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日記#53 野宿未遂、嫌な帰宅。Oさんのなんでもがん相談室 ※追記:クリスマスと年末の聖人


2023/12/16

 点滴受ける前提で予約していたホテルで医療用麻薬をキメた翌日金曜日。10時半にチェックアウトしたが、家に帰りたくなさすぎるので限界ギリギリまで帰宅を先延ばしすることにした。昼食を病院レストランで摂取、午後は寒風吹き荒ぶ空中庭園のベンチで寝転び、日が暮れてからは夕食をドトールで買ってラウンジへ。閉鎖する20時までそこで寝たり泣いたり泣きながら寝たり薬飲んで痛みと戦ったりしていたら出入口のシャッターが閉められてしまったので係の人に開けてもらったのち病院敷地内の川近くのベンチで野営することにした。

 退院時に処方された薬の束はすべてカバンに入れて持ち歩いている。その中から寝る前用の睡眠導入剤とアレルギーのお薬を発掘して自らに投与。ベンチに横になったけどすぐに眠気が来なかったので近くの市の文化センターで時間を潰し、21時半過ぎに眠気が来たのとセンターの閉鎖時間が近づいたのでベンチに戻って横になった。なんか夢を見た気がするけど忘れた。

 22時半過ぎに目覚めかけたらちょうどやってきた見回りの職員の人に発見されてしまった。身元を尋ねられたので外来の患者であることをお伝えした。そのおかげか通報は免れたが、病院の敷地内で寝られるのは…と、言いづらそうな感じで退去と帰宅を促されたので、ご迷惑をおかけした旨を謝罪しその場を失礼した。なんか雨が降る予定だって仰ったのがうけたので笑った。予報って言うのを間違えたのかな?天気が誰かの予定で決まってたとしたら面白すぎる。

 その後凄まじく眠かったけど駅へ向かった。時期的に忘年会らしきご陽気ムードの人々が割といた。普段利用しない時間帯の駅は人々の雰囲気も違うのだなと思った。繁華街でもない地味な地方都市だけど、それでも夜の雰囲気があった。ちょうどホームに来ていた準急に乗って最寄駅で降りた。寝過ごさずに済んでよかった。ビジホに泊まろうかと思ったけど、自宅10分圏内でベッドのために数千円も支払うのは馬鹿げたことに思えたので、でも差し当たり眠かったからバスターミナルのベンチで少し眠った。

 0時を回りかなり冷え込んできたので、渋々ながら家に向かうことにした。動くと眠気が強くなる。薬の周りが早くなるのだろうか。とにかくひどく眠いので、自宅まで3分くらいのところにある小さな駐車場で横になった。どのくらい寝てたか分からないけど、通りすがりのご近所会社員らしき人に声をかけられた。こんなところで寝てたら危ないですよ、と至極もっともなことを言われたので眠すぎたけど帰ることにした。その人とは方向が一緒だったので、途中まで一緒に帰宅した。荷物持ってくれようとしたけど悪かったので固辞した。私の家に至る坂の途中がその人の家だったのでそこでご挨拶してお別れした。多分前に貧血で行き倒れてたとき奥さん呼んで助けてくれた人だと思う。親切な人だ。奥さんもあの時夏だったからお茶くれたっけ。いい一家だ。ああいう人たちの家族だったら良かったのになあ。

 家の敷地に入って勝手口の鍵開けて家入って部屋に行ってコート脱いで着替えずにそのまま寝た。5時半頃まで目覚めずに寝た。起きてもまだ気持ちが辛かった。火曜日にくそじじいに罵倒されたり、妹の姑の人がその話や家族の事実に耳を傾けてくれなかったから。誰も自分を大事に思わないという事実が病気の辛さをすごく後押ししている。欲しいのはお金で買えるものじゃないから、私はお金に対して執着心をもったことがない。とにかく、起きても辛い気持ちだったらまた病院に相談に行こうと決めていたから、朝食を食べて着替えて休んで、9時になったのでがん相談支援センターの予約を取るために病院に電話した。

 電話に出たのは初回からこれまで毎回相談してきたソーシャルワーカーOさんだった。私が名乗ったら向こうもOさんだということを名乗ったのであっOさんこんにちは、とかちょっとアホみたいに挨拶をした。来週の予約となると、水曜日に緩和ケアとかペインがあるし今日相談予約可能かおたずねしたら、だったらこのまま電話で相談しましょうってことになった。木曜日に相談した痛みの件については大丈夫になったことをお伝えして、今回はちょっと込み入ってるというか家族のことで辛くなってるというか、ぶっちゃけ父親に罵倒されてきつくて、みたいに要領を得ないことをお伝えした。そして話が妹の姑の人のことに及んだらさすがにOさんもびっくりしていた。そりゃそうだよ。普通妹の夫の母親とか関わり合いにならんもん。なのにこのおばさん(と、敢えて侮辱の意味で書く)、私になんの関心もないくせに、軽い気持ちで会いたいとか言ってきて、そのくせこちらの話には真剣に取り合わず有耶無耶にしようとした。虐待とか確かにヘビーな話だけど、そもそもお天気の話レベルの世間話したいんだったら自分に無関係なひきこもりのがん患者に構うなよなって話。だから私はこのおばさんにとても腹を立てているし、傷付いたと感じている。薄っぺらな人間の薄っぺらな社交欲に利用されるのなんて大嫌いだ。

 まあとにかくそういう成り行きをOさんに説明したところ、親に虐待されたとかいう話をするのは私にとってもしづらい話であっただろうと仰ったのち、妹の姑の人が私の話をスルーしたのはどうすればよいのか分からなかったからという理由かも知れないと仰った。是でも否でもなくスルーというのは、自分が経験しない、分からない物事に対して人が往々にしてとる態度だということ。まあ、それは私も分かるよ流石に。少なくともその概要は。だけど、だとしても分からないなら分からないって言って欲しかったし、とにかく自分の言葉に対してきちきちんと反応が欲しかったのだ。その期待した反応が得られず嫌な思いをした、そしてその上でその人に罰則を与えたいのかどうかとOさんに尋ねられたので、自分の腹立たしく思う気持ちはもう相手に伝えたし、それに対する返事もなかったし、だったらもういいかなって思うことをお伝えしたら、ならばその人のことはもうそれで良いんじゃないですか、そもそも関わる必要も必然もない相手なのだし、と言われて同意しかなかったので、妹の姑の人のことはそういったあたりを落とし所とした。そもそもこのおばさんが何で私と会いたがったのか、今もって謎でしかないんだよね。なんなんだマジで。事故にあった気分だよ。

 だけど話が両親のことに移って、それは妹の姑の場合と同じではないと言われた。親は関わりを持たないわけにはいかないから。少なくとも今は。そしてその解決はただちに可能ではないし、今Oさんがどうにかできることではないとも。それは私も分かってる最初から。だから解決まで求めてなくて、でももう気持ちの辛さが限界過ぎてどうして良いか分からなすぎたから相談させてもらった。そうお伝えしたら、私はOさんと話すことで考えをまとめていると思うし、そうやって自分できちんと理解できる人だと思うし、差し当たりじぶんができることはないから、親の問題についてはまた心理士さんとお話してくださいと言われた。

そうだね、そのとおり。そうするよ。心理士さんと話して最後には自分で解決するしかない。知ってるよ。自分で答え出てると思うけどって言われたけど、確かにOさんが思っている、私が分かっていると思うことは分かっているよ。今回もちゃんと話聞いて相談に乗ってくれてありがとうOさん。お礼を言って相談を終わった。





 自分が誰からも大切にされていない、大事に思われていないという事実は確実に心を蝕む。他の人はどうだか知らないけど、私はそういうことでとても傷付く。だから今回父親や母親や妹の姑の人の言動で気持ちがかなり追い詰められた。立ち上がるのも苦慮するレベル。どっちかっていうと心的な意味で。でもそれで死んではならない。私は先生たちのプロフェッショナリズムに多大な敬意を払っているから。

 とても疲れた。来週水曜日までは病院の予定はない。水曜日になったらペインと緩和ケア。そこで話せたらいいけど。実は私はOさんにもGさんにもT先生にもキリスト先生にも誰にも、自分の心からの本心を話したことがない。誰に話すときも、相手が聞きたいと思う話だけをしている。嘘をついているという意味ではない。私がしたい話じゃなくて、相手がして欲しいと思っていそうな話だけを選んでしているということだ。そうしないと迷惑がかかると思うからだ。でもそういうのにももう疲れた。そんなこと考えないで、自分の話したい話を話したい。そうしても構わないと誰か言ってくれたらいいのに。でも言ってくれるか分からないから、そんな棚ぼた的な期待はせずに、自分でしたいと思うなら自分でそうするしかないのだろう。できるか分からないけど、来週の水曜日にはそれを目標にしてみようと思う。でないともうほんとうに疲れたよ。

 心底疲弊しているのでこの日記もここで終わり。読んでくれたあなた、ありがとう。いつも以上に読みづらい内容とレイアウトですみません。色々と気が回る状態では正直ないのです。こんな病人の日記ですが、よければまたおいでください。

それではまた、別の日記で。




追記:電車に乗って無印に買い物に行って、最寄り駅からタクシーに乗ることにした。待っていたら後ろに並んでいたおじいさん(80)が話しかけてきた。なんか同じ町内に住んでる人だった。小柄な奥さんと一緒にいた。お姉さんが亡くなって、たくさん泣いたってお話を何回もしていたら、奥さんが最近頭がアレで、物忘れが激しいって仰った。ご自分のお名前とか住んでるところまで教えてもらった。子供がいるのか聞かれたからいませんって答えたら、でもまだ若いんやろ?30代くらい?って言われたのでどうとも言わずニコニコしてたら奥さんがもー、見たら分かるやろ?学生さんや!って仰った。またしても若く見られてしまった。暗かったしマスクしてたのもあるのだろうけど、実際より下の年代に見られてばっかりしてる。プチ自慢。ビニール袋を持っておられて、持ってみ?って渡された。重たいやろ?って言われたけど正直そうでもなかった。でも足痛くて荷物重いからタクシーで帰るんだって。色々とお話してたら手、出して。って言われたから出したら、のど飴を1本まるごとくれた。俺は優しい男やで、だって。おもしろやさしい。奥さんとも仲良さそうで素敵だった。それから車が来たから手を振ってお別れして帰った。重苦しかった気持ちがスッと楽になってた。まるでクリスマスか年末の精が私に遣わした聖人みたいだった。

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