わたしが母ちゃんになるまで

はじめまして。

お越しいただきありがとうございます。

すけっちです。

今、2023年現在40代後半のおばちゃんです。
30代後半で乳がんになりました。

そして、41歳で子供を授かりました。

乳がん告知で、不幸のズンドコ(©寺島純子)に落ちましたが、そのあと急激にQOL爆上がりしました。

でも、初老で子供を授かったところ、めっちゃ体力が落ちました。

現在は、頑張りすぎずにがんばって、健康になるべく生きています。

目標はあと30年は生きる…。せめて20年は…!

みんなが幸せになることを願って、そのあたりのお話をできればと思います。


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梅雨が苦手だ。

水分代謝が悪くてむくみ体質なことで、体調は良くないわ気分も落ちるわでいいことがない。

そんなある6月の新月の日に、ワタシはがん告知を受けた。

幸いなことに初期乳がん。
ステージ1という診断だった。

は?
何が幸いだよバカヤロー。
全然幸いじゃねぇしがんにならないのが一番だしアタシこどもも産んでないしこれから人生どうなるの?

というのが実のところ本音だった。

さてこれからどうする。
告知を受けた瞬間から、今後の治療計画をするのだ。
ワタシの乳がんは「ホルモン受容型」というものだった。
一番罹患率が多いタイプらしい。

多少乱暴に書くと治療のステップは

切る(手術)
焼く(放射線)
飲む(投薬)

ということを、告知してくれた乳腺外科の先生が話してくれた。

さてはて、ところでなぜワタシは乳腺外科にかかろうとしたのか。

なんと37歳にして、ブラジャーのサイズがアップしたのだ。

太った…にしても2kg程度。
なんで?と思っているうちに、ブラ位置修正をしたときに触れたのだ。

あれが。
そう、しこり。

コロッとした小さなしこりが指先に触れた。
あれ?こんなのなかったよね。と思いつつも特に深刻に考えなかった。
触れているうちによくわからなくなったり、とても不思議なものだった。

日々ブラ位置修正をすると左手の指先に触るこのしこり。

なんだろう…と思いつつしばらく様子見をしていた時、旦那方の親戚が亡くなったとの報があり、帰省した。

式は滞りなく執り行われ、一息着く間もなく帰宅の途に。
新幹線に乗る私たちのために、義両親の車で駅に向かうなか、彼らは何気なく親戚の状況を憂いていた。

「でもうちんとこはホントに何もないね!みんな病気もしないで元気だし」

…うむ。

元気だな、今は確かに。

でも小さな違和感を身体に抱えたワタシは本当に病気もしてないのか。
もしかしたらもしかするのか?
黙って駅に向かう道を眺めた。

少し怖くなってきた。
どうしよう。

そんな憂いを妻が抱いているなどとは1ミリも思い至らない旦那と共に新幹線に乗った。

自宅に戻り、ふと会社の入っているビルにあるクリニックのウェブサイトを覗いた。
乳腺外科があるらしい。

予約制って書いてある。めんどくさいな怖いな。
コミュ障なので躊躇したものの、でもさっそく電話をかけてみた。

「入ってた予約が無くなったので、○時にご予約いれますよー」
明るい声が返ってきたので、なんだかホッとしつつ、流されるままに受診することになった。

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さて、乳腺外科の予約を急にゲットできたワタシは、その後のバタバタなんて想像できることもなく、ぼんやりとクリニックに出かけていくのでした。

つづく


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