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宗教二世相談者のためのヒント

はじめに

 統一教会信者の子息による総理大臣経験者の殺害というショッキングな出来事に、改めて宗教二世問題がクローズアップされるようになってきています。
 
 この事件であるジャーナリストは「適切な相談者に巡り合えていれば、事件に至らなかったかもしれない」と述べ、宗教二世の相談体制の充実の必要性を語っています。
 
 ただし、ここが難しいところで、実際に宗教二世問題に詳しく信頼できる相談者という人がそこまでいるのか、というとなかなか厳しい現状があります。
 
 現実においては、カウンセラーやソーシャルワーカーのような職業の方たちでさえ、それらへの対応をされない、もしくはされても、かなり筋違いのことをされる場合も多くあると聞きます。さらに対応をしたことがあるという方もあまり多くありません。

 筆者は25年以上にわたって「エホバの証人」という宗教の二世の相談を数百人以上受けてきたという経験があります。これは、まだ宗教二世という考えや言葉がなかった時代からです。そういった経験から、これら状況に対応していただけるよう、「信頼できる相談者」となられる方への参考として「宗教二世お相談者のためのヒント」を執筆いたしました。
 
 と言っても、私個人のご相談をして得られた個人的な対応の指針ですので、何か組織的にオーソライズされたものではありません。しかし、宗教二世に25年以上相談を受けてきたという経験から得られるものも、それなりに価値があるのではと考えてのものです。少しでも参考になれば幸いです。

(元・現)エホバの証人のための相談室
ピア・サポート 「陽だまり」
http://jw-peersupport.org/

秋本 弘毅(エホバの証人二世問題ではこちらで名乗っています)
maa.skeptic@gmail.com


1.宗教二世相談者の資格

 これは、さまざまな意見があってなかなか難しいところです。私もエホバの証人二世のためのホットラインを開設しようとしたところ、多くの二世の方々から反対意見を頂戴しました。
 
 一つは相談者の資格の問題です。「そんな資格があるのか」
 
 もちろん、これに明確な答えがあるわけではありません。カウンセラーの資格や法的な資格、ソーシャルワーカー的な知識があるのが望ましいとは思いますが、必須ではないでしょうし、それがあっても対応ができないケースも散見します。
 
 私としては次のような方が相談者に望ましいと考えます。

  1.  相談される方への状況への理解度が深い(もし同じ宗教団体の二世であれば望ましい)

  2.  当該の宗教団体への客観的知識・情報がある

  3.  相談される方を個人的に尊重される意思が明確である

  4.  相談者が宗教二世の場合、自身の宗教二世問題も(全部ではなくとも)部分的に解決している

 1.は、やはり相談される方は、相談しても結局何もわかってくれなかったという失望が多いという事実があります。例えば、臨床心理士の先生に、うつ病などの病状の原因について、いくら宗教二世の問題について説明しても無駄と訴える言葉を何度も聞いたものです。そのような専門家の力も必要ですが、その前に、宗教二世の問題に理解ある人が一人、間に入るだけでもかなりそのような状況は改善されるでしょう。
 
 2.は、相談に来る人は必ずしも悩んでいる人というだけではありません。現役の信者や指導者など、相談者と議論や説得を目的に意図を隠して近づいてくるケースもあります。対峙して反論できるレベルの知識は備えておくべきでしょうし、相談する人に信頼していただき、そのような人たちから守るためにも、また宗教二世の方の教義の疑問にきちんと答えるうえでも、それら知識は必須です。
 
 3.については、相談される方を助けたいと思っていながらも、自分の考えややり方を押し付けるようになるならば、下手をすると当該の宗教団体の指導者と何ら変わらない態度と受け取られかねないでしょう。あくまでも相手の意思を尊重しながら寄り添う姿勢が明確であることが必要です。
 
 4.は、宗教二世の方の場合、自分もまだ何も解決していないけれど、手助けはしたいと考える方もいらっしゃいます。その場合はまず自身の問題をある程度整理してからでないと、相談する側、相談される側双方が悩むことになるかもしれません。
 
 ただし、そのことを明示し、相談し合うという自助的な形では可能かもしれません(「5.アフターケア オフ会」で詳述)。その場合は相談者として対応するというのとは別の形になるかと思います。
 
 なお、弁護士やカウンセラー、ソーシャルワーカーなどの資格がある方がそのようなことができれば、それはそれでよいと思いますが、上記のような対応ができないこともあるでしょうし、必須というわけでもないから、それぞれ役割分担をするほうが良いのかもしれません。

2.相談者の姿勢

 相談者の姿勢も重要と思います。
 
 まず、相談する宗教二世の方の利益を第一にするという姿勢は必要でしょう。その中には、相談する方が気づいていない部分にまで気を回すことができるということも含まれます。ただ相談する方が言ったことをうのみにして、それにだけ機械的に対応するというわけではないのです。
 
 多くの相談される方は混乱しており、抱えられる問題の部分を落ち着いて整理しなければならないことが多くあります。
 
 そして、そのことをするには相手の言葉にじっくり耳を傾け、辛抱強く、その内容を咀嚼しながら、どのような話し方が相手にとって最善かを注意深く吟味しなければなりません。
 
 そのようにして相談される二世の方を全人的に扱うということは必須なのです。

 さらに、問題が複雑なため、それなりの論理性や合理性がもとめられますが、一方で深い同情や共感も同時に必要です。経済学者のアルフレッド・マーシャルの言葉にある、Cool Head, but Warm Heart(冷静な頭脳と温かい心)が求められるのです。

3.目標

 目標は相談される二世によって細かく変えていく必要があります。ただし大きい目標としては「現状を少しでもプラスにすること」が第一になると思います。一番よくないのが、「結局相談したけど無駄であった」「むしろ感情的に悪化した」「相談をした結果落ち込んだ・理解もされず絶望した」ということです。このようになることだけは避けるべきでしょう。
 
 まず、多くの宗教二世は理解してくれる人に、とにかく聞いてほしいという欲求があります。理解力をもって聞いてあげるだけでも、その人にとってプラスになるのです。
 
 また多くの宗教二世が抱える問題は複合的なものだということを認識しておくと良いと思います。それらを「宗教問題」のみで解決することはできません。経済上の問題、心理的な悩み、健康面での問題、職業的な悩みや不安、性に対する悩み、家族関係の悩みや不安、人間関係への恐れ、将来への不安、その方の置かれている特殊な環境などなど様々な問題が絡んできます。ですので、最初から目標を大きくしてしまうと相談する側も相談される側も行き詰ってしまいます。
 
 むしろ、傾聴することと小さな成功の積み重ねで、少しずつ問題が改善されるよう、そのヒントとなるようなことを可能な範囲で提示すること、このレベルが宗教二世の相談者が最初に設定できる目標となりでしょう。

 よく誤解があるのは、「相談者は宗教二世のマインドコントロールを解凍(に対応)する」ということですが、それは後述するように目標とすべきではありません。結果的に、考え方や信仰、また行動が変化したとしても、それそのものは目標ではなく、あくまでその人が納得され、現状をプラスになるということの副次的な効果にすぎません。

4.相談の方法

 相談には①対面、②電話、③メールや手紙など様々な手段が使われると思います。

 私の場合は、主に電話で対応することが多く、相手の話し方などリアルタイムに相談される方の反応が確認できるので、非常に良い方法と思っています。

 どのような方法で相談に乗るのか、まず事例から解説しましょう。

電話の受け取り

 私の場合は自宅の電話で対応しているため、まず用件を聞くところから始めます。

 多くの場合、相談される宗教二世の方はこの電話を掛けることそのものに勇気を要します。なぜなら、そういった宗教団体の多くが外部の助けを求めることに、特に自団体から出ていった者に対して「サタン」や「悪魔」など、恐ろしいイメージを植え付け、心理的呪縛を与えるからです。

 電話をかけたとしても、その恐怖は多くの場合残っています。ホットラインなどでは、沈黙し、結局切ってしまわれることも多いです。

 そこで、こちらの対応としては、まずは安心させるということを主眼に置きます。必要であれば、勇気を持って打ち明けていただいたことに労いの言葉をかけます。

 よくあるのが、こちらを根掘り葉掘り聞かれることです。もし同じ宗教二世であれば、同じような経験をした者であることを納得できるように説明し、さらにこのような相談活動の意図を聞かれた場合も、自分の体験から同じ経験をされている方に少しでも助けになればと思ってやっている、などと話し、利用されるのではという懸念や疑念の払しょくに努めます。

 この場合、注意すべきは、ここであまり話し過ぎないことです。相手を安心させるに十分かつ必要最小限の情報というのが理想です。こちらが相談しているわけではなく、相談を受けていることですから、相手が必要な情報を話した後は聞く態勢に移ります。

相談ヒアリング

 相談に入る時は私は軽くメモを取っています。あとに残って問題にならないよう、個人名や具体的な場所などは一切書かず、あくまでもその相談の時に情報を整理するための道具として使っています。また相手の個人情報は、向こうがあえて明かさない(そして必要がない)限り、こちらからは一切聞きません。お名前などは呼び方がわからないと不便なので、名乗ってもらいますが、その場合も仮のお名前でもいいですよ、とお話しします。

 何を相談していいかわからないことも往々にしてあります。その場合、まず現状がどうなっているか一緒に探ってみます。

  • 現在信者か否か

  • 信仰の有無

  • 家族全体の状況

  • 団体との現在の関係

  • 今までの経緯

  • 一般社会での状況

  • 健康や経済状態

  • 不安や悩み

 もちろん、これらを無理に聞き出すわけではなく、構わなければという前提で相談に必要なところを抽出していきます。また事情聴取のように聞くのではなく、できるだけリラックスして話していただけるよう、ゆっくり聞いていき、必要なところは復唱したり、あるいは確認したり、同情できるところは、その旨を伝えたりしながら、相手のペースで行います。

 これらをまとめながら、メモ書きを見ながら、どの問題がこの相談される方の優先課題になりうるかを検討します。

回答など提示

・課題の整理
 ある程度、相談される方が話し終えると、まず課題を整理してみます。相談されている方と相談者との認識の差がないかをここで再度確認するわけです。

 実を言うと、この時点である程度問題が解決する場合もあります。そのようになるのはたいてい、誰かに話して問題を整理してほしいというご要望の場合です。

 これは、一般社会にはすでに順応され、そこでの悩みはそれほど大きくなく、あるのは、宗教二世としての心の問題だけがしこりのように残っていて、そことうまくけりをつけたい、だが今までそのことを自分の中に抱え、誰にも相談できなかった。すでに課題解決能力はあるが、そのためにどのように物事を見たらよいか、認識を新たにしたいという方が当てはまります。

・複合的な課題を抱える場合
 一方、いまだに宗教二世が原因、もしくは背景で、かなり強い問題を抱えられている場合があります。しかも、ご本人は混乱しておられて、どこをどうしていいかわからない、出口が全く見えないというケースです。

 たいていの場合、複数の問題を抱えられていて、失業中もしくは非正規雇用で困窮、ブラック企業で疲弊、うつ病など精神的疾患もある、孤立し、社会的援助がない、宗教団体から教義違反で懲罰により追放され、親から謝罪と復帰するよう強く求められている、ときどき宗教団体の指導者が訪問威圧的に接して恐怖を抱いている・・・などなど、一つとってもなかなか手ごわいものです。

 さらに、自殺したい、とにかくつらい、生きているのが嫌になるなど、心身共に追い詰められている状況もあります。

 また、仮に宗教団体から抜け出せても、一般社会に友人がいない、社会になじめない、会話についていけない、自分は社会に必要とされていない、など社会と自分との関係についても悩まれることも多くあります。

 さらに、そのような宗教団体の多くが自分たちに傾倒・依存させるよう、極端に個人に罪悪感を植え付けることが多く、そのため極めて自己否定的で自罰的、自滅的な考えや行動を取られる方もいます。

 このようなケースもあるため、

  • 緊急性があるか

  • 他の専門家の助けが必要か

 このあたりを話を聞きながら判断していきます。緊急性や他の専門家の人の助けが必要な場合は、そのことを念頭に置きながら、話をします。

・自分の範囲を決め、限定する
 さらに、自分のアドバイスする範囲も前もって決めておきます。専門家が必要なアドバイス(心療内科的あるいは法的対応など)は原則立ち入らないことが重要と思います。そのかわり、同じ宗教二世で経験した、また今まで見聞きした経験された事例の蓄積から、どのように乗り切れるかについてのアドバイスを主に話していきます。

 特に重要なのは「そう悩んでいるのは、あなただけではない」というメッセージです。多くの方はそれを聞くだけで驚かれます。なぜなら、多くの方が、このような悩みを持っているのは自分だけと考えていることが多いからです。

 さらに、できうるだけ自身で解決策を考えていただけるように、問題を整理して、考えやすいように単純化したり、いくつかの解決事例から複数の選択肢を提示する、などを行っています。

 こうする場合も、それが絶対の解決策という提示の仕方はしません。世の中には、さらに良い解決策がある可能性もありうること、それを必ずしも個人だけで、あるいはここだけで解決しなければならないわけではない、ということを強調します。

・課題の優先順位をつける
 そして、まず整理した問題をそれぞれ分けて、課題の優先度についてお話しするようにしています。

 特に宗教から受けた心の影響は、解決に時間がかかるので、この解決は急がないようにアドバイスしています。これら問題は完璧な解決法もないので、このあたりに足を取られて、他の問題に向き合えなくなることを避けるほうが良いと考えています。

 宗教から受けた心の影響の解決方法はいろいろありますが、当該宗教団体の存在や考えを(それを肯定的であろうと否定的であろうと)絶対化していたところから相対化していくということが重要になります。これらによって当該宗教団体の存在を客観視、または自分の中での思いの中で占める位置を中心から外し、小さくしていくということです。

 一番良いのが、現在の考えや生活、人間関係や社会的立場が安定し、確固としているため、それらを考える事がほとんどない、という状態にまでなっていることで、そうなるとその宗教団体の影響を宗教二世個人がほとんど意識しなくなります。

 これは、時間と手間がそれなりにかかり、環境や本人の資質、またご本人もそうしたい、あるいはそうする必要があると認識されている場合にしかできないと思いますので、相談時にはそこまで提示することはありません。

 その代わりに、心身の健康、また経済上の不具合などの解消は、優先度を高めます。これは、解決の目処が立ちやすく、また公共機関などの助けも得られやすい、いわゆる宗教二世以外も悩まれる「一般的な悩み」なため、解決方法の選択肢が増えるからです。

・優先順位の高い課題への対応
 例えば、心身の不調の場合は、カウンセラーや心療内科などへかかられているか、それとも1人で抱えられているかなど確認し、もし個人で抱え込まれている場合、必要であれば近隣の公的なサービスなどを一緒に探したりもします。

 ただし、そのような機関の方々も宗教二世の問題には大抵暗いですので、その点については、また改めてこちら側にも話すことができると相互補完的なダブル体制のような形も提案しています。

 経済問題ですと、特に現在置かれている貧困とそこから脱するための雇用の話になります。宗教二世の方の多くは、自分は社会から大きく出遅れ、まともな就職ができないと考えられることが多いです。そのような場合は、少し視点を広くしていただきます。

 これはマッチングの問題で、自分のほうだけが一方的に拒絶されていると考えないようにすること。自分に合い、相手も来てもらって助かる、というところを見つけることが重要。極端に自身を低く評価されないようにアドバイスいたします。選択肢は広く、やや無理目のところすらターゲットの中に入れても良いのではないか、とお話ししています。それは自分で勝手に「無理だ」とハードルを上げていることが多々あるからです。

 さらに自分の転職先への条件、自分の人生で譲れない部分も考えてもらいながら、自分も相手を選んでいること、その双方のマッチングの精度をどうやって上げ、希望にあった職場をどう探していくか、事例などから説明したりします。

 ここに力を入れるのは、やはり経済問題が端緒で宗教二世問題をこじらせる方が非常に多いという事実にあります。実際、自分の仕事に満足し、楽しいという方は、宗教二世問題の解決が早く、また過大な問題になりにくいのです。逆に現在の雇用環境に不満で、また失業中の場合、宗教二世問題も当人に重くのしかかり、解決の目処が立ちにくいものです。

 さらに、就職氷河期には宗教二世の問題の相談は増え、景気が加熱し売り手市場になると相談が減るということも現実にあります。ですので、現在の経済環境と雇用状況なども考慮して、改善策を共に探ることをしています。

・職業において問題を抱える場合
 例えば、今回安倍首相の殺害にまで至った、山上容疑者と似たような状況の方が、仮に元エホバの証人信者の親を持っていたとして、その相談の場合を想定してみましょう。

 もちろん、同容疑者の場合は、旧統一教会における多額の献金による、家庭崩壊を経験とエホバの証人とはまた違った問題を抱えていますが、エホバの証人二世の場合も、親が信者になったとたんに会社を辞め宗教活動に没頭し普通の生活から貧しい生活に転落、進学もできず非正規労働もしくは失業中で結婚もできず、絶望しているという近似のケースは多くあります。

 同容疑者の場合は、確かに自分の母親の家庭は壊されたのですが、大人になった現在、自分の新しく作る家庭は、まったく(難しくなったかもしれませんが)不可能になったわけではありません。もし仮に、安定した職業に就き、また結婚し、新たな家庭を作ることができれば、そこまで追い詰められることがなかったかもしれません。

 しかし、報道では、同容疑者は転職してもなかなか定着せず、転職を繰り返し、しかも職場でトラブルを起こしていたようです。どうしても、今回の犯罪について「宗教二世が抱える問題」が元凶の中心であるかのように報道されますが、相談者視点で言うと、宗教二世問題によって確かに状況は悪化はしているが、本質は「不安定な経済状況と将来への不安、そして本人の諦め」によって、その鬱屈した感情の矛先が一番恨みの大きい宗教、そして宗教を支持する政治家になったと見ます。

 つまり、「宗教二世問題」とロスジェネが抱える「非正規労働者の高齢化問題」など、複合的な問題を抱えているわけです。そして、「宗教二世問題」だけでは、当事者の本当の問題を解決するものにはなりません。そうではなく、まず雇用・経済状況などの問題の解決が、置かれた状況を改善する最短ルートと考えるのです。

 特に就職氷河期に就職活動をされていた方は、常に拒絶されるという経験の蓄積によるトラウマから、転職活動が短く、検討する時間も自分から出す条件を検討することもない、という状況が散見されます。

 そのため、当人にとっても雇用主にとっても、あまり望ましくない転職になり、結局、何度も転職を繰り返し、ますます生活が不安定になり、また転職活動もどんどん不利になるという傾向があります。それら失敗の原因は、もはや宗教とはほとんど無関係(それでも全く無関係ではない)ですが、本人的には宗教を原因とすることによって納得する思考パターンに陥るのです。

 まず宗教的なさまざまな問題については、その怒りや怨嗟についても注意深く聞きながらも(それを否定はしない)、それと自分の状況をいったん切り離して、それらによって自分の状況を悪化させないためには、どうしたらよいかということをお話しするでしょう。

 おそらく、転職のマッチングミスを多発するということは、転職戦略を持っておられないであろうと推察し、例えば応募については、あまり自分の限界を意識しないこと、わずかでもマッチングすると見ればチャレンジすることや、複数社の比較検討を必ずすること、自分の生活を安定させるため、より自分を高く評価してくれるところを選ぶこと、などをお話ししたりします。また学歴の改善方法や、資格の取得や公的サービスの利用、ご自身の資質との比較、などより当人が望む方向にいくための情報を一緒に検討します。

 実際、このような話によって、もっと良い職業に転職(ある場合進学など)されたケースもあり、良い転職と、さらにその後の生活の安定、そして自信や自尊心を取り戻すことによって、あるいはさらに進んで結婚されて新たな家庭を作ることなどによって、心身ともに余裕ができ、宗教二世の問題にも以前ほど悩まず、余裕をもって考える事ができるようになった、と言われることもあります。

 つまり、問題の根本を解決することは短期的には目指さず、むしろ実際に置かれた状況の改善に注力、別途根本にあると本人が感じている課題は長期的に本人に負担がかからないよう、じっくり取り組んでいただく、というのが25年の相談の経験から見て、現実的な解だと思うのです。

・教義や団体の正しさへの疑問に対して
 また、このような実際面のアドバイスではなく、教義の正しさや宗教団体組織の正しさなど聞かれることもあります。この場合、教義や団体に疑いは持っているものの、まだ信じている部分もある、という方もおられます。

 このような場合、頭ごなしの否定は逆に反発される可能性もありますし、こちらの考えの押し付けになりかねません。まず、相手の今の状況や考えを尊重しながら、客観的な見方を紹介する、という方法をとっています。

 例えば、エホバの証人という宗教団体は、自分たちこそ正しい聖書解釈をし、他のキリスト教(または他の宗教)はすべて間違っていると主張します。このような場合、典型的な論争部分を①当該団体の主張②正統派宗教の主張③高等批評などの学術的意見④その他諸宗教や団体・個人などの異なった解釈・・・など複数の見方を紹介して、その宗教団体の主張も、それら解釈の一つに過ぎないことに気づいていただくようにします。

 このときも、どれが正しいということは言わず、正しいかどうか判断するためにも、一つの解釈だけしか知らないということは、判断材料がなく、視野を狭めてしまうのではないか、ということをお話しします。

 また、宗教団体には、必ず核となる中心教義と自己を正当化するキーとなる考えが存在します。例えば、エホバの証人は「神の宇宙主権の立証」なる教義が中心にあり、その立証に重要になる天の王国の樹立の開始をエホバの証人だけが1914年であったと解き明かせた(預言した)ことを、自己を正当化させる根拠としています。ただし、この考えは論理的にも事実ベースでも問題含みの考えです。

 信仰を持っているという方は、こういった考え方も整理されていないことが多いですので、教義について知りたい方には、このあたりも少し整理しながら、彼らの主張と一般から見るとそれはどう評価されるか、必要であれば聖書や考古学的知見との矛盾などからお話ししたりもします。

 また団体の問題点にも、その教団の歴史的変遷、客観的な報道から見られる社会的評価、また元指導部の人たちの上層部内部での見聞や意見なども紹介することがあります。このようにして、宗教団体の論理内から少し離れた、より俯瞰的な視点で最終的なご自身の判断につながるような情報の提供をしています。

・マインドコントロールとカルト問題
 宗教二世の場合は、インターネットや書物から自分がマインドコントロールを受けていたのではないか、自分の親のやっていたものはカルトではないかと考えられる方もいます。中には自分や親の洗脳をどうしたら解けるか、悩まれるケースもあります。

 そのような場合、まずどのように考えられているかをうかがいながら、一般的なマインドコントロールや洗脳についての定義、そして心理学的にはどのように見られているか、カルトの定義、またそれがその宗教団体とどう関係しているかなどについて簡単にお話しします。

 ただし、ここに足を取られ過ぎると、ただ宗教団体時代の記憶に懐かしさを感じただけで「マインドコントロールが解けていない」のような話になりかねません(実際にそう主張した相談者もいる)ので、そのような説明方法もある、くらいで流すことが多いです。

 特にマインドコントロールの状態やマインドコントロールが解けているかどうかなどは、識者によっても意見の異なる部分があるので、あまり深く踏み込まず、「ご自身が自分で判断できるようになられれば十分」程度でお話ししています。

 ちなみに、私自身は心理学的な視点で、マインドコントロール説(あるいは洗脳)での宗教二世の信仰の説明について、かなり懐疑的で、この問題ではあまり役立たない(むしろマイナスになる)と考えています。ゆえに、マインドコントロールを解凍する(あるいはマインドコントロール状態を常に監視し、フォローする等)ということは相談者の行うべきことと見ていません。しかし、そのような説を取る宗教二世の方の考えを否定するものではありません。

・脱会の相談
 もうすでに信じておられない、しかしまだ教団内部に籍を置いておられる、あるいは集まりへの参加や布教活動への参加を行っておられる。これらをやめたいというご相談の場合は、まずその方の置かれておられる状況を細かくヒアリングします。

 エホバの証人の場合、正式な脱会を彼らの用語で「断絶」と呼び、最も厳しい扱い、つまり信者全てに「あいさつ」をすることも「食事を共にすること」も禁じます。仮に家族や雇用主などが信者であると、この影響をもろに受けてしまいます。

 それらを避けたいという方は、私は活動停止をお勧めします。つまり、正式に籍を置いたまま、とりあえず活動全てを中止するというやり方です。この場合、彼らの教義では「不活発信者」扱いになり、上記のような全くコミュニケ―ションのできない、村八分状態(これは人権侵害、憲法違反と思いますが)は避けることができます。

 しかし、この方法もデメリットがあって、同団体では、不活発者は援助する対象として扱われ、信者や指導者から復帰するための様々な接触が試みられる可能性もあります。その場合は次々項に取り上げる「宗教指導者や仲間への対応」で解説しますが、基本は接触を避ける方向でアドバイスします。

 どうしても正式の脱会をされたい場合は、そのデメリットを理解されたことを確認して、そのような脱会の手紙を受け取らないケースもあるので、内容証明郵便などを使うことをお勧めします。

 いずれにせよ、当人の希望とそれに最も沿った方法は何か、一緒に検討させていただいています。

・家族との関係について
 家族が信者である場合、いろいろな影響があります。特に問題が多いのが、そのような家族と同居している場合です。

 このような場合、相談される宗教二世の方も、隠れて連絡を取られるケースが多く、どのように家族とやり取りをするか、家族との人間関係や力関係を見てアドバイスをいろいろと変えます。

 ある程度自己主張できそうな場合は、一度自分の内なる思いを伝えることも勧めています。この場合、親の側の反発やまったく理解されないということも予想されますので、その点は事前にお話ししておきます。

 実際に、このようなコミュニケーションをとった場合、思ったよりも結果が良いということがあります。たとえお互いに理解できなかったとしても、まず宗教二世が自分の気持ちを、もっとも言いたかった相手に伝えられたという事実がかなり重要で、その後の親との関係も単なる上下関係ではなく、並列的な関係に発展することもあります。わずかでも親が子の気持ちを尊重するようになれば、それだけでもプラスになるでしょう。

 また聞いた親も、たとえ信仰を持っていたとしても、あなたの本当の気持ちが聞けてうれしかった、という反応がある場合もあり、今後の親子関係においても、コミュニケーションの双方向性を確保したり、自分の立場を明確化、理解してもらううえでもプラスになることもあります。

 さらに同居している方が、家を出るという選択肢を選ぶ場合にも、説明しやすいでしょう。

 ただし親との関係性において、それが難しいケースもあります。例えば威圧的な親、子供の言うことにまったく耳を傾けない親、否定しかしない親などもいます。

 私の知っているケースでは、私の目の前で自分の子供を一方的に罵倒している親御さんと対応しなければならなかったこともあります。このような場合は、とても上記のような「本音で話して部分的でも受け入れてくれる」とは思えません。

 そのような場合は、自分の考えや気持ちを守るため、ある程度信者家族から距離を取ったほうが良いかもしれません。その場合も、宗教二世の個人の権利をいかに改善するかということを主にして、最も有効と思われる方法について、いくつか選択肢を比較しながら、ご自身の状況とその方の考えややり方にフィットしたものを検討していただいています。

 逆に、教義によって親子断絶が生じる場合もあります。エホバの証人の場合は、信者が正式に棄教した場合や破門された場合、信者に対してたとえ親子であっても、あいさつも食事を一緒にすることも一切してはならないと厳しく命令しています。

 そのため、破門された宗教二世は、親とのコミュニケーションを全くできなくなるという問題もあります。

 このような場合、対応が難しいのですが、まず宗教二世の方がこれまでのようにコミュニケーションを図られたいか、それともそこまで望んでいないのかを確認しながら、教義を親はあくまで守るという予期される事態を前提で、その中で最善は何かを検討しています。

 この場合も、多くの宗教二世の方は「従来のようなコミュニケーションをしたい気持ちもあるが、それをしないことへの実質的な不具合はあまりない」と考える方が多いですので、このあたりも勘案して、その方ができる(あるいは納得できる)方法を提案しています。

 また、より突っ込んだ親子関係について聞かれる場合は、原則として子どもが親から独立して宗教の選択をする権利があるのと同様、親にもその権利があり、それぞれ独立したものであること。親にその権利の尊重を要求することは、当然であるのと同じように、我々もやはりその権利の尊重は必要になることなど、話す場合もあります。

 さらに家族に宗教をやめてほしいというご相談もあります。このような場合は、確率的には非常に低いのですが、成功事例からアドバイスさせていただくこともあります。

・宗教指導者や仲間への対応
 また、現在進行形でその宗教の指導者や信者仲間が訪問や電話、手紙やメール、LINEなどで接触して来られる場合もあります。しかも、親との関係でその関係が切れない場合もあり、かなり厄介です。

 その場合、現状において、そのような宗教関係者とどのような関係になるのが理想であり、どのようにしたら、その理想につなげられるかを一緒に検討します。

 基本は、やはり距離をおくことだと思います。そして対組織において個人がそれをやるには、非常に大きな重荷を負うことになるので、そういった重荷を負わせないような形での提案をしています。

 一つは、それら信者や指導者に対して「今は諸々の理由によって精神的に疲れてしまっているので、連絡は遠慮してほしい、返答や対応できない」と簡便に伝え、その後はできる限り、コミュニケーションしないということを勧めます。

 また訪問の際はインターフォン越しで、電話・メールは着信拒否をしてしまうことも手で、もはやセールスや勧誘を断るのと同等に扱ってよいというふうに説明します。

 これを機会に転居される方もいますが、そこまでするかどうかはともかく、接触を最小限度にしておくことが大切でしょう。

 親との関係で、関係が切れず、活動や集まりへの参加を続けざるを得ないこともあります。このような場合も、徐々にフェードアウトさせていくことも検討していただきます。

 また相談者に、固い信仰を持つ信者もしくはその宗教の指導者から、直接連絡があることもあります。この場合も、節度ある対応と毅然とした態度が重要です。また教義論争を吹っ掛けられたときも、彼らの教えの弱点はよく知っておいたほうが良いでしょう。私の場合は、最初は聞き役に徹して、そのあと、それら議論について客観的位置からコメントしています。

 実際に信者も宗教指導者も個人では弱く、また客観的な知識はおろか自分たちの教団の教義の知識ですらあまり整理されていないものです。信仰心が強い人ほど知識が欠けているというのは、こういった宗教団体のあるあるです。最後には負け惜しみのような捨て台詞で、そちらから勝手に始めた議論を一方的に話を終わらせるということが通例ですので、それらにいちいち動揺せず、こういった人ももしかしたら将来的に悩む可能性も考慮し、冷静に対応することを心がけています。

・宗教団体からの直接の被害
 宗教団体の指導者やメンバーから直接の被害を受けているケースもあります。中傷や罵倒、パワハラなどの言動によって傷つけられたり、セクハラや性的虐待が行われるケースもあります。

 例えばエホバの証人のケースでは、宗教指導者により児童への性的虐待は特に米国やオーストラリアなどでも報道されており、国内でも報道はされてはいませんが、私のところでは報告されています。

 このような被害の相談を受けることもあります。まず、被害者の側に立ってお話を聞きながら、どのようにされたいか希望をお聞きします。

 相手に謝罪してほしいという場合もあります。しかし多くの場合、それが厳しいということがありますが、可能であれば加害者への接触や団体への直接の交渉を試みることもあります。

 また法的な対応はしたことがありませんが、被害状況によって今後はできうるかもしれません。そのような可能性も視野に入れながら、対応することを検討すべきでしょう。

・喪失感・空虚感や将来への不安、絶望
 「信者をやめたら、今後は何を信じて生きていけばよいのか・・・」このような問いかけもよく聞かれます。

 宗教の与えた希望に全面的に依存していた(あるいはそれ以外許されなかった)ところのぽっかり空いた穴をいかに埋めるか、というのも宗教二世の悩みの一つです。

 この場合は、やはりそのように悩むことは何らおかしいことではない、ということをお伝えしています。

 そのうえで、今までの宗教が与えた希望に関する期待感などもうかがい、必ずしも、それと同等のものをほかに求めなくてもよいこと、さらに自由に視野を広げて見られることをお勧めしたりしています。

 また将来への不安についても、その方の状況に合わせて、課題を少しずつ改善するだけでも、将来への展望が広がるので、遠くの将来のことよりも、手近なところから一歩一歩進まれることなど、考えていただいたりします。

 もう一つあるのが絶望感です。この場合も、やはり絶望の基になっているものに一回でいいのできちんと向き合うことが重要ではないか、ということをお話しして、可能であればその基になりうるものについて考えてもらったりします。

 多くの場合、現状がうまくいっていない=宗教二世としての環境のせい、もうダメだ、などという思考パターンに陥られることもあるので、その辺ももう少し分解しながら、具体化していきます。

 意外に具体化すると、宗教の悩みというよりは、現在の仕事であったり、人間関係であったりする場合が多いので、そのあたりも改めて一緒に考えます。

・教義のフラッシュバックによる恐怖
 いわゆるカルト団体と呼ばれる宗教団体の多くは、信者を自分たちに従属させるため恐怖感情を使います。エホバの証人の場合、ハルマゲドンやサタンなどの言葉を使って信者や宗教二世をいわば脅すわけです。

 ゆえに、宗教から離れた後でも、ハルマゲドンで自分が滅ぼされる夢を見るなど語る宗教二世も存在します。また自分がサタンの側についてしまったという罪悪感がある場合もあります。

 これら恐怖感や罪悪感についても、まずどこまでそう感じているかを伺います。そして何より、その恐怖を想起させる言葉や考えを分解しながらご説明することもあります。

 例えばエホバの証人二世の場合「ハルマゲドン」という言葉が、恐怖を想起させる言葉になっていて、小さいころから自分がそれによって滅ぼされると脅されているわけですが、この言葉の載っている聖書の場所を確認していただきます。

 これは聖書に一回しか出てこず、しかも直接的に滅ぼされることなど書いてはいないのです(王たちを集めた、としか書いていない)。そして、このヨハネの黙示録が書かれた時代背景などを説明し、この言葉が時代によってさまざまな解釈がなされてきたこと、これを21世紀の自分たちに当てはめるのはかなり難しいということを話したりします。

 このように、具体的に恐怖を想起させる元の部分を解説していくと、恐怖感情が無くなる、もしくは和らぐことが多いです。実際、今までハルマゲドンの夢をよく見ていたが、相談して以来全く見なくなったという方もおられます。

 また、サタンや悪魔という用語についても、旧約聖書時代の扱われ方と新約聖書以降の扱われ方の違い。現在での正統派での解釈、その他の解釈、学術的な意見など解説しながら、それが時代や場所、人によって異なることを説明し、教団の主張する脅しの道具としてのサタン像や悪魔感との比較検討をしていただきます。また、彼らは自分たちは神の側で、それ以外は悪魔の側という単純な二元論を主張しますが、自分たち以外を悪魔の影響下にあると見なすことの論理的矛盾についても考えてもらいます。

・神の存在と真の宗教
 「神は存在するのか」「真の宗教はあるのか」というような質問をされることもあります。このような場合、相談者の考えが知りたいのか、それとも自分の考えを変えたいのか、それによって答えを変えます。

 相談者の考えが知りたい場合、このような考え方もあるということを前提にこちらの考え方を説明します。これも「あくまでも相談者の場合」と念押しし、こちらの考えを押し付けないようにします。

 もし、ご自身が考え方を変えたい場合は、多様な可能性について考えてもらいながら、ご自身が納得できるものを、納得できるまで調べてみられることをお勧めしたりもしています。

 少なくとも、その場で結論を出す必要はなく、相談者自身もその完全に正しい答えを持っているわけではないことを付け加えます。

・宗教団体や親信者への怒り・恨み・悲しみ
 宗教生活を自分たちの第一とする親によって受けたさまざまな仕打ち(暴力・身体的虐待、精神的虐待、ネグレクト、子供の将来の可能性を壊すこと、経済的な苦況など)については、ほとんど社会的な歯止めや救済策もなく、宗教二世が長い間苦しむという事態が起きています。

 また親の愛情が必要な時期に、宗教にかまけて十分な愛情が注がれず、そのことに苦しんできた人もいます。

 これらに対する怒りの気持ちや恨む思い、またやりきりない悲しさなどは、それは正当な感情です。たとえ親(あるいは信教の自由があると主張する宗教団体)とは言え、不当なことをされて、そのことは忍従すべき、とはなり得ません。

 ところが、そのような感情に対して、ある場合、事情をほとんど知らない識者、あるいは同じ宗教二世からでさえ、甘えであるとか、もっと苦しんでいる人や自身で解決している人もいる、自己責任など、きちんと受け止められないケースは非常に多いです。その言葉を聞くたびに宗教二世は絶望に打ちのめされるのです。

 仮にある人がもっと苦しんだもしくはその問題を解決したとして、それは今悩んでいる人への現在直面する悩みを解決するものではないでしょうし、むしろ、それはその悩みを不当に軽視・否定する言動に過ぎません。相談者は決してこのような態度を取るべきではないでしょう。

 まず、これら感情に対して、ありのまま正面から受け止めるべきです。そして、そういった感情を持つことそのものは、正当であることを示すべきでしょう。本来ならそういった事態に対して、親が、そして親をそうさせた宗教が間違っていたことを、誰かがきちんと指摘すべきだったでしょうし、それももっと早くなされるべきことだったということをお話しします。

 そして、そういった感情を自分の中で抱え続けて苦しむ必要がないこと、本来なら責任をもって償われるべきものであること、そしてそれを自分のせいにして苦しまなければならないことは決してない、とお伝えします。

 宗教二世の遭っている目は、それは社会的な不正であり、それを見過ごしてきた社会にも一定の責任があるのです。それら感情の表明は、きちんとなされるべきものですし、社会はそれに対して頬かむりを決め込むべきではありません。

 相談者はこれらの状況を十分に認識し、彼らの感情に対して同情するとともに社会に当然備わるべき正義として、彼らの側に立って考える必要があるでしょう。

・性・恋愛・結婚の悩み
 多くのカルト団体は極端に厳しい性に関する基準を信者に対して設け、その罪悪感を利用して信者をコントロールしようとします。

 そのため、子供時代からそのような基準の基にいた宗教二世は、性に対して極度な罪悪感や恐れ、さらに逆の方向に行く人もいます。それら基準が外れたとたんに抑制が効かなくなる場合もあります。

 さらに、恋愛の時期の遅れや結婚の機会の喪失など、このような悩みもあります。さらにLGBTの方の場合、さらに強い葛藤や悩みを抱えられます。

 これらは、一般の方でさえ悩むことであるのに加え、宗教二世の置かれた環境や教義によってなおさら難しくされているわけですから、まずそういった前提が無かった場合の理想について、構わなければ教えていただきます。

 そして、そのような悩みを抱くことは何ら異常ではないこと。それら悩みを起こさせるような教義そのものが非人間的であること。むしろ、人間として悩まない方がおかしいことなども話させていただいています。宗教上の性や恋愛、結婚の考えに縛られなくてもよいことをお話ししています。

 自分とあったパートナーと出会い、恋愛、そして結婚に至ったケースなど、いくつかありますので、それがまったく不可能なものではないこと、一般の方や元信者同士などいろいろな事例から、どういったチャンスがありうるかなど紹介させていただいています。

・教育機会の喪失による学歴の問題
 ある宗教団体では、教義によって高等教育への否定的な感情を二世信者に植え付けます。そのため、大学進学などを避け、その個人が持つ能力に比して得られたであろう学歴がなかったり、あるいはその学歴によって得られたであろう職業をあきらめざるをえなかったりするケースも多くあります。

 さらに学歴で評価される社会的風潮のため、自信を失ったり、あるいは低い社会的評価で悔しい思いをすることもあります。

 そのため、そのような高等教育の否定の教義そのものが非常に間違ったものであること、また学歴と最終卒業学校の履歴とを区別して、大人になっても学ぶことはできうること。また、もしどうしても最終卒業学校の履歴を上げたい、あるいはその必要があるなら、いくつかその方法があることなども合わせて実際の事例などからお話しします。

 さらに学歴による社会の視線に対して、どのように自尊心を保ち、自分らしい生き方ができるか、お話させていただいたりしています。

・医療への教義の影響
 あるカルト団体は、医療を受ける行為そのものを禁じています。例えばエホバの証人は信者の輸血することを禁じ、生命に危機に際しても拒否するよう厳命します。

 そのため、その教義がまだ正しいと思っている方から、そのような医療をいまだに受けられないとおっしゃられることもあります。

 このような場合、それらお気持ちを伺いながら、団体の教義が医療拒否に至った歴史的な経緯、聖書の記述との矛盾と正統派の宗教はどのように解釈しているか、また教団によって起きたいくつかの悲劇についても説明し、そのような命に係わる選択は教団の特殊な聖書解釈ひとつに任せてしまうことはどうなのか、少し考えていただいています。

 たいていの場合、そこまで深く考えてその教理を死守しようという方は稀で、「なんとなく気持ち悪いから」程度であることがほとんどですので、上記の説明程度で医療を受けることが正しいと思われたり、あるいは場合によっては献血までされる方までいます。

 今後は、新たな反ワクチンなどのカルト団体が子供への接種拒否などを行うケースも出てきていますので、そのあたりの支援も考えていく必要があるかもしれません。

・社会や常識への無知、未経験
 社会の様々な常識への無知や未経験について悩まれるケースもあります。特に冠婚葬祭に対して、宗教上の理由で避けることがありますし、クリスマスや正月、バレンタインや節分、お盆、誕生日などなどを禁じる場合もあります。

 さらにテレビ、映画、音楽などを見ることを禁止され、その当時の芸能事情に疎く、会話に参加しても自分だけわからない。現在の流行についてもまったくわかっていないなどなど、社会一般についての無知で戸惑うことも少なくありません。

 これらに対しても、話を合わせながら、徐々に学んでいかれることなどをお勧めしています。また、一般社会でも疎い方や知らない方も多くいること、一部知らないことをいったとしても社会はそこまで目くじらを立てないこと、また今ですとインターネット検索など様々な補完する方法があるので、そこまでナーバスにならなくてもよいことなどを説明しています。

・社会との関係について
 もう一つ問われるのが、社会との関係です。社会との関係に分厚い壁を感じられる方は多いですし、社会に順応できない自分へのいらだち、それゆえの孤立感、それらが宗教団体へ長らくいたことが原因と考えられることが多くあります。

 このあたりも、まず現在の状況と社会との関係、さらに社会への見方についてヒアリングしながら、それが他の社会の人々とのギャップがどれくらいあるかを測ります。

 宗教二世の方の社会へのご苦労については理解を示しつつも、社会とのギャップを感じることが、実を言うと隣にいる社会でうまくやっていると思う人ですら感じることがあること、そしてもしかすると、その人もあなたは社会と遜色なく、うまくやっていると誤解している可能性があることなどをお話ししています。

 これは宗教団体によって異なるのですが、私の扱うエホバの証人の宗教二世の場合、彼らのコミュニケーション能力や順応能力が高いことが多いです。一つは彼らの教義では一般の人々に宣教をするため、それら訓練を受けます。そのため、話の仕方はうまいですし、スピーチなど仕事でさせられると本人に自覚は無くても苦も無くこなす方も多いです。それが一般の人々がものすごく苦戦していることを彼らは知りません。

 さらに、宗教二世の場合、学校もしくは未信仰の家族や友人との間の狭間に常に立たせられます。そのため、その場その場に合わせた「使い分け」つまり「裏表のある生き方」をすることが多いのです。その「使い分け」を団体は常に批判し警告するほどです。これは見方を変えれば、社会への順応能力の高さとも言い換えられます。

 ただ、なぜ宗教二世がそういった能力を持ちながらも、社会に壁を感じてしまうかと言えば、教団によって植え付けられた社会観、もしくは世界観が関係しています。

 一般社会と自分たちをことさら対比し、自分たちがより優れていること、また一般社会を壁の外にあるもののように扱うので、その信者グループの中から一般社会に出てきたことが、彼らにとって壁の外に放り出されたように錯覚してしまうのです。

 そのため社会の無理解やズレ、自分に合わない、むしろ信者仲間の方が合っていたのではないかなどと思ってしまうと、社会の中での自分の場所が無いと感じてしまうのです。

 そのような場合も、その教団仲間というすごく狭い範囲(全人口の1%にも満たない)と一般社会という極めて大きい場所は単純比較できないこと。現在いる自分に合っていないと思ってしまう場所も、社会のほんの一部でしかないこと。さらに、一般社会で自分に合う場所がないかどうかは、まだ十分結論が出ていないのではないかということをお話しさせていただいています。

 さらに、無理に社会に合わせなくてもよいこと。社会も宗教団体とは違ってそういったことは要求してこないこと。社会の中で居場所がないのではなく、自分がいるというだけで十分居場所があるのだから、あとはそれを認めてくれる人間関係を少しずつ広げていければいいのでは、ということなどお話ししています。

・今後の生き方のアドバイス
 「教団をやめたのち何を目標に生きたらよいか」
 このような質問を受けることもあります。
 そのような場合、今まではきわめて限られた人生の目標もしくは目的に縛られてきたことをお話しし、今度は自分で選べるチャンスが来たことをお話ししています。

 もちろん、これは自分で考えなければならないので、難しいことでもありますが、それでも他者ではなく自分で考えられるということがすごく大切であるということを伝えています。

 せっかくの機会なので、すぐ聞いて答えが出るようなものではなく、自身で頑張って調べたり考えたりしながら、じっくりと取り組まれることをお勧めしています。

 その中には、宗教的なものではない、もっと実際的なもの、仕事や何かを学ぶこと、趣味や自分の興味について考えてみたり、その人その人が本当にやりたかった、あるいは本当に関心のあることに取り組んでいくと自分らしく生きられるのかもしれない、ということをお話しします。

 実際に、宗教二世がその信仰の生き方をやめてから、どのように生きるかは、本当に多種多様で、これといった答えはありません。ご自身が納得できる、その人らしい生き方が一番いいのではないか、ということをお伝えしています。

・建設的に考えるためのヒント

 宗教二世の方は、その経験や置かれた状況から、思考がネガティブになりやすいというところがあります。

 でも、せっかくご相談されたのですから、少しでもご自身の見方を建設的な方向になっていただければ、相談者としては、ある意味一つの目的を達成できたのだと思います。

 もちろん、お感じになっているマイナスな点については、否定することはすべきではないでしょう。それは、当人が感じている現実であり、また今まで誰も受け止めてくれなかった、心の中に深く刺さった感情なのです。

 しかし、それら感情と正面から向き合いながらも、今後をよりよくするための建設的な考えというのは、きちんと提示すべきでしょう。

 あなたは一人ではないこと、あなたを助けたいという人はまだいること、そしてあなた自身にそれをする力はあること、それをより積極的に行うことも十分できること、自分の人生を自分自身の責任で自分がコントロールしていくことは十分可能なこと、などをお伝えし、今まで受動的な運命を享受する姿勢から、自らの力で運命を切り開くこともできるのではないかということを考えていただき、能動的に物事を考える事の利点に気づいていただくようにしています。

・孤立することなく、味方を増やし、戦略的に課題に対応する
 宗教二世の抱える課題は多岐にわたり、その他の問題と複合的に絡み合い、増幅しながら、彼らを襲うものです。そのためこれに対抗するには、

・自分の中だけではなく、これまで蓄積された知識やネットワークなど使える手段はすべて使う

・あいまいな目標設定で「宗教二世の問題」に取り組むのではなく、問題全体を俯瞰し、より効果のある課題に集中しながら、本質的問題も徐々に解決するような戦略的な手法を使う

など、より良い方法で取り組むことが肝要です。

 特に孤立しないということは大切です。ほとんどの場合、宗教二世の問題が深刻になるのは、たった一人でその問題を自分の内に買い殺すようにして抱え込んでしまうからです。それを、一人で解決できる(もちろんそういった人がいないわけではないが)と高をくくるべきではありません。まず孤立させないことが重要です。

 また、宗教二世問題には、まだまだ相談者は少ないものの、味方となりうる人は、存在します。たとえ事情が分かっていなくても、その人が苦しみ困っていて大丈夫と思っている人は少ないでしょう。

 自分の味方になる人を選定し、その限界も考慮し、適材適所で利用していけばよいのかと思います。それには、公的な機関、信者以外の親族、法的な専門家、またカウンセラーのような方々も使えるでしょう。ただし、一カ所ですべてが解決するわけではない、どの場所で、どこまで使えるかを十分理解しないといけないわけです。

 これは個人がそこまで考える事ができないでしょうから、自身の課題を戦略的に取り組んでいく青写真を、相談者と宗教二世とで作っていくことが、今後必要と思います。

5.アフターケア

オフ会

 相談後によくあるご要望は、「他の同じような経験をした(同じ宗教団体の)宗教二世の方に会って話をしてみたい」というものです。

 この、ご要望があるたびに、私たちはオフ会を開いています。これは、非常に効果が高く、下手に相談に応じるより、こういった場で自分と同じような経験をした人と直接話し合うことで、いろいろな悩みが吹き飛ぶことさえあります。

 私も1990年代からこのようなオフ会を行っており、その後いろいろな人たちが主催され、いろいろな場所で、ある所では100名以上の元宗教二世が集まったりされています(現在はコロナ禍ということでリモート開催の模様)。

 これらも、宗教二世の回復に効果があると思います。多くに二世信者は、このような場に来られたことが、人生の転機になった、一生忘れられない出来事と語っています。その後もリピートされる方は多いですし、良いパートナーを見つけられることもあります。

個人の面談

 さらに、電話もしくはメールだけでなく、個人として直接会ってお話を伺いたいという場合もあります。

 それも、可能な場合はできるだけお会いするようにしています。電話口だけでなく、表情などから、現在の状況を知ることができますし、直接こちらを見ていただくことにより、安心していただけるというところもあります。

 基本は、電話とは変わりませんが、より突っ込んだ説明などもできますので、状況に応じて対応しています。

6.守秘義務

個人情報

 相談者は、期待される信頼を裏切らないためにも、守秘義務を絶対に守らなければなりません。特に個人情報に関しては、家族を含めた第三者に伝えることは厳禁です。

 基本は、相手の個人情報は取得しないこと、また電話番号なども記録せず、必要な場合はそちらから連絡してもらうようにしています。これは、たとえば、信者家族と同居してる場合や、家族に宗教二世だとまだ伝えていない場合、など先方の状況がほとんどの場合、はっきりしないためです。こちらが原因でのトラブルは極力避けます。

 仮に個人情報を伝えられた場合も、それら情報は厳重に管理し、他者に漏れないようにすること、また相談される方の要望で、第三者に伝える必要がある場合も、慎重に連絡するなどをしています。

相談内容

 相談内容についても、第三者に伝えません。それは家族にとってもです。

 ただし、その内容が他者の助けになるような情報、さらにそれら情報の蓄積が必要な場合、その人が特定されないように、慎重に改変して概要のみを利用することもあります。あくまでも、一般的な事例として使うのみになります。

7.トラブルが起きた場合

依存

 相談に応じていると徐々に相談の頻度が増し、半ば依存するような状況に陥ることもあります。

 このような場合も、邪険にすることもせず、一定の期間様子を見ています。多くの場合、徐々にフェードアウトされる場合が多いですが、こちらの生活を侵害するまでエスカレートする場合、時間や曜日を限定して、こちらから頻度などをコントロールするようにしています。

金銭問題

 これは私自身は経験はないのですが、例えば宗教二世の相談などで、お金を取るところも過去にはありました。また、貧困問題が絡むので、借金などを申し込まれることもあり得ます。

 このような金銭が絡んで、料金を払えないことや借金を返せないなどの問題が発生する恐れもあります。

 基本は、相談者が純粋にボランティアで。借入金の申し込みなども対応しないと、これら問題は発生しにくいと思います。

 せっかく助けているのに新たな問題が発生しないよう、金銭に関しては、問題にならないように厳密にしておいたほうが良いでしょう。

個人的な不和や対立、意見の相違による仲違い

 また相談者が複数いる場合、相談者同士、あるいは相談者と相談される方との間で揉めることもあります。

 私自身も掲示板などで運営者がトラブルになり仲裁に関わらざるを得なかったこともありますが、異なった人間が行うことですので、そういったことも生じうると考えておいた方が良いでしょう。

 そのうえで、そういった問題が生じた場合の対応について、事前にある程度のルールを合意のもと定めておき、基本はルールベースで対応しておくと良いでしょう。

 また、クレーマーのような相談者と一般の相談者を区別しておき、それぞれの対応をきちんと峻別しておく必要はあります。

恋愛感情や男女トラブル

 もう一つ問題になるのが、相談者と相談される方、もしくは相談者同士の恋愛感情による男女トラブルです。妻子ある男女との恋愛感情により、家庭が破壊されることも現実にあります。また相談者の中には、相談される宗教二世の信頼を自分の欲望のために利用しようとする人もいます。

 ですので、相談をされる側は、そのようなことがないよう、きちんとした考え方や方針を事前に明示すべきでしょう。例えば、相談される方が異性の場合は、原則として同性の相談者が担当したり、直接面談でのご相談の場合、問題にならないような環境下、頻度でお会いするなど。

 さらに、相談者の節度があるか、そういった状況に十分対応できるか、それとも相談者という立場を利用して、相談される方の恋愛感情をもてあそぶような人物なのか、相手によって流されやすいか、などは十分考慮した方が良いでしょう。

 せっかく良い相談者でも、そのこと一つで宗教二世の信頼すべて失うことも現実に起きています。相談者となられる方は、そのあたりも十分自戒し、このようなことが原因で新たに宗教二世が苦しまれることがないようにしていただきたいと思います。

8.外部機関との連携の必要性

相談者の対応の限界

 宗教二世問題の相談者は、現時点では、あくまでも「宗教二世問題」に特化した相談者だと思います。

 一方、これは複合的な問題であるため、それぞれの分野での専門家の助けは絶対に必要です。残念ながら、それら専門家の多くは、宗教二世問題をほとんど知らず、まだ安心して助けをもとめられないという現状があります。

 それで、もしこの文章を読む専門家の方も、ぜひ宗教二世問題について、きちんと知っていただけましたら幸いです。必要でしたら、こちらからもさらなる情報を提供させていただきます。ご連絡いただければと思います。

9.宗教二世の相談者になろうとされる方へ

 宗教二世への相談は、本当に息の長い粘り強い取り組みだと思います。一時的に「助けたい」という気持ちが盛り上がって、1年後に相談はあまり来ず、がっかりしてやめてしまう、というような方が多いのが現状です。

 それで、助けたいと思う気持ちも大切ですが、むしろある程度余裕を持ちながら、必要な時に必要な対応をできるよう、粘り腰のじっくり待っているような取り組みをされるとよろしいかと思います。

 また、よく仲間を助けたいという方に私が言っているのが、「ボランティアは左手でやるもの」本業をおろそかにするまで、行う必要はないというっことです。とくに宗教二世の多くは経済的に不利な状況ですので、相談される方に経済的負担をもとめることはあまり得策ではないこと、それゆえ宗教二世の相談を(公的な援助でもない限り)有償であるいは職業として行うのは非常に難しいと思います。相談者自身が、持ち出し・手弁当での活動になると思いますので、ある程度経済的にも時間的にも余裕があることが理想でしょう。

 また、横のつながりも重要と思います。この文章だけでなく、これ以外の色々な情報もありますし、あるいは教えていただきたいことも多くありますので、宗教二世の相談者のネットワークとしてつなげていただければ幸いです。

 まだ、宗教二世問題は、やっと日の目を見たばかりです、しかも、その相談者などもほとんど存在せず、経験の蓄積もあまりないのが現状です。今後、宗教二世が安心して相談できる場所を確保していくためにも、より多くの方が関心を持ち、宗教二世の相談活動に参加していただければ筆者としてこれ以上の喜びはありません。

10.悩まれる宗教二世の方へ

 まだまだ、宗教二世の方への対応は不十分な現状がありますが、同じ経験をされている方、また助けたいと思っておられる方は多くおられます。

 私どもは、主にエホバの証人の宗教二世の方々を対象に、相談を受けています。困ったことがありましたら遠慮なく、下記のサイトにある電話番号からご相談ください。

連絡先
(元・現)エホバの証人のための相談室
ピア・サポート 「陽だまり」
http://jw-peersupport.org/

秋本 弘毅
maa.skeptic@gmail.com

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