Sショート|陽と、少しの時間飛行
一年前、今日のことなんてまったく、想像できなかっただろう。
予言などできないのだから、それはあたり前だ。
でもそもそも、どうなっているのか、という発想さえ浮かんでいなかった。
いつも、だいたいがそうだよね。
つまり、
あとから写真や日記なんかを見返して、「あのときは、こうだった、そういえばこんなことをして、こんなことを思った」と気づく、ってこと。
想像もしていなかった未来の今日なのに、なぜいまこうやって、一年前の記録を見つめながら、「違和感」なんて感じるの?
その違和感は、どこから?
この写真に映る自分は、自分ではない?
それとも、今ここにいる自分が、自分ではない?
*
過去のどんな種類の思い出にふれる時でも、無意識に、「比較」という要素をもち込んでいる。
ただ過ぎた日々としておけばよいのかもしれない、過去という、時を経るほど不明瞭で、不安定なものに対して。無意識に、そうしている。
この「無意識な比較」に意味があるのかなんて分からない。
それによる「違和感」が誰のためになるかも分からない。
*
奇妙だね、時を超えて、過去と現在の話なのに。
こんなふうに考えるなんて。
時を超えても、同じ陽は昇る、また一年後も同じ陽が。
それ以外は、想像が及ばない。
sao
◇◇スーパー・ショート・ショート(SSS)にお付き合いいただき、ありがとうございました!◇◇
ありがとうございます!幸せな表現ができるよう精進します*.。*