INSPIREDを実践し始めた話

INSPIREDはもはやプロダクトマネージャーやプロダクト開発組織のバイブルと言えるくらいの支持を得ているようで、Xなどでもよく目にするようになりました。

ただ、知識として知っていることと、実践することは全く違います。更に言えばINSPIREDが重視するアウトカムというのはまさに実践の話で、読んで知識を得るとか人に説明できるというのはただのアウトプットでしかなく、INSPIREDを読んでそれっきりというのは皮肉なことにINSPIREDで否定されていることとほぼ同じ意味に思えます。

事実そういう読者が多かったようで、INSPIREDで書かれたことを実践するのに必要なことが書かれたEMPOWERDという続編が出ています。簡単に言えばそういうことやりたくても権限がないとか実力が足りないといった課題がたくさん出てきたってことです。

私自身は幸運にもINSPIREDに書かれた「製品開発チーム」を実践する機会を得て、今も継続中です。まだやり始め段階で成果を出すには至っていませんが、正しいことをやっている実感があります。

具体的なINSPIREDが勧める仕事の方法論についてはいくらでもブログやSNS投稿があるでしょうし、何より書籍をそのものを読むことができますので、ここではいかにして私がINSPIRED実践の機会が得られたのかを紹介しようかと思います。


理由1: Engineering Managerが本シリーズのファンだから

いきなり再現性のない話から始まりますが、再現性が無いと分かるのも大切なことかもしれないです。

私が担当している製品領域のEMが「INSPIREDシリーズは素晴らしい」とよく社内で啓蒙していました。彼のSlack投稿を見てどれだけの人が興味を持ってINSPIREDを読んだのかは不明ですが、とにかくINSPIREDの世界観を実践してみようじゃないかという姿勢をボスをが示し、周りのメンバーも「まあボスがそこまでやるべきというのであればやってみるか」というあまり積極的ではないトーンから検討が始まったというのは事実です。

ただ、これはかなり本質をついていて、何事もリーダーが自分の言葉で語って人々を惹きつけるエヴァンジェリズムを見せないと組織的なChangeを起こすのは難しいということだと思います。傭兵じゃなくて熱意あるエヴァンジェリストであれというのもINSPIREDの教えですしね。

理由2: プロダクトマネージャーとシニアエンジニアがやる気を出したから

ボスだけがやる気でも、部下たちが付いていかずにお蔵入りになる企画は世の中星の数ほどあると思いますが、当社においてそうならなかったのは、そこに積極的についていくとする中心人物が何名かいたからに他なりません。リーダーというのは常に孤独な存在であると言われますが、今回は彼を支持する動きが発生しました。

そのうち一人=プロダクトマネージャーは私自身です。ではなぜ私が能動的に動き出したかというと、下記の通りです。

  1. そのEMに「PdMとしてこの施策をリードしてください」と名指しされたから

  2. メンバー間の共通する価値観(敢えて大袈裟に言えば宗教みたいなもの)がある方がいいと思ったから

  3. 面白そうだったから

  4. 入社して日が浅く失うものがなかったから

実は私はまだINSPIREDを読んだことすらなく、そこまでボスが言うならば買って読んでみるかと思って読みだしたら「こんな高度なこと無理じゃね?」というのが率直な感想でした。とはいえ10人近くのチームで組織的に動くにはみんなが共通して持つ価値観はあるべきだとも思いました。

その背景としては、この会社には暗黙知が多くて入社1年足らずの私にとって何が正しくて何が不適切なのかがよく分からず、ちょくちょくエンジニアや上司にそれ違いますとか言われることがありました。それが私にとってそれなりにストレスだったこともあり、じゃあボスが素晴らしいと信じるINSPIREDを自分やチームメンバーが信じればそういうズレは起きにくくなると思ったのです。

また、新しいもの好きな私は、単純に面白そうだと思いました。EMPOWERDで書かれている通り、世間がベストプラクティスだと認めているメソッドでも、それを本当に実務に取り入れる機会ってあんまりないのですよね。これだけ人気のある書籍に書かれていることをみんなで学びながら試行錯誤していくのはなかなかエキサイティングなのではないかと。
ちょっと捻くれたことを言うと、いつまた別の会社に行くかも分からないのでSaaSのプロダクト組織ならば誰もが知るINSPIREDを実践した経験というのは面接で評価されるかもねというのもありました。

正直言うとシニアエンジニアたちがやる気を出した理由はあんまりよく分かっていないのですが、だいたい私と同じような感覚なのだと思います。エンジニアの特性として理論的に説明が付くデータやユーザー調査のファクトに応じて作るものを決めたいという気持ちはもちろんあると思うのですが、しっかり顧客を理解したいとか優れたメソッドを使った経験を積みたいというのもあるかもしれませんね。

はっきり言うとエンジニアがやる気出さなかったらINSPIRED式は絶対に失敗します。エンジニア自身が「PdMが決めたもの作ればいいでしょ」という気持ちだとまさに「傭兵」そのものですね。今回エンジニアとプロダクトマネージャーの両輪が前向きになったという、我々のパッションや目論見がエンジンをかけてくれたという気がしています。

理由3: それ以前の開発が大きなアウトカムを出せていなかったから

売上増スピードが落ちていたこと、主力製品の競争力が落ちてきたこと、その割には価値訴求したい新機能が大して顧客に使われずチャーンレートや失注がそこそこ起きていたことが挙げられます。

端的に言えば既存のやり方が上手くいっていないから、新しいやり方を始めるのに文句を言う人がいなかったわけです。

これはある意味どこの会社でも再現性が高いと思います。アウトカムバリバリ出せている製品はすごく少ないからです。売れているのとアウトカムが出ているのはイコールではなく、1~2割の機能の顧客価値が強力で、残り8~9割の機能やユーザービリティがグダグダでも売り物として成立するケースは私の経験上たくさんあります。

PdMとしては耳が痛い話ですが「ロードマップ通りに作っていてもMRRは増えない」という火の玉ストレートをぶつけてくるエンジニアがいたりとかして、エンジニアとしても危機感を感じていましたね。まあ実際そんな感じだったんですけどね。そういう直球で意見を言い合えるメンバーであるというのはとてもありがたいことです。

逆に言うと、MRRが右肩上がりでイケイケドンドン状態だとわざわざリスク取ってやり方を変える意味はどこにあるの?って話になる可能性が高いでしょう。

理由4: 特定のチームの中だけで小さく始めた

当社のマイクロサービスというか開発組織は10個くらいあるのですが、INSPIRED式を取り入れたのはそのうち1つだけです。私がPdMやっている他のチームでは話題にも上げませんでした。
その理由は、私のキャパ的にそこまでやるのは不可能なことと、別チームのEMやPMはINSPIRED実践に興味が無いからです。仮に私が「INSPIRED式すごくいいからやりましょうよ」と言い出しても、それを各チームでやり始めるにはとてつもない労力がかかります。というか、実質不可能です。

みんな大好きなリーンの世界観の通り、何事も小さく始めるべきです。そして、他のチームがやっていることを変えさせようとする必要は基本的に無いと思います。もしも私たちのチームが大きな成果を出せば、自然を横展開が始まっていくでしょうし、明らかにいい方法論を持っているチームがいるのにそれを真似したくないという人たちであれば、それはもう仕方ないねって感じです。

振り返り

私はバックグラウンド的に単価の大きい大企業と直接話してそこから学んだことを製品に反映するとかリリースされたものを自分自身で提案して仮説検証を深めるといったアナログなスタイルが得意です。

逆に、データ解析して俯瞰的にプロダクト全体の状態や利用状況を見るというのは苦手です。ただあまり高度なクエリを書けなくても、GAのWebページで少々情報を見るという程度でも、何も見ないのに比べれば雲泥の解像度を得られると思っています。

意外とデータを見ないで意思決定している開発組織って多いんだな、リリースしてからまめに統計見ないプロダクトマネージャーもいるんだなというのも学びました。

はっきり言ってトークが上手くて要件定義やユーザーインタビューできて、それでいてSQLマスターみたいな人って世の中ほとんどいないと思うのですよね。もっといえばそれでいてビジネス面への興味が強くて商談参加に積極的、営業などのビジネス部門の話をよく聞いて学ぶ、MRRやNRRといったビジネスKPIと機能利用率を結び付けて仮説建てして検証するみたいなINSPIREDなレベルになるともう無理っしょそんなのって感じです。

製品開発はチームで進めることなので、自分ができないことは、製品開発チームの誰かがやってくれればいいと思うのです。大切なのはパッションです。

最後に

INSPIRED式を実践し始めてからものすごく忙しくなりました。それもINSPIRED序盤に書かれたことですね。事実になりました。

もともと商談参加やエンジニアとのMTGやPRD作成なんかを日常的に行っていましたが、そこに「それまでほとんどやっていなかった」データに基づいた仮説検証やユーザーインタビューといった仕事が積み上がってきたので忙しくなるのは当たり前なんですよね。

もう残業上等で突き進むのみって感じです。実はこれが一番やっかいなハードルなのではないかと思っているのですが、仕事量が大きく増えることを覚悟で取り組むメンバーがいるかどうかにINSPIRED式が根付くかどうかはかかっているんじゃないかと。
理論的には「それまでやっていなかったこと」をやるには「それまでやっていこと」を止めるしかないのですが、そんなホワイトなオファーをくれる会社ばかりではないでしょうし、それならば今まで通りのやり方を続けろってことになる方が普通でしょう。

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