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四十九日越え

2020年6月9日ロックの日は、妻の四十九日。法要等を行う日であるが、納骨式まで我が家に置いたままにしている。四十九日までは魂が近くに居るというのでこの日は昔の頃の(まだ文字通り49日しか経っていないが)二人の平穏な普通の一日を出来るだけ過ごすことにした。

朝起きる。飼っている猫が判を推したようにするりと起きて、居間でコロリと転がり撫でて欲しいとニャーと鳴く。それを必ず撫でる妻、今日は私が代わりに撫で回す。

コーヒーを飲んで、少し雑務があるので外出をする為に着替えて行ってきますと言って、家を出る。

夕方頃、雑務も終わったので家路に着く。帰るまでの間今日は自分が御飯を作ろうと思い、家の近くのスーパーに寄る。私の料理のレパートリーはそんなに多くないけど、作る度に美味しいと言ってくれたのはトマト缶ベースにズッキーニや、パプリカ、オクラ、場合によってはキャベツと鶏肉を一緒に煮るトマト煮だった。なので、今日はそれにしようと思って食材を選んでいる時、急に店内で立ち尽くしたまま体が動かなくなった。

朝、今日は出来るだけ二人の時の様に普通に過ごそうと決めていたのに。。急に今の状況を客観的に見てしまったのだ。。たぶん近くに若めのカップルか夫婦が相談しながら食材を選んでいるのを見て、急に自分が滑稽に感じてしまい動けなくなってしまった。時間的には2分くらいだったと思うけど心の中では、早く戻れ!戻れ!と指令を出していた。

自分で今日の事を決めたのだから今だけは普通に過ごしたい。少し泣いてしまっていたけど、何とか、飲み物も二人分、次の日の朝パンも妻のいつも買っていた物があったのでそれもカゴに入れレジに向かう。会計を済まして家に戻り、トマト煮を作る。今は圧力鍋があるので大した時間も掛からず作ることが出来る。

完成したトマト煮を取り分けて、妻の前に置き、御飯を食べながら会話する。今日の料理の出来の事とか、他愛のない事を言っていたと思う。(完全に独り言になっているが。。)食べ終わって、食器を片付けて、猫と遊んで、ネットで調べ物して、おふろ沸かして、夜も遅くなってきたので寝ることにした。その日はベッドのスペースも一人分余計に空けて寝れる様にした。

お休み。。。  と言っても、逝ってしまってから寝つきが異常に悪くなってしまい中々寝れないので、動画を流しながらウトウトする。。。今日は、穏やかに夢に出てきてくれたら楽しいなと思いながら眠った。

何故か、その日は全然夢を見なかった。次の日になって目覚めてから少しだけだけど、気持ちが軽くなっていた。不思議だなあ。

この日を境に、逝ってしまった日からずっとその日が引き伸ばされたまま進んで一向に過去にならない感覚が少し緩和された気がする。過ごし方に何か鍵があったのか分からない。何かグリーフケアの手法でも知らず知らずに行っていたのかな?

ではでは。


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