な精神が必要なのだ。

 人は一人だと思う。友達がいたって家族がいたって、自分を幸せにできるのは自分だけで、自分を大切にできるのは自分だ。味方は自分だけでいいんだ。自分の為だけに動く。人はあくまで使えるものは使う。騙される必要があるなら騙されてあげる。

 不器用だから、人見知りだからと生きづらく生きるのも一つの人生なのかもしれない。でも、損はする。必ず。金持の人間はうらやまれるが、幸福には違いないのである。諦めて、自分を蔑んで認めてしまえばそこで負けなのだ。

 感情的になって何かものを壊したくなる時があった。でも壊して何がある?何が終わって何が始まる?3秒後には壊れた物体の後片付けをしている自分がいた。空しかった。
 悲しくて寂しくて、シュークリームやラーメンを貪り食っている時もあった。でも幸せなのは食べているその何分かだけで、その後は太った体と薄くなった財布だけが残り、悩みは解決しないままむしろ肥大していった。

 感情に任せて自分を傷つけても何も解決しない。むしろ時間を無駄にするだけなんだ。人間の感情はやっかいだなと思う。
 自分はつまらない人間だと思う。自他ともにそう認めている。冷めた人間。相手を思いやらない人間。話の面白くない人間。そのことで悩んでいた。指摘されることもあったからだ。
 でも、今となってはなんてくだらないことで悩んでいたのだろうと思う。だって私あなたのために生きてないんで。なぜお前が気に入らないからって私をかえなきゃならんのだ?何様お前?という話しだ。

 人間を苦しめるのはいつだって感情であると思う。やっかいなものだ。でも、感情の持ち方っていくらでも自分次第で変えられるのかもしれない。

 話しずれるけど、ギブ&テイクの精神唱える人ってめんどくさいですよね。うちの親はその宗派だったから昔から刷り込まれてきたんで、洗脳解くのに時間かかったけど。takeされたことあなた何回あります?私はほぼ0に近い。思えばgiveばかりしてきた人生だったけど、もうそんな人生に疲れた。こんなものはまやかしだ。優等生ぶってる参考書かと思う。他人に期待する精神論。疲れるだけです。やってもらったから何か返さなきゃって、人間関係のもつれのモトでしかない。すんません、私降ります。もう一人でいいので。

 こう羅列して書くと、自分クズだなーと思う。でもしょうがないし別にいい。ひとりだから。

 よし。今日も生きてみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?