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【ネタバレ感想】泡沫冬景-Christmas Tina-クリスマスティナ

 泡飛冬景-Christmas Tina-(以降クリスマスティナと呼称)が発売されてから1ヶ月ぐらい経過した。クリアしてから記憶がはっきりとしているうちにネタバレ有りの感想を書いておきたい。かなり物語の核心の部分について語るので、未プレイの方はまず本編をプレイしてほしい。ネタバレが含まれていても構わないよという人は拝読下さいますと幸いです。

 まず「クリスマスティナ」という物語は中国人の男と、日本人の女という、異なる文化と性別のふたりの主人公から語られる物語だ。他にも何人かの語り手はいるけれど、まずはメインの主人公であるふたりが、物語の舞台である廃駅までたどり着く過程をざっくり紹介しておきたい。

人物紹介:栞奈(かんな)日本人
 櫻井栞奈には妹がいる。絵美は生まれつき心臓に病を抱えていた。絵美は心臓が弱いため小学校に通うことができていない。絵美が大きくなる前に心臓の手術を行うことが必要で、その手術代はとても高額になる。手術代を稼ぐため栞奈の家族は全員で一生懸命働いていた。時々、栞奈は思う。自分は女子高生らしいことを何も経験できずバイトだけをこなしていると。
 ある日、栞奈は稼ぎの良いバイトの話を知り合いのお兄さんから聞き承諾をする。迎えに来てくれたお兄さんの車に乗ったところ、後部座席に座る人物から援助交際を持ちかけられる。世間知らずの栞奈は車に乗るまで実入りの良いバイトの意味を理解していなかった。
 説明を聞いた栞奈は拒絶するように走行中の車から下りようとしたが、そのことで車は事故を起こし栞奈以外の二人は亡くなった。栞奈は足に障害を負ってしまい、そして故郷にあったわずかな居場所も失った。高校を中退して栞奈は逃げるように東京へと向かう。居場所を失ってしまっても働かなければならないのだ。妹の手術代を稼ぐために。自分は姉なのだから。

人物紹介:景(ジン)中国人
 人生をすべてかけてきた大学受験に景は失敗してしまった。それでも生きていくためには稼ぎを得なければいけない。飲食店でのバイトをしながら、景は生きる意味を見失っていた。
 景が大学を目指したのには理由がある。景の父親は大学教員だった。父親が語る学問の話は景にとって楽しく、そして新たな発見に満ちていた。だが父親は文革で仕事を失い中国の田舎へと左遷され、そこで慣れない畑仕事をして亡くなった。ずっと尊敬してきた理想の象徴であった父親が朽ちていくのを見るのが景はつらかった。
 でも、自分も父親と同じように朽ちていくのかもしれない。次第に淀んでいく心。そんなある日、景はある話を耳にする。日本はものすごい好景気で1年働くだけで大学の学費を稼ぐことができるのだという。景は日本へと赴く。自分の人生を再び取り戻すために。失った熱を身体に宿すために。

クリスマスティナという物語の内容
 どちらの主人公にもつらさがあり、苦しさがあり、生きづらさがある。どちらが一番苦しいと断言できてしまう人がいたら、その人はあまり人間と接したことがないのだろうなあと思う。
 栞奈には栞奈の苦悩があり、景には景の苦悩がある。僕たちはみんな生きていてそれなりつらいし、痛みを抱えて生きている。みんながバブルで浮かれていた時代にも、そうした生きづらさを持ちながら日々を懸命に生きていた人がいた。そういう意味で、バブルという時代を採用したのは、とても面白い試みであると思う。同時にバブルってもう物語で語られるほど昔になったんだなという凹みもある。人間は複雑怪奇で何もわからん。
 話が脱線したけれど、そんなふたりは身一つで東京に出てきてバイトを探す。だが、好景気とはいえスキルがない人間にはバイトを探すことすら困難だった。栞奈は高校を卒業していないし専門と呼べる分野も経験もない、景は日本語が喋れないし読み書きができない。ふたりはそんな中、廃駅への住み込みのバイト(1年限定)を見つけ応募するが、異なる人脈からバイトに応募したところブッキングをしてしまう。時給を半分にするということで、日本人と中国人の奇妙な共同生活が始まる。

廃駅での共同生活とコミュニケーションについて
 栞奈も景も表舞台から流れるように廃駅へとたどり着く。栞奈は中国語がわからないし、景も日本語がわからない。だから、日常的なコミュニケーションを行うことすらままならない。
 ふたりはジェスチャーを使い、時にはノートを使いコミュニケーションを試みる。言葉をどれだけ尽くしても、相手に気持ちが100%伝わることはない。共通言語を持たないふたりは本当にもどかしいまでにすれ違う。
 神の視点で物語を見ている僕らにはふたりが何を言おうとして、何を伝えようとしているか理解できるけど、ふたりには相手が何を伝えようとしているのか理解ができない。
 ここはやっぱりボイスありのノベルゲームだからできた表現方法だと思うし、ネイティブスピーカーの人が声優をやっているからできる構造だ。
 ふたりとも等身大の人間なので嫌な部分があり、良い部分がある。現実に生きる僕らと同じように。
 悩みながら共同生活のすれ違いが続く。このもどかしさがたぶん「クリスマスティナ」におけるひとつのテーマなのだろう。そんな中、絵美が栞奈のもとへとやってくる。ここの細かな説明は端折るけれど、ぎこちないコミュニケーションしかできなかったふたりにとって、絵美の存在はクッションとなり緩衝材となってくれた。
 絵美がやってきてくれたことでコミュニケーションが、ほんの少し柔らかなものになり関係性が縮まった。相変わらず相手の言葉の細かな意味は理解できないけれど。
 でも、言葉が通じないからこそ、相手に打ち明けることができる気持ちというものは存在している。相手が理解できないから、真摯に現実と向き合うことができる部分はたしかにある。栞奈と景は自分が抱えている痛みを廃駅のベンチで告白し合う。苦しいと。悲しいと。ふたりは言う。

聖地
 ふたりにとってこの廃駅はホーリーランドなのだろう。表舞台から流れてたどり着いた聖地。そしてこの聖地にはティナという黒猫が住んでいる。そのことを栞奈は佐倉さんから聞く。
 栞奈からすると一見、ものすごく順風満帆に人生を歩んでいるように見える佐倉さんにも、誰にも打ち明けることができない苦しさがあり、悲しみがある。クリスマスの日に両親が離婚したという事実。自分がもっとどうにかできていれば、関係はどうにかなったのかなあと。もちろん、子供ひとりの力程度でどうにかなるほど夫婦関係は単純じゃないけれど、佐倉さんはそんなことを考えてしまう。
 そして佐倉さんの義理の父親である江さんも痛みを抱えていた。自分はもっと稼げるようになって、家族を楽させてやりたいだけだったのに。なのにどうして頑張れば頑張るほどに距離が空いていってしまうのだろうと。
 「クリスマスティナ」の主要人物たちは大なり小なり痛みを抱えていて、それを黒猫のティナへと語る。ティナは黙って話を聞き、そして話が終わるとどこかへと消えていってしまう。

 さまざまな出来事があり時間が流れる、栞奈はすこしだけ笑うことが上手くなり、景はちょっとだけ日本語がわかるようになった。
 しかし、栞奈と景にとっての聖地である廃駅は突然終わりを迎える。説教臭くなく、現実と向き合って折り合いをつけて生きろというメッセージが語られる。聖地で過ごすことができる時間には制限があるのだ。笑うことが苦手で、人付き合いがだめだった栞奈が最後に言う言葉には強い意味がある。昭和の最後の年に語られる不器用なふたりの物語が僕はたまらなく好きだ。

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