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家族の話2 祖母の最期の言葉

私の父方の祖母は、私が中学の頃の夏、七十六歳で亡くなった。
祖父は三十六歳の若さで結核で亡くなっているので、祖母もその当時三十代、それ以後は三人の息子たちを一人で育て、往生しました。

私は、父がまだ生きていた頃、祖母の話しを時々聞くことがあったが、当時、祖母は映画館の売店の売り子をして生計を立てていたということです。
女手一つですから、とても生活は苦しかったようでした。
あるとき、三人の子どもたちを前に、こんな話しをしたらしい。
「もう生活が苦しいから、みんなで死のうか・・・」

すると、長男である私の父の兄が、
「ぼく、死ぬのはイヤだ!」
と、大声で言ったというのです。

その言葉にハッとし、祖母は再び生きる道を選び、頑張ったということです。

日々の生活は依然として苦しかったですが、近所に住むじいじいと呼んでいた祖母と同世代の男性の援助も得ながら、何とか生き抜くことができたようでした。

その内、長男が働きに出るようになり、私の父の次男もまた三男も働くようになったので、生活は楽になりました。

今の時代と何もかもが違うし、生活水準も生活費も違うとは思いますが、女手一つで、三人の子どもたちを育てるのは、それはそれは大変であったろうにと想像されます。

もしあの時、長男が「ぼく、死ぬのはイヤだ」と言わなければ、父もいないわけで、私もこの世にはいないことになっていたのだろうかと思います。

私の伯父に当たる長男は、その後、婦人靴のメーカーを立ち上げ、一時期は、高度経済成長の波にも乗れたこともあり、それなりに繁盛をしていた。そうして、父は靴職人となり、私たち家族を養ってくれたのです。

私が印象に残っているのは、祖母が死ぬ間際に言った言葉です。
祖母は家の床の中で、昏睡状態がずっと続いていたのだが、家族中が見守る中、いよいよかと思われた時、急に目を見開いて天井を見て言ったそうです。

「極楽だよ~」

私はその場にはいなかったので、その話しを後から聞かされたのだが、おそらく祖母はこれから自分が行く世界を垣間見て、そのことを最後に周りの人たちに伝えたのだろうと思うのです。

祖母の一生は、神様から見て「極楽行きを許された人生」だったと思うのです。


水元公園で撮ったマガモ

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