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就活のESを書きながら文系・理系について考えていること

いよいよ留学も残すところ1ヶ月を切りました。
というわけで残されたフィンランドでの時間を思い切り楽しみたいところなのだけど、ちょうどサマーインターンの応募がぼちぼちと開始されてESに取り組み始めています。

今日はESを書きながらぼんやりと思っていることについて。

いわゆるガクチカや自己PRで私が書いている内容を改めて見直すと、社会学部で勉強したことは一切登場せず、DDP(データ・デザイン・プログラム)やアールトのSchool of Engineeringで習得したソフトウェアとかプログラミング言語とかのスキルがずらずらと並んでいるなーってことに気づく。
確かにESで『社会学部で”社会のメカニズムは信頼によって成り立っているのである”ということを学びました。』とか『文化人類学の授業で”贈与とは魂のやり取りをする営みなのである”ということを学びました。』って言われても、採用担当者も困っちゃうだろうから当たり前なのだけどね。実際私だってこの手の文献を読んでるときは一体なんの役に立つのかも分からなければそもそも何を言ってるのか訳も分からなくて、うんざりした記憶はたくさんある。
でも社会学部生として私がそういうことを学んだのは事実だし、純粋に知を愛する営みとして面白いなとも思った。

ところで、私が大学で文系に進んだのはとにかく数学が苦手で文系を選ば"ざるを得なかった"という理由もあって、それゆえ理系に対してコンプレックスを持っていた。だから大学に入って以降、そもそも文理っていう区分って何なんだろう、社会学部って学問の世界ではどういう位置づけなんだろう、各分野同士はどんな関係になっていくのが理想なんだろう、みたいなことには結構興味を持って調べたり考えたりしてきた。
学問分野の歴史自体たどってみると壮大だし、分野の分け方だって色んな説があって結論は出てないからざっくりだけど、文系の学問は「一見すぐには役に立たないけど、社会が変な方向に向かっていったり技術が独り歩きしたりすることを防ぐために必要な学問だ」と思っている。
理系はHow、文系はWhyを学ぶ学問という表現をされることも多いけど、例えば理系の人が「とにかく速く走れる車を作ろう!!」ってことに夢中になっているとき、「そもそもなんで速い車が必要なんだっけ?」みたいなことを考えているのが文系の人たちという関係性なのかなと。確かに文系の学問は理系に比べるとすぐに価値を提供してくれるような便利なものを作り出すことは得意ではないかもしれないけど、理系の人が作れるものをもっと社会にとって価値のあるものにするためには、それがなぜ必要で、どう使われるべきなのか、を考える人も必要なんじゃないかなと思う。

だから社会学部に通いながらDDPや留学先で工学系の授業をとった身でESを書いていると、「あれ、私って社会学部生なのにそのアイデンティティはどこ行った?そこでの学びは求められていないの?」っていう違和感が湧いてくる。
だからといってESにさっき挙げたみたいな社会学部で勉強したことを書くのはナンセンスだとは分かっているのだけど、なんとなく理系優位の風潮が消えない構造的な原因のひとつはここにあるんじゃないかなということをぼんやり考えたりしました。
*6/5 本文修正済み

(6/5 加筆)
私が知らなかった理系の方の就職のジレンマについてコメントをもらったので共有しておきます。理系出身のその方によると、技術職より総合職の方が出世しやすいこともあり、大学で理系の学部に通っていても就職では総合職を選ばざるを得ない場合もあるそうです。個人的には文理の区分は2文というよりグラデーションに近いと思っていて、そういう意味で文理どちらが就職しやすいというより、その両極にいる人が就職の段階では不利になってしまうのかもしれません。大学の学問と就活の相性の問題は文系に限らず各分野で存在しているのだと気づかせてもらいました。

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とかつべこべ言ってないでさっさとESを仕上げましょうね

読んでくれてありがとう!Kiitos!



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