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カメラに愛着をもつこと、それに応えてくれること

モノに魂は宿いるって思いますか?

今日こんなツイートをしました。

今回のお話はカメラに対して書いてますが、人によってはそれがお洋服であったり、靴であったり、料理道具であったり、恋人であったり、究極自分自身であったりすると思います。
なので、カメラの部分をご自身の愛着を持てるもの、持っているものに置き換えて読み進めてもらえたら嬉しいです。

さて写真を撮り始めるといろんな方の作品を目にすることがあって、その中には僕もこんなのを撮れるようになりたいなぁって思う出会いがあります。

まぁそのあとに考えることといえば、その写真家さんが、何のカメラで、レンズで、フィルターで、設定で、場所で・・・撮ったのかを調べて、時には真似させてもらったりする(ここ共感してもらえると嬉しい、ありますよね??)。

だけど、結局同じ写真にならない。
はじめっからそれは分かっているんだけど、似ても似つかない。
それっぽくはなっている気がするんだけど、何かが違う。

その「何か」の正体が、その人自身のカメラへの愛着であり、それに応えてカメラやレンズが景色や人の魅力をその人ならではの写真として引き出してくれているんじゃないかって思ったんです(まぁ非科学的で根拠も何もないよ)。

リアルでは分かりにくいので、僕なりに例えてみると、ときめきメモリアルってあるじゃないですか。あれって好きなキャラクターの好きゲージが溜まっていって、それに合わせて色んなパターンの顔を見せてくれますよね。

そんな感じで、持ち主側の愛着度で実はカメラの性能が100に近づいていくみたいなことがあるんじゃないかって思うとどうだろうか。

何でときメモが例えなのかという点は、我が家で最近話題だからなのでそこは気にしないでください。

結局、逆に分かりづらくなっただけかもしれないけど、モノに魂はあるような気がしたんです。
そして愛着を持っていると、よく手に馴染むというか。

今は色んな情報が溢れていて、それこそさまざまなものに目移りしてしまうと思うんです。
あぁこの機能すごくいいなぁとか。
だけど自分がすでに手にしているカメラをきちんと知ってあげると実はそれに近しい機能があるなんてこともあるんですよね(それも愛着を持つ姿勢の1つ)。

そうして知って使い込んでいくと、自然と写真にも深みというものが出てくるんじゃないかなって信じています。

たくさんのカメラを使うのもいい。
一つのカメラを使い続けるのもいい。

どちらにしても、愛着を持って接することで思いがけないものに出会える気がします。

2019年年始からずっと使い続けている
NikonZ6

このカメラは、一目惚れで選んだ。
モノを選ぶ理由なんてそれくらいのものでいい。

※3/29まで東京高円寺にて個展を開催中です。


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