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メディアの主食を決めよう~子ども読書の日に寄せて

 私が小学校教員であった頃、よくされた質問がある。
「うちの子が家ではなかなか本を読みません。どうしたら本を読むようになりますか。」
この質問に対して、私がする回答は大体いつも同じだ。
「お家の方も同じ本を読んで、一緒に楽しんでみてください。」

 低学年ならば、「今からでも全く遅くないので、読み聞かせしてやってください。」と答えたかもしれない。小学校といっても、高学年を担当することが多かった私にとってはこの答えが最良だろうと思われる場面が多かった。親は子どもに本を読んでほしいと願う。しかし、現実はそうはいかない。全国学力・学習状況調査には、毎年「読書をするか」調査しているが、コロナ前2019年の調査では「平日1日あたりどのくらい読書するか」の結果は、30分以上する児童は全体の40%だった。この状況を、一度子どもの目線から捉えなおしてみたい。子どもが本を手にとる時というのは、子どもの目に本を読むことが魅力的な活動にうつった時だろうと思う。小さな頃から読み聞かせられて、一緒に本の前で笑顔になった経験が多い子どもがもつ、本に対するプラスのイメージは大きいだろう。自分から本を手に取るためには、「いかにも楽しそうな原体験」や「それにまつわる記憶」が必要だ。また、子どもから見て身近な人が読書をしている場合に、子どもの読書量が増えるという調査を以前に見たことがあった。親は読むけど子は読まない家庭は、もしかしたら親は難しい顔をして難しい本を読んでいるのかもしれない。

 私は、もう一つ、子どもに本を読んでもらいたいと親が願うのであれば、考えなければいけないことがあると思う。それは「メディアの与え方」だ。
食事は体づくりの基本であり、一汁三菜の和食文化が健康的だという認識が世の中に広まって久しい。我々の主食であるお米を軸にして組み立てられ、そのバランスの良さが評価される。食事が体を作る、この考え方を、頭を作ることで考えてみよう。何が頭を作るのか。様々な要因があって非常に多角的な見方ができる問いだが、ここでは「何らかの情報をインプットするメディア」を食事に見立てて考えてみたい。メディアというと、今回話題にしている本以外にも、色々ある。新聞、テレビ、パソコン、ネット環境にあるゲーム機、タブレット端末…。この中のどれが主食を担うべきかと考えた時に、私はやはり「本」をその役割に据えたいと思う。

 ここからは完全に私の妄想。「テレビ」はいつもそこにあり、手軽で、インプットも進む、いわば汁物的な存在。敬遠されがちだけど重要な栄養素(情報)がたくさんある「新聞」は、野菜の煮物。自己都合でおいしいのがインターネットの情報の常で、「パソコン」「タブレット端末」などは主菜のお肉か。インターネットに接続することでメディアとしての存在も確立した「ゲーム機」はさしずめデザートか。ほら、完全に主観的な妄想だが、何となく「本」が主食だと「健康的」な気がしないか。ここで挙げておきたいポイントは、食事と同じで「本だけでは足りない」とも考えていることだ。令和の時代に、インターネットに一切触れないようなメディアの扱い方ではそれも後々困ることがあるだろう。でも、それだけでいいのか。お肉だけ、デザートだけを食べ続けてどうなるか、誰でも食事ならすぐに分かる。要はバランスなのだ。

 食事ならば、子どもが小さければ小さいほど「どう与えるか」を親がしっかりと管理しているものだと思うし、日本の子どもは18歳を過ぎる頃まで、親の管理の域から出ることが少ない。でも、なぜだか「メディア」を与えることについては、管理がずいぶんと甘くないかと感じる。先日拝読したベストセラー書『スマホ脳』には、アップルのスティーブ・ジョブズ氏は自身の子にはiPhoneの利用を制限していたというエピソードが紹介されており、開発者であればこそ「与え方」の難しさを知っていたことを示している。


 うちの娘がまだ離乳食も始めぬ頃に、母親から離れるとあまり激しく泣くので、食事中もバウンサーに乗せて近くで過ごしていた。すると、我々の口元を見て娘ももぐもぐと口を動かす。それを見て思わずこちらが笑顔になるし「早く食べれるようになって大きくなれ」と声をかける。離乳食が始まってもなかなか食べなくて悩む親の話も聞くが、うちは比較的スムーズに離乳食を食べてくれたのは、小さな頃から「食卓は楽しい」「食事は成長に重要だ」と刷り込んできたからだと思っている。メディアも同じなんじゃないか。親と一緒になって「楽しいね」「ためになるね」「面白いね」と過ごした時間を素晴らしいものと感じ、その時親と子の間にあった本を主食とみなし、どんどん自分から摂取しようと手に取るのが、子どもから見た景色なんじゃないかと感じている。

 自分の子どもの頃を思い返してみると、私がなぜよく本を読んだかというと、それが「最も安価な娯楽」だったからだ。父親は「本だけはいくらでも買ってくれる人」だった。TVゲームも大好きだった私なので、数百円のおこづかいを長い時間をかけてためる根気もあったが、次のゲームが買えるだけのお金がたまるまでの間は本を読んで過ごした。今思えば、私は親にうまいこと自発的に本を手に取らされていたということになる。もちろん感謝の気持ちでいっぱいだ。

 今日4月23日は子ども読書の日だそうだ。地域の子どもが、日本中の子どもが、たくさんの本に触れ、豊かに育っていく社会を実現したいと心から思う。

【参考文献】

平成31年度全国学力・学習状況調査 報告書(国立教育政策研究所HP)

『スマホ脳』 アンデシュ・ハンセン著 新潮新書


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