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【生成AI✖️教育】に賛成?反対?〜国際バカロレアからAI活用について考える


こんにちは、スケボー先生です!

本日は休日という事もあり、スキマ時間を見つけては大学院の課題を進めております。

そんな中、今日は大学院の講義でも話題に上がった、教育現場における生成AIの活用について、また私自身使ってみて感じたことなどを国際バカロレア(IB)の視点から綴っていこうと思います。



・IBのchatGPTに対する見解と私個人の意見

まず、IBにおいては生成AIの使用が許可されています

これについては、以下の記事を参照してください。

こうした背景もあり、大学院の講義でもchatGPT(3.5)を使ってIBについてまとめてみよう、という試みがありました。

ちなみに、私が働いている自治体では教員・生徒のタブレットやアカウントからchatGPTのページにアクセスすることは禁止(ブロック)されています…

もちろん「chatGPTなどの生成AIによって考える力や機会が奪われてしまう」、また「レポートやエッセイに関しても生成AIの活用が懸念される」など色々な意見もよくわかります。

教員という立場としても、手放しの状態で「ご自由にどうぞ!!」とは言えないな、と実感もしているし…。

ですが、私自身は教育におけるAIの活用は賛成ですし、その流れは止められないと思っています。そして実際に大学の講義でchatGPTを使って学習してみて「これならAIの活用はアリかも」と気づいた点がいくつか合ったので、この場で共有していこうと思います。


・答えを先に見て何が悪い!?〜演繹的・帰納的学習から考える

教育現場におけるchatGPTの活用について一番心配なのは、「生徒が考えなくとも、すぐに答えらしきものがわかってしまう」ということですよね。

でも、学び方にも演繹的な学び(=先に一般的な理論・原則・概念というフレームや答え、前提を確認した後、具体的な知識・事象を学んでいく)と帰納的な学び(=具体的な知識・事象を学んでいく過程で、それぞれの知識・事象を関連付けて一般的な理論・原則・概念に辿り着く)があります。

※演繹法、帰納法って具体的に何?っていう人は、こちらのページがわかりやすかったのでどうぞ。

教育における生成AIの活用とは、演繹的・帰納的学習の両方に活用できるのではないでしょうか?

chatGPTの出した答えを見て終わり、では意味がないのは確かです。
chatGPTが出してくれた答えを、ひとまずの一般的な答えだと仮定し、そこから知識や事象を深掘りし検証していく。そうすれば、演繹的学習の手助けになります。
また具体的な知識や事象を学びながら、それらを関連付けて理論や概念を仮定した際に、chatGPTを活用して自分の理論や概念の正当性を検討してみる。そうすれば帰納的学習の手助けにもなるでしょう。
(※IBにおいては概念を理解するために、どちらかというと帰納的指導・学習が良しとされています)

しかし、こうした可能性があっても教育現場で生成AIが受け入れられづらいのは、教育者側の「教育という営みにおいては、教師(知識ある人間)が生徒(無知な人間)に知識を教える」という固定観念あるからだと思うのです。

そもそも知識の量という点で言えばAIにはすでに逆立ちしても勝てないし、AI活用のグローバルな流れは誰も止められません。もし先述した一世代前の教育観(教師観)であるならば、それこそ教師の必要性ってAIにとって替わられてしまうでしょう。

これからの教育者にとって重要なのは、一人ひとりの学習者に対して、その人の学びをどのようにファシリテートし、アレンジしていくか、そこに教育者としての専門性があるように感じます。

だから生徒の生成AIの活用も、教育者側がどのようにファシリテートし、より効率的で実りある学びにしてあげるのかを考えていくことが重要なのではないでしょうか?


・「人間が理解する(した)」とはどういう状態かを定義する

IBがchatGPTの使用を許可している背景には、IBが重視する経験主義・構成主義(理解するとは、これまでの人生で構成し積み上げてきた知識や経験が、新しい知識や事象につながった状態である、という考え)があるのではないでしょうか。

つまり、「chatGPTを使用して答えが出た=使用者が「理解」した」にはならない、ということです。
経験主義・構成主義の観点から言えば、chatGPTが出した答えを自らの経験や他の知識と関連づけて「なるほどな!」となった状態こそが理解した状態、というわけです。

私も大学院でchatGPTにプロンプトを入力し、当時なかなか理解できなかった「IBにおける概念理解とは何か」という問いを投げかけてみました。
一応それらしい解答を出してくれましたが、「うーん、でも100%理解できていないな…」という状態でした。
この問いを「理解してきた!」と実感したのは、その後の大学院における協働学習や、色々な文献を読んでからでした。つまり、chatGPTが提供してくれる解答というのは理解への入り口にすぎず、理解を深めるためには自らの学習が必要だ、ということです。

だからこそchatGPTが教育で使われても、そこまで世間が騒ぐような大きな問題ではないように感じるのですが…皆さんはどうでしょうか?


以上が、IBのchatGPT活用における気づき・考察でした。
色んな教育、色んな価値観があって良いと思います!
ただ、私は限りある時間の中で効率的に学んでいきたい。であるのならば、教育における生成AIの活用も前向きに捉えたい、と思った次第です!


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