「PAST LIVES (パストライブス)/再会」 現世ではさよなら
じんわり味わい深い作品だった…少ない台詞の中に、懐かしさや、寂しさや、ほんの少しの期待みたいなのがぎゅっと詰まってた。
うまく言えないけれど、映像の作り方が美しいなぁと思った。単純に映像が美しいというのもあるけど、人物の配置とか、背景と人物の切り取り方がとても素敵。恋愛映画としても秀逸だし、アジア人のアイデンティティについて描かれていたのも好きだった。
あらすじ
⚠ネタバレと感想⚠
24年後に再会したノラとヘソンの2人の何とも言えない距離感の絶妙に歯がゆい感じがひしひしと伝わってきた。
12歳の頃、ヘソンは青い服を着ていて、ナヨン(ノラ)は黄色い服を着ていた。再会した時も青い服を着ているヘソンは、あの頃のままナヨンのことを想っていて、気持ちはあの街角でお別れしたまま止まっていたのかな、と思った。
ヘソンは、ノラに夫がいることは知っていても、忘れられない初恋相手との再会に期待もあったはず。「アーサーが良い人でつらい。」と漏らしたのはとても切なくて、とても核心をついていると思う。ほんのりあった期待も、距離に阻まれながらも繋がってきた縁も、再会出来た喜びさえも、揺ぎ自信がなくなるほどに、現世で隣にいるアーサーの存在は大きい。
アーサーは初恋の2人の間に現れるライバル的な存在でありながら、これまでの作品でよく登場する恋敵とはまるで違う。ノラが初恋の相手と再会することを止めることは出来ないと分かっていて静かに見守っているだけだ。
アーサーにとっては、24年間遠くても繋がり続けた初恋相手との再会の方が運命的に思えるが、ヘソンにとっては、短い期間でノラと結ばれたアーサーの方がより運命的に感じている対比も良かった。
この映画で一番印象に残っているのはラスト数分。二人は何も話さず、お別れの時、何を言うべきか、いろんな言葉が浮かんでは飲み込んだはず。大人になった2人は、あの別れ際に何を言うべきで何を言わないべきか、分かっていたんだと思う。最後には、ヘソンから別れを切り出す。
12歳の頃に言えなかったさよならを今度は伝えることができた。
ヘソンと別れた後、ノラが家に戻ると玄関先にはアーサーがいた。幼い頃の泣き虫ナヨンに戻ったように泣くノラをアーサーは優しく抱きしめる。
あの涙は、決してアーサーと別れてヘソンと一緒になりたかったとかではないけれど、ヘソンとの関係はノラの韓国人としてのアイデンティティ、昔の懐かしい思い出、故郷との繋がりだったから、それらと決別するのは、自分の一部を失ったような喪失感なのかもしれないと思った。
現世でヘソンとは2回さよならしないといけなかったのはとても悲しいけれど、同時に自分を優しく迎え入れてくれるアーサーがいることは暖かく、安心感がある。言葉ではなく、涙が溢れる切なくて優しいラストだった。
アメリカに渡り、自分の夢を持ち、野心的なノラも、完全に切り離せない韓国人としての自分がいて、アジア人であるという意識はアメリカにいるからこそ浮彫りになるはず。
再会したヘソンについて「KOREAN過ぎるわ!」と言ってはいたけれど、ノラ自身も大切にしている人と人の縁や、生まれ変わりを信じる仏教的なものを感覚的に理解し合えるのはヘソンなのかもしれなかった。
男女の関係にならないとしても、自分のアイデンティティの一部であり、忘れられないかけがえのない大切な存在とのお別れは寂しすぎる。
この映画、ノラかヘソンかアーサーか、誰に感情移入するかでいろんな見方が出来そう。みなさんは誰に感情移入しましたか。私はずっとヘソンに感情移入していた。
私には、「花束みたいな恋をした」とか「ちょっと思い出しただけ」とか、過去の恋愛を思い出すような作品を観るたび、思い出す人がいる。反芻するうちに思い出は美化されてしまっているとは思う。でもずっと心の中にいるのだ。
この映画を観ながら、そんな記憶の中の誰かと、やっと納得して、さよならが言える気がしていた。現世では、これで良かったし、過去があったからこその今だって静かに思わせてくれる作品だった。過去の縁をずっと心の中で繋ぎ止めていたけれど、現世ではもう繋がらない縁だと、心を解放できるかも、という気持ちになれた。
たくさんある縁の中から、現世で繋がる今周りにいる人たちとの縁の大切さを感じさせてくれるとても素敵な映画だった。
2024/4/24
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