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思い出話1 ある大学病院のレントゲン技師

もうかなり昔の話です。
高校二年生の終わり頃、私は学校の尿検査で引っかかり、潜血反応が出ました。
すぐにその検査結果を持って、近くの個人医院へ行ってみましたが、ここではあまり詳しい検査ができないということで、葛飾区にある比較的大きな病院を紹介されました。

その病院へ行ってみると、私と同じ高校で学年が一つ下の男子学生も、その泌尿器科の待合室に来ていた。向こうもたぶん私のことに気づいていたとは思うが、お互い黙ったままやり過ごし、うつむき加減で待機していた。

彼が先に名前を呼ばれ、しばらくして診察室から出てくる時、私の名前が呼ばれ、彼とドアの前ですれ違った。

私は学校から渡された尿検査の結果を持って先生に経過を説明し、再度検査をすることになった。
検査の結果は学校で行った時と同じような数値だったが、今のところは原因かはわからないという。

先生は、より詳しい検査をしてもらえる大学病院を紹介すると言うので、私はそれに素直に従うことにし、今度は千代田区にある大学病院へ行くことになった。

私はその大学病院へは月に一度、検査のため通うようになったが、結局、原因不明の突発性の腎出血という診断が下った。そして、医師による処方箋をもらって経過をみることになった。

そのうち病院には二、三カ月 に一度しか行かなくなった。診察は一日がかりになるし、行ってもあまり変わりばえのしない状況に飽き飽きしていた。
いつも同じように検査をして、同じような話を聞き、同じ処方箋をもらって、2時間くらい薬が出るまで病院の待合室で待った。
結果は潜血反応が出る時もあれば、出ない時もあった。正に突発性なのでした。

ある時、大学病院の先生が、
「佐藤さんももう長いので、このあたりでもう一度レントゲン検査をしてみましょう」
ということを言った。
レントゲンは前にも撮っていたが、その時も異常はなかった。

早速、レントゲンを撮る日にちが決められた。
その日がやって来た。病院に行き受付を済ませたあと、レントゲン撮影の待合室に行った。そこにはもうすでに何人かの人が待っていた。
すると、ほどなくして、
「佐藤さーん、どうぞ」

と、意外と早く自分を呼ぶ男の声が聞こえたので、私はレントゲン室の中へ入り、技師の言うまま、黙ってその指示に従い、薄い衣服に着替えて待機した。

すぐにレントゲン撮影は始められた。
しかし、私は胸のレントゲン撮影を何枚もされているように感じた。
「腎臓の検査なのに、どうして胸なんか何枚も撮るんだろう」と少し疑問に思っていたが、何も言わず、ただ技師の言うままに従っていた。「検査だから全体を撮るのだろう」というぐらいに軽く考えていた。

そのレントゲンの撮影が終わると、ベッドの上に横になるよう言われ、私はその指示に従った。レントゲン技師は、別室で何やら作業をしていたが、どうも様子が変だった。
私はレントゲン室のベッドの上に仰向けになったまま、しばらく待っていた。すると、技師が私に近づき、
「あなたは佐藤さん?」
と、慌てた感じで聞いてきたので、
「はいそうです。」
私は答えた。

技師はまた別室に戻りカルテを調べ直してから、再び私に近づき、
「あなたは、腎臓のレントゲンを撮るんですよ・・・。胸じゃありませんから、待合室で待っててください!」
と、怒ったように冷たい感じで言うのでした。
「そんなことはわかっている!」と私は内心憤慨したが、何も言わなかった。言えなかった。
当時は高校生ということもあり、また、こういった白衣の医師関係の人の前で、患者はあまり口を出せないものです。

そのレントゲン技師は、すぐに待合室にいる患者さんのほうに向かって
「佐藤○子さーん」
と女性の名前を言った。
すると私より先に待合室にいた中年のご婦人が部屋に入ってきたので、私はその人と入れ替えに再び待合室に戻った。

私より先に待合室で待っていた女性の患者さんも佐藤さんだった。
あの時私は、自分の名前が呼ばれたと思ってレントゲン室に入っていったが、下の名前まで確認しなかった技師もそのことには気がつかず、私は間違えられて胸のレントゲンを撮られてしまったのでした。

待合室の椅子に座りながら、私は「技師というものは、こういう時には謝らないものなのだ」と思い、その傲慢さを垣間見た。
そして「でも、これが手術でなくて本当に良かった」としみじみと思った。

水元公園で撮影したジンジャーの花

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