自分の「好き」を大切にすること
最近フィンランド人の友達が増えてきて感じていること。
それは、自分の好きなことにかける時間、労力、お金がすごく多いってこと。
家にお邪魔したのは2人だけだから一般化するのは早急だとは思うけど、家に行くと2人ともものすごく誇らしげに自分の好きなものを次々と見せてくれた。
楽器、スポーツの道具、3Dのテレビ(!)、音響セット…。どれもとても本格的で、疲れたときの休み方と言ったら適当にSNSを見るくらいしかない私からしたらすごすぎてびっくり仰天。
「こんなに色々揃っててプロみたいだね!」
って言ったら、
「せっかく好きなことするなら思いっきり楽しみたいじゃん?」
って言われて、おっしゃる通り…と思ってしまった。
そして情けないのは、逆にフィンランド人の友達から
「あなたの趣味は何?」
と言われたときに言葉に詰まったこと。
私にも確かに好きなことはある。ピアノを弾くのは好きだし、走りに行ったり、フィンランドにいる間は近くの林に散歩に行ったり。でもものすごく好きで熱中できることがあるか、って言われると自信がなくて、「趣味は何?」っていう質問にそこまで深い意味はないのかもしれないけど、たいして突き詰めていないことを軽々と趣味と呼んで良いのだろうかと戸惑ってしまう。
好きなことがない、というよりは、好きなことをするために時間を割くことに罪悪感を持つクセがついてしまったという方が正しいかもしれない。
大学受験で文字通り1分1秒を惜しんで勉強する1年間が続いて、それが終わって思いっきりエンジョイするはずの大学1,2年はコロナでほとんど遊ぶことができず、かといって家で何もしないのも落ち着かなくて、結果的になんとなく受験の延長を引きずって将来自分の役に立つことをしなきゃ、みたいなプレッシャーを感じたままここまで来てしまった感じ。
もちろん大学の授業は楽しいし、新しいことを勉強するのは面白いけど、疲れたときとかふとした瞬間に
「自分何してるんだろう?」
って気持ちになるんだよね。
本当に好きなことをする時間と、なんとなく自分のためになりそうなことをして気を紛らわせているだけの時間と、どっちが自分のためかって言われたら前者なんだろうな、と。
で、昨日、朝一から夕方まで授業とミーティングの連続で「もう脳が動かない!」ってくらい疲れてしまったから、映画を見ることにした。
まだやることは残ってたけど、今日はもう何もしないって決めて、美味しいお茶を淹れてベッドで好きな映画を見たらなんか幸せな気持ちになった。
ここまで書きながら浮かんできた言葉は、
"人生打算的になりすぎたらつまんなくなる"
ってことかなと。
勉強したら、このイベントに参加したら、この名作を見たら、"何かの役に立つかもしれない"って思うとキリがなくて疲れちゃうなって。もちろんそういう時間も必要だけど、そういう打算的な気持ちを一切なしにその瞬間にやってて幸せになれることを大切にするって、今の私にすごく欠けていて、でも大事なことだなって気づいた。
今の私にとっては打算性を全く抜きに純粋に「好き」なことを大切にするって、むしろ惰性で打算的なことをするよりよっぽどエネルギーのいることだけど、それが自分の人生を豊かにしてくれるんだろうな。
フィンランドで幸せの秘訣にまた1つ気づくことができました。
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そして昨日は日本から持ってきてもらった愛媛のうどんを食べて幸せ倍増でした^^
読んでくれてありがとう!Kiitos!
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