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たそがれるのが好きなだけ

朝5時半に起きるようになって、1年たった。

5時半起床、諸々の準備をして6時過ぎに家を出て、電車に乗って7時過ぎに会社につく、というのが毎朝の流れだ。

小学生の頃に買った学習机に向かった。そこには各種美術展のポストカードが並んでいる。その横にある資生堂の乳液を顔につけた。机に置いていたポーチから道具を出そうとすると、カチャカチャとぶつかる音がする。パレットを開けて、色のついた粉を頬や目元につけていった。時間がなくて、ポーチに道具をしまいきれないまま、部屋を出た。

冬の時期は、真夜中のような空気の中、外に出ることになる。玄関を出ると、冷たい空気があっという間に身を包んだ。本当は、布団の中でどろどろに溶けていたかったなあ、という怠惰な気持ちになる。その気持ちは息を吸うたびに、見た夢を忘れていくかのように頭からこぼれ落ちていった。

ふと、少し傾いた月と目が合った。

星々と私の間には、大気などの空間以外何もさえぎるものが無いのだ。ということに思いをはせる時間も、大人になった私には全くないのだ。と、足早に車両に乗り込んだ。

電車から見える景色は真っ暗だ。

マンションのドアを照らす行儀よく並んだライト、パーキングエリアの看板、誰もいない歩道橋の明かりなどが、黒い紙に白・赤・黄の絵具で点を付けたように瞬いていた。

そのうち、山を縁取るようにオレンジ色の光が差してくる。山の背景の空を染めていった。真っ黒だった街が、輪郭を取り戻してきた。

「早起きすると、世界を独り占めしたような気になる」

と誰かが言っていたっけ。

ふと電車の中を見渡すと、早朝とはいえ混み合っていて、独り占めとはいかなかった。空調のムッとする生暖かい空気の中、みんな眠そうな顔をしている。脳のスイッチをオフにしているかのようだ。中には眼鏡をかけ直しながらスマホを連打するサラリーマン、眉間にしわを寄せて目を閉じるニット帽の男性がいた。 部活用の大きなリュックを背負う短髪の女子高生もいて、リュックには後輩が縫ったのであろう、フェルトの小さなぬいぐるみが十数個もぶら下がっていた。

「先輩今日も厳しいのかな。朝練キツイよね。」といった女の子たちの苦労話が、起き抜けのデリケートな頭に響いた。「もうすぐ月次会議だ。参加したくないな」と社会人も話していた。

そんな中、ひとり外を眺めている時間は、ほんの少し贅沢だ。電車の中にいる人たちの存在も、イヤホンをしてジャズを流すと、遠くの方にかき消きえていった。

時間がたつと、電車も都会に近づいていく。景色は住宅マンションから商業ビルに姿を変えていった。赤い空は色身を抑え、ビル間からちらりと覗くだげだ。だんだんと空は明るくなり、夜から朝に変わるときの空気が街に流れ込こんでいった。煌々と灯っていた街灯や車のライトが、ちょっとずつボリュームを弱めてくる。

早朝と夕方過ぎにやってくる、この青い空気で包まれる時間が一番好きだ。うっとりとした魔法が、世界を包む時間だ。空気が濃紺から透明へと色を変えて流れていくこの時間は、恍惚とひたっているうちに、味わい尽くす間もなく、過ぎ去ってしまう。

トラックがライトを点滅させている様子が見えて、「こんな朝早くに、もう働いている人が いるんだな」と他人事のように思ったあと、職場が近づいてきていることを思い出す。憂うつが立ち込めてきた。

仕事は嫌いじゃない、たそがれている方が好きなだけ。

さあ、降りる駅に着いた。

電車を出ると、澄んだ空気が鼻を刺した。 それを眠気覚ましに、胸いっぱいに吸い込んで、今日も一日を始めるのだ。

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