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小エッセイ◇2月はわたしから奪い、そして与えた

2月も25日まで、静かに確実に、日にちが流れていった。社会のいろんな人たちにとって(日本に限ったことではなく)、2月とは、長い冬の、どんなひと月だったのだろう。

わたしといえば、2月のはじめに、こんなことを書いていた。

世の中が、逃げるように駆け抜けていきたい—-そんな様相にさらわれていきそうな「逃げる2月」に、自分の思いのとおりに動くのは、そう、やっぱりきっと、いいことなのだ。

記事を書いてから20日ほど過ぎ去った今も、そう思っている。

わたしは2月のはじめに、新たなアイテムを手に入れていた(上記事参照)。直接的には書いていないが、【目的地】も頭の中にあった。

今月をできるかぎりに、無理のない範囲に生きてみたら、その【目的地】は、当初想定していたものとは、少しちがう場所になった。それでも、【アイテム】は、入手しておいた意味があったにちがいない。

わたしはどんな道を歩いていたのか?その結果、どんな【目的地】にたどり着いているというのだろう?

いまここで言えるのは…【ニュー・アイテム】をひっさげたわたしから2月は、

いくつかの要素をうばった代わりに、ひとつの要素を与えた---

その「ひとつ」というのは結構だいじな要素で、たぶんこれから先、こぼさないように、自分の心の中の手のひらで、そっと包み込み、育てていかなければいけないようなものだと、本能的に感じている。

反対に、うばわれた要素…と言えば大袈裟だけど、でもやはり、ひとつ手に入れる時には、得るだけで済む、というようには、世の中というものは成っていないようで…。それらの【わたしから出ていった要素】はおそらく、得る、ということに伴って生じる、いろいろなのだろう。そうなるしかないのだろうと、納得する。いつかもう少し、こういう「仕組み」というものが、もっと見えてくる時がくるのだろうか。

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「ひとつ」を手のひらにつかんだ、その実感は確かにある。

「自ら、動いた」2月。その目的地、到着地点としては、ひとまず【ここ】のようです。

______さて、3月。

こんどは自分のまわりの景色も、動き出していくだろうか。

sao






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