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ひとりひとりを見る授業でありたい

Google for Education認定トレーナー/コーチの笠原です。

昨日に引き続き、本日も今後の授業についてどうするかを色々と悩んでいます。少しずつ生徒が学校に馴染んできているからこそ、今後の授業のあり方が大きな影響を与えるのだろうと思い、あれこれと考えています。

本日の課題図書はこちら。

国語科教育に深く関わる方々のちょっとした論考が50本超並べられているという本になっています。

その時々によって自分にひっかかるものに違いがありますね。

授業で一人一人の学びを

今の自分の頭の中の状態だと、本書の中でも特に立ち止まって考えてしまうのが、千葉大学名誉教授の首藤先生の論考です。

例えば、こういう言葉に立ち止まって考えざるを得なくなります。

人には得意不得意がある。不得意も含めてその人の個性である。人は個性をもって学び、個性をもって成長する。そして、それぞれの個性を生かして社会参加する。それが、異質の他者が共に生きる社会である。

『これからの国語科教育はどうあるべきか』p.111

今の自分の授業のデザインを考えると、個性を認めつつも結果的に差異を強調して出来ないことまでも目立たせてしまうようなことになっているように思うのです。

ICT端末を用いる良さとして、一人一人が自分の得意なことにフォーカスしていっても、それを教員が見取ることが容易になることや、学習課題を提示するときにもアナログではないからこそ、幅を持たせて、子どもたちに選択肢を手渡せるという点を自分は大切に思っています。

ただ、ICTがいくらあったとしても、授業のデザインに競争や差異の強調が含まれていたら、やはり結果として現れるものは、何かどこか堅苦しい面も残ってしまうように感じています。

一方で身につけておいた方が良いことも数多くあると思うのです。昨日も触れたように抽象的な理解や思考は訓練するからこそできることですし、高校という発達段階として目指してみたいレベルだろうと思います。

何がどこで一人一人の子どもにとって切実な問題になるか分からないのです。だからこそ、授業者のあり方で何を伝わるかが変わってくることに怖れがあり、悩みがあり、次の授業をどうするか迷子になるのです。

週末の時間があるときに、試行錯誤し続けます。

自分のように授業のセンスが悪い教員であっても、人並みのことができるようになるのがICTの力だと感じています。

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