見出し画像

「不登校を予防する」に対する本音

不登校は予防できるか?

 増え続ける不登校。昨年度調査の約29万人をはじめ、数値的な上昇は留まるところを知らない。

 それに対して、文部科学省の方針は「不登校の予防としてのICT機器の活用」や「不登校が増えないための魅力ある学校づくり」など、これ以上不登校児童生徒の数を増やしたくないという意識による施策が目立つ。

 私が参加する自治体の会議においても「なぜこんなに増えているのか」「原因は何なのか」と質問する方がいらっしゃるが、「学校に行きたくない理由」は個人で異なることはもちろん、自治体や学校単位で「全体の傾向」をつかめたとしてもそれで増加に歯止めをかけることは難しいだろうと感じる。

 そもそも、不登校は「予防」するものなのだろうか。
 私はそう考えない。その理由は主に2つだ。

①原因が分からないものを予防できない
 「予防」と聞くと、病気にならないためにできる具体的な行動を想起させるが、「かぜの予防」ができるのは人間がかぜになるメカニズムが解明されているからで、先述の通り、千差万別の理由がある「不登校」を集団に対しての何らかのアクションをもって予防するのは不可能だと思う。

 ある程度自分の気持ちを言語化できる年齢に達していたり、具体的なつらい出来事があって嫌になったなどがあったりすれば、それが「明確な理由」であり、それを取り除くことでまた学校に行くようになるということはあり得る。

 ただ、そういう例は決して多くはない。これまでに出会った不登校児童生徒で学校に行かない理由の最も多いものは「なぜかは分からないけど行けない」である。
 これまで本当に分からない場合と、この気持ちに該当する言葉を知らない場合があるが、どちらにせよこの状況をいきなり打開することも、この状況にならないように予防することも不可能である。

②「予防」という言葉の裏にある意識
 私は、そもそも不登校という状況に対して「予防」という言葉を使うこと自体に大きな違和感を感じている。

 予防すべきものは「避けなければいけない状況」「できれば避けたい状況」である。私自身、不登校がその状況にあたるとは思っていない。
 「教育機会確保法」が施行されて早6年。世の中では意識が少しずつ変わりつつあり、「学校にこだわらなくてもいいから、自分なりに日々学んでいこう」という態度の重要性が浸透しているところなのに、不登校を「予防」しようなんて「文部科学省は、結局のところ子どもは全員学校に行くべきだと言いたいんじゃないか」と思われても仕方ないだろう。

 不登校が不幸なのではない。ここに示されるような世間の意識こそが不幸を呼ぶ。
 不登校だから辛いのではない。「予防」なんて言い出す大人がいるのが辛い。
 不登校を取り巻く子どもたちの心の傷は、世間や社会が生み出していることを強く認識した方がよい。それを先導しているのが、「予防」という言葉を積極的に使っている国であることも見逃してはいけないと思う。

子どもが救われるなら信念を曲げられる

 上記のように、私自身は、「不登校予防」なんて言葉を使いたくはないし、その発想によって生まれる苦しみがあることを、多くの人に理解してほしいと思っている。
 ただ、一方で、子どもたち中で「毎日学校に行っている、いわゆる普通の学生となって、親にも世間にも心配されたりギャーギャー騒がれたりしない生活を送りたい」と考えている子もいるだろうとも思う。

 私はフリースクールを運営していて、日々不登校に関して多くの問い合わせを受ける。4月5月はお問い合わせ件数が非常に多く、相談や見学の予約も立て込んでくる。しかし、見学には来ても、入会や通学につながるケースはほとんどない。
 それはなぜか。答えは明確で、世間的には「フリースクールは学校ではない」からだ。
 親はできればフリースクールに通う我が子を見たくはない。子は子でそういう親の意向を察して気持ちよく通うということにならない。そんな意識を毎日のように露骨に感じて、私は自分自身が提供しているものの、世間における価値や位置づけの低さに頭をくらくらさせている。

 保守的なこの土地で、子どもを救い続けるには、この土地に合ったやり方を模索しなければならない。私の考えは正しいと信じているが、正しいだけでは子どもにつながることができない。マクロに他責している時間はない。子どもたちのために、フリースクールの機能をより大きな声で宣伝していこうと考える。

不登校予防としてのフリースクール利用

 学校にずっと通い続けることは、それ自体非常に大変なことだ。時には、学校以外の場所で自分自身を見つめ直すことで、通い続けやすくすることができると思う。そういう意味で、はっきり言って、フリースクールは「不登校予防」としての利用価値もかなり高いと思う。

 行き渋りや不登校初期の児童生徒が、月に数回ほど単発で利用し、ゆっくりと自分のペースで過ごすことで、また学校で頑張るエネルギーを貯めることができるからだ。

 そういう子が、上記のように無用なストレスから解放され、自分自身のことを「普通」だと感じて安心できて、心の平穏とともに生きられるお手伝いができる可能性があるなら、私は私の小さな信念など曲げて、「フリースクールの定期利用で、不登校を予防、完全不登校の発生を抑止しよう」というキャンペーンも打ち出してしまおうと考えた。

 特に、私たち「みんなの学び舎ことのは」がこの4月から「地域教育の拠点/シン・フリースクール」として始めた「利用コマ数に応じた月謝システム」は、月に数回の単発利用と相性がいい。
 たまに来て、他の子たちと精一杯遊んで、多様な体験をして、私や同じ立場の子どもたちと思いを語り合って、十分に発散して学校に戻る。
 そんな利用もありだよと、この地域で学校に通うことがしんどくなってきた全ての子どもに伝えたい。

 子どもの成長は、待ったなしだ。世間の成熟や政治的・自治的な世代交代も待ってはいられない。今困っている子どももタイムリーに救っていく。それが、地域に出てきた私の仕事だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?