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森への買い出し

最近のひそかなマイブームは、うちの裏にある森へ行くことである。森へ行く大きな目的はヤギたちのエサを採るため。森に生える草は木々に覆われて霜にやられにくいのか、まだまだ青々としたものが手に入る。

「庭の草はほとんど枯れているし、もう森へ行くしかないか」

正直、森へ行くことに対して最初からポジティブな感情を抱いていたわけではない。

今年の冬は寒さが厳しく、雪や雨が多い。ヤギが氷点下の寒さをしのぎ健康でいるためには、生の草を十分に与えたい。そう考えたらもう森へ行くしか選択肢がないじゃない、と半ば義務的に「森行き」を考えたのだった。

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自宅を出て少し歩くと森はある。

倒れて腐りかけた竹をつたいながら、ゆっくりと斜面を下る。地面は柔らかく、天然のクッションが心地よい。エサ入れ用に使うコンテナを抱えて、ようやく森での買い出しの時間が始まる。

採る草はだいたい検討がついている。ヤギが好きな草は毎度お決まりだし、人間である自分も最近では植物を見ると「これは美味しそう」とか「これは不味そう」とか、無意識にヤギ思考を展開させることが普通になってしまったから。

意外な収穫だったのは、森の静けさを改めて知ったことだ。

音が少ない場所はとても心が落ち着く。交通の騒音や機械音など人工的な音に晒されている現代人にとって、無音の場所というのは貴重であると思う。

静かなことが気持ち良くて、誰もいない森で空を見上げてみる。背の高い竹に遮られてよく見えなかった。でもその隙間から空の青色が少しだけ見えた。しばらくしてキツツキが木を突いている音色が聞こえてきた。

「キツツキって絵に描いたようなコミカルな動きをするんだよなあ」

森の静けさや生き物の面白さを感じながら、ゆっくりとコンテナに草を集めていく。

「ヤギのエサを採らなきゃ」という義務感から森を訪ねるようになったけれど、結果としてエサ以上のものを森から授かっている気がする。バランスのとれたこの心地良さは一体何が源泉になっているんだろうと不思議でたまらない。

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その人にとって心地よい場所。

なんとなく頭で分かっていても、実際にその「中」へ体を突っ込むことは重要だ。忙しいとか、面倒くさいとか、スケジュールに追われる私たちは言い訳をして「分かっているんだけど、なかなか……」と機会を逃しやすい。

けれども時間は有限で、心地よいと感じる場所へはなるべく強制的にでもたくさん行った方が良いと思った。行くと必ずなにか閃くし、予想を上回るものを得られるから。

これからも森への買い出しは続けていくことになりそうだ。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。