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写真をしてることって一体なんなのさって

こんばんわ。
岡本 晃です。

広島に帰ってきました。
短い帰省でしたが、久々の家族との時間を堪能してきました。

ここには掲載しませんが、これまでの帰省とは違ってある事を意識的にしてました。

それは、家族の写真を撮る事です。

ふと思った時に、家族の写真が全然無い事に気づいたんです。
決まったタイミングでの集合写真的なのは、あるんですけど僕が好きな日常的な写真が全然なくて。

父、母、妹、弟。。

何で無いんだろうって思って自問自答した。

1つは身近な存在すぎてわざわざ撮ろうって感覚にならないこと。
そしてもう1つは、またねがあるからなんだと思ったのです。

で、そんな感覚の僕がある時、こんなにも大切な存在の人たちを撮らないのっておかしくない自分って思い、今回は意識的に撮ってみました。

台所で料理をする母。
真面目そうにパソコンで調べ物をしてるかと思ったら趣味のゴルフをみてる父。
いつまでもパジャマで雑魚寝している妹など。。。

別になんでもないんですけど、いつか何か会った時に残しておきたいって思って撮りました。

写真をする事には、人それぞれの目的があるし、それで良いはず。

うまくなってお金稼いで生計立てたい人。

とりあえずsnsで有名になってフォロワーたくさん欲しい人。

恋人や友達との自撮りを撮りたい人。

建築やインテリアのおしゃれな写真を撮りたい人。。。

もっと目的はたくさんある。

だから、写真に上手い下手って簡単に言ってはいけないんだと感じています。

だから人の写真は否定しない。だから否定してくれるなよっていつも思っています。

もしこれを読んでいる人の中に、写真はこうあるべきだって思っている人がいたらごめんなさい。

話は合わない。

もしこれを読んでいる人の中に、だってあの人が言ってるからって言う人がいたらごめんなさい。

自分自身はどうなのかを教えてください。


話が脱線しました。
たまにそういった話や人を見かけるものだから、つい触れてしまいました。

話を戻すとそんなわけで、僕はこの年末年始の帰省で家族を撮っていました。
あと、実家とか通っていた学校までの通学路とか通学路にある用水路とか看板とか土とか草とか。

普段の帰省なら撮らないようなものを撮り続けていました。

何が撮りたかったのか、その時は分からなかったけれど、
振り返ってみると、ある種訓練をしていた気分でした。

いつも通りで見落としてしまいそうな、けど自分が残しておきたいモノ。
それをちゃんと残せるようする訓練。

そんな感じで撮ってました。

僕が大事にしているのが、「お前は何を撮りたいのか」「何で撮るのか」。
これって写真に限らず、クリエイトする立場の人間共通の言語じゃないかと思っています。

SNSに溢れる大量の情報、流行、他者評価に目を奪われ、
それを追いかける日々に呑まれ、いつのまにか自分の意思ではなく、何かに流されたような事をばかりをしていやしないだろうか。

そんな人をたまに見かける。
そして出てくる言葉。
あの有名な○○さんが言ってたから。

僕が聞きたいのは、そこから先。
それをあなたがどう受け止め、解釈し、飲み込んだのかだ。

とはいえ、押し付けるつもりも特に無いわけで。
ある種、ここに書く事で自戒も込めて書いているので、
具体的に誰かに言ってたりするわけでは無いことだけ、
理解していただけると幸いです。

僕は、今回の帰省で家族を通してそういう気付きを得ました。
今年はまた違った景色を写真で見れそうな気がします。

さて新年頑張っていきまっしょう。


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1988 I Hiroshima I JP / その一瞬の「愛おしい」を撮っている写真家。 https://linktr.ee/ko_okamoto1988 / 写真と旅のマガジン(共同執筆):https://note.com/mtow_travelphoto