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「LGBT」の枠にすら入れない「クィア」な人間としてメタルを聴く

「メタルファンにクィアはいない」ともう言わせんぞ

 先日、中野信子の「メタル脳 天才は残酷な音楽を好む」を読んだ。私は都合が良すぎる話はどうにも信用しないタイプなので、メタルが脳にもたらす効果についての話は話半分で読んでいたのだが(申し訳ない)、氏が「女らしさ」に不一致を感じる女性としてメタルにハマった理由については非常に面白く読んでいた。しかし「メタルの世界観に共感しているレズビアンには会ったことがない」という一文を読んで、非常にくやしい思いをした。これが対面イベントであれば「ハイ!!」「ハイ!!!」と元気よく名乗りを挙げるのに・・・(まあ以下で説明する通り私は単純な「レズビアン」でもないのですが)。

 メタルというものはどうしても「性的マイノリティ」と結びつかないようだ。確かにマッチョな男の音楽だし、彼らは美人なお姉さんとイチャイチャしてばかりだし・・・。でもメタルだってミュージシャンにもファンにもLGBTQがいるのである!ということは過去記事に書いてある。

 そして近年、欧米のヘヴィメタルメディアでの可視化は日本よりはるかに進んでいるようである。大手メディアのLoudwireのツイッターbioにはちゃっかりレインボーとクィアを示すフラッグが載っけられているし、metalhammerは今年11月にLGBTQ向けメタル・ポッドキャストのHell Bent For Metalとコラボを果たしている。

 日本くんがんばってほしい。まじで。あと今の潮流的にこういう特集組むと若い世代の注目度がアップすると思うんだ・・・。

 それはさておき、「ヘヴィ・メタルにゲイがいない理由」という5ちゃんのスレを発見するなどして悲しい気持ちになるのはもうこりごりである!!この駄文を読んだ方には「日本でメタル聴いてるLGBTQとか見たことないよ~」なんて言ってる輩に「少なくとも一人は堂々としてるヤツいますよ」と印籠のごとくこの記事を掲げてもらっていい。私も悲しいことに日本でお仲間に出会ったことはないが。LGBTQなメタル・ファンの気軽な連絡まってますよ。

セクシュアリティの旅

 多かれ少なかれ、普段聴く音楽には何らかの自分のアイデンティティや経験、人生観が映されていると思う。私の人生における葛藤の大半を占めるのはセクシュアリティ(性的指向/嗜好)に関するものだ。セクシュアリティはいわば「人付き合い」の要であり、対人コミュニケーションを避けて通れない人類にとっては人生を左右する問題と言っていい。少なくとも私はそう考えている。

 ここで現時点(2021年現在)の私(身体も女でジェンダーも女だ)のセクシュアリティとを述べておくとこんな感じだ。

性交渉の対象はもっぱら女の子。ペッティング程度ならメンズともやぶさかではない。パートナーになる?男でも女でもそれ以外でも何でもいいよ。

こんな風に私にとって「実際に性交渉をする」と「人生のパートナーになる」は別の概念だ。みんな「恋愛」という言葉で二つとも混ざった状態で考えているから、この感覚がなかなか伝わらない。「なんでセックスの話してるの?性欲強いの?w」や「じゃあバイってこと?」などと返される。レズビアンかゲイかバイセクシュアル・・・というように一言で話せれば良いのだが、あいにくそうではないのだ。でも最近は面倒なので「バイ寄りのレズビアンです」や「(曖昧な意味を込めて)クィアです」などと言っている。

 ここで自分の音楽遍歴とセクシュアリティに関するあれこれを図にまとめてみた。正直自分の尻を見せるより恥ずかしいのだが、音楽経験と研究動機に関わる話なんだよなあ・・・。ちなみに私は「文字を書く」という行為が非常に苦手なので綺麗な文字がサッと書ける方には畏敬の念しかない。

My遍歴

 こうやって見ると、音楽の好みもセクシュアリティのあり方も常に一定しない生活を送ってきたことがわかる。「メンズとの性的なアレコレはうまくいかないな」と気づいてからは日本のレズビアン・コミュニティに入り浸り、二丁目周辺をたむろしていたのだが、次第にそこでのコミュニケーションにおいても「なんか違うなあ」と感じるようになっていた。やはりセックスもパートナーシップも混ぜ合わされた「恋愛」が中心の世界だったし、「年取って彼女いないのは負け」感が常にあった気がする。当時を思い返せば、自分もそこに会わせようとして無理していた感覚はある。それでハッピーなこともありつつ色々と痛い目を見ることになったわけだが・・・。もちろんコミュニティにも様々あり、みんながみんなそうではない。が、とにかく自分には「合わなかった」のである。

ヘヴィメタルへのしっくり感

 という訳で前置きが長くなったが、修士課程入学の頃(約2年前)からコロナ自粛もあり、自分の心の暗黒期と向き合いつつ「LGBTQとロックについて論文書くぞ!」ということで過去から現在までLGBTQソングを収集していた。特にゲイ/レズビアン・カルチャーが表に出始めた1970年代~1980年代のポップスやロックが好きだった。デヴィット・ボウイやボーイ・ジョージの両性具有的イメージに心を奪われたし、デット・オア・アライブやFGTHの露骨なゲイ・イメージに衝撃を受け、マドンナの生き様に憧れた。もちろん現在でもこの熱は続いている。

 一方ハードロックやメタルはどうだったかというと、「よくわからないし、LGBTQに対し攻撃的な態度が目立つよな・・・」という先入観がありほとんどノータッチであった(KISSなどは親の影響で聴いていたが)。そんな私がメタルに惹かれるきっかけとなったのがアリス・クーパーとジューダス・プリーストである。

 ぶっちゃけ前者はそこまでクィアにかかわる話題ではないが、私がハードロックやメタルに惹かれる一つの大きな柱となっている。初めて見たのは1990年Trashes The WorldツアーにおけるBallad of Dwight Fryのパフォーマンス。ライブでは毎度恒例アリスは拘束着を着たまま歌い、パフォーマンスの最後でナースを殺す。私は初めてこれを見て「死という人間にとってグロテスクなテーマをこんなに美しく描写できるのか?」と頭を殴られたような衝撃を受けた。アリスは人間の負の感情や、一般的に眉を潜められるような性的願望をエロティックかつ美的に描写することに優れている。例えばLove's A Loaded Gunのような偏執的で一方的な相手への愛、Bed Of Nailsの歌詞やCold Ethylのライブ・パフォーマンスに見られる「愛してるからこそ壊すのだ」というSMチックな欲望の表現・・・それらはセクシュアリティ、他人に向ける愛や欲望といったものが実際は綺麗なものではなく、理想的な形で実現しないことをまざまざと見せつけてくれる。それは「あなたと愛し合って、ずっと一緒だよ」と言うようなロマンティックな「恋愛ソング」に自己投影できない私の琴線に直接触れるものだった。


 もう一つがロブ・ハルフォードの非常にはっきりしたセクシュアリティの表現である。ぶっちゃけ、彼がゲイをカムアウトしていなければ「メタルってクィアよね」なんて言うことはできない。そもそもメインストリームの音楽界でLGBTQをカムアウトするということは、どの音楽ジャンルであれ非常に勇気を伴う。特にハルフォードのすごい所は他の音楽ジャンルに比べ、マッチョでしばしばホモフォビックなワード(おかま野郎、ホモ野郎など)が連発されがちなヘヴィメタルでカムアウトをやってのけた点である。この「メタル・ゴット」がゲイをカムアウトしている、という事実は有無を言わせない強さがある。

 私が「メタル・ゴット」としてのハルフォードのスタイルに惹かれる背景にあるのは、作品のいたる所に「俺はマッチョでセクシーな男が好きなんだ!」という素直な情熱が感じられる点である。自伝を読まれた方はわかるだろうが、Raw DealやJawbreakerはそんな彼の欲望がはっきりくっきりでている。Hot Rockin'のMVなんて明らかにボディビルとゲイの世界ではないか。この演出にOK出した他のバンドメンバーもすごいと感じられるレベル(蛇足だが最近このMVが「ださメタルMVランキング」にノミネートされており非常にキレた)。そしてDelivering The Goodsの”Rock Queers!(ロックなクィアども!)”というフレーズでraise my handsしてhighになってしまう。


 そんなわけで私はヘヴィメタルの「眉を潜められるような願望」を描き出す力と「あからさまなゲイ的イメージ」に心惹かれ、無事沼にハマることになった。

 ここまで喋ったが、「お前女が好きな女って言うわりにゲイ(男性同性愛)の話しかしねえじゃん!レズビアン・ソングはねえのか!?」と言われそうである。残念だが確かにヘヴィメタルにレズビアン・ソングはほぼない(モトリーなどはしばしばレズビアンプレイが好きな男!というイメージを出してくるが)。じゃあ何故そんな「野郎系」なメタルにレズだがバイだかよくわからん私のような女がハマっているかというと、「セクシャルな欲望をありのままストレートに表現するメンズたち」がうらやましくて仕方ないというのが理由だ。自分の中にこの憧れがあるのは事実なので、「お前の頭の中は小中学生レベルのスケベ猿だ」とか言いたきゃ言えばいいのだ。というのも「性をオープンに語ること」については男女ジェンダーで差がある。例えばメンズたちが「俺は巨乳で尻のデカい金髪の女が好き」「マッチョで体毛の濃い男が好き」というのと同じレベルで「巨乳で若干マッチョのドS感あるお姉さんが好き」と言っているレズビアン女性を見ることは非常に少ないはず。これはヴィレッジ・ピープルのMacho Menのような曲と同等のレベルで「私はこういう女の人、タイプなんですよねえ」と露骨に激しく歌っているレズビアン・ソングが出てこないことからも如実に表れているだろう(あるよ!って方はぜひ教えてほしい)。こういう「性の表現にたいする受容の度合いが男女で差がある」ということを専門用語で「性の二重規範」と言う。そして私のように「セックスとパートナーシップってなんか別の概念だよね~」と言おうものなら「こいつ尻が軽い女なのか?」「はしたない」と思われてしまうのである。つまり「女の身体に性的興奮を感じる人間=男」であり、「女は性の欲望をアピールしない」という固定観念があるわけだ。と言うわけで私はヘヴィメタルな男たちに異性として欲望を抱く、というよりは「早くこうなりてえ・・・」的な憧れを抱き勝手に自己投影しているのである。

「マイノリティのコミュニティ」にすらしっくりこない人間の行き着くところ

 ヘヴィメタルは「個人主義的な音楽」とよく言われる。特定のコミュニティから発生したものでもないし、「権利の獲得を目指しましょう!」といった何らかの政治的主張も強くはない。とりえあえずパーティするか、「とにかく鬱でしんどい・・・」と一人部屋でごちるタイプの人間の音楽である。たまに政治風刺して、ちくっと刺してみることはあるが(ただメタルもいろんな種類があるから、それぞれ多様なスタンスがあるだろう)。

 とにかく「みんな団結しましょう」という名目のもとで、周りを見ながら行動することが苦手な私のような人間には非常にこの音楽カルチャーは居心地がいい。それに、ロマンティックで誰が見ても幸せな「恋愛」のイメージを押しつけられることもない。そう、LGBTQだからと言って全員が「恋愛」するわけでもないし、結婚願望があるわけではない(ただ同性婚は「異性愛者ができるんなら制度としてあって当然でしょ」と考えてますが)。「LGBTプライドソング○選」に入るような曲にハマれないLGBTQがいたって、いいじゃない。

 そんなわけで、メタルはどうしても「男」と切り離しがたい音楽だけれど、なにかに「ミスフィッツ」な人間には門戸が開かれているのかもしれない。少なくともラジオ・フレンドリーな音楽形態よりは遙かにセクシュアリティの主張の幅が広い。というわけで、「メタル好きでクィアな自分」の存在証明をするためにも今後も「メタルとLGBTQ」をテーマにしゃべりを続けていくつもりだ。だらだらとした自分語りでしたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 追記:メタルとLGBTQの話題専用のTwitterアカウントを作りました。12月4日に学会発表もします。気になる方は是非。→ @queerness_metal




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