3.カタカムナと古事記を読み解く
古事記に次のような一文があります。
天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天(たかまか)の原に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)。次に神産日神(かむみむすひのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまいき。
次に国稚(くにわか)く浮きし脂の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時、葦牙(あしがい)の如く萌え騰(あ)がる物によりて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)。次に天之常立神(あめのとこたちかみ)。この二柱の神もまた、独神と成りまして、身を隠したまいき、上の件(かみのくだり)の五柱(いつはしら)の神は、別天つ神(とこあまつかみ)。
カタカムナの第10首は次のようなウタがあります。
メグルマノ ミナカヌシ タカミムスヒ カムイムスヒ オノコロシマ カムナホグ アメツチネ ハシマリ
このカタカムナの第10首は上の古事記の一文に相当しています。
天地、すなわちアメツチとは、いわばこの現象界のことであり、天之御中主神と高御産巣日神、神産日神という、いわゆる造化三神によって国造りがはじまったといっています。
さらに、カタカムナの第8首と9首を見ていきます。
第8首 ウマシタカカム アシカヒヒコ トコロチマタノ トキオカシ
第9首 アメノトコタチ ク二トコタチ アメ クニカ ソコソギタチ
カタカムナ マノトキ トコロトコタチ
この第8首と9首は上の古事記の文の下段の様子を表現しているといっていいでしょう。
造化三神によって始まった国造りは、宇摩志阿斯訶備比古遅神と天之常立神と、上の古事記の文には出てきませんが国之常立神(くにのとこたちかみ)に引き継がれ、その後、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)へとその役割を受け継いでいきます。
こういった視点で、カタカムナを読んでいくと、いわゆる国造りがどのように行われていったかが分かってきます。
では、どのようにして国造りが行われたのか。
自然界は、大は宇宙より、小は分子原子素粒子に至る迄、その極限の形は「まること」であり、「球形」である。而(しか)もその運動は無際限への展開である。生きとし生けるもの、アメーバから人間に至る迄、その絶対価値は「まること」であり完全円満であり、その個々の生命は、さらに高次元の完全さへの無限の進化・向上・昇華を続けている。
すべての人間は、すべての物には、大小・貴賤・美醜等々の相があり、その両端には極限があると思えるが、それがひとたび「心」と直面し、その相の成り立ちにさかのぼって哲学する時、一切の極限は否定される。
これは「十言神呪(とことのかじり)」という本の中にある一文ですが、カタカムナのウタの内容は、この「十言神呪(とことのかじり)」の文と相応していて、カタカムナの80首あるウタはこういった物理学的な視点で国造りの様子を語っていたりします。
ところで「十言神呪(とことのかじり)」の文の中に「まること」とありますが、カタカムナでは「タマ」という言葉が度々出てくるもので、「タマ」とは「十言神呪」の「まること」と同じ意味だと考えます。
カタカムナの第7首を見ていきます。
第7首 マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ
ミスマルノタマ
この7首にある「ミスマルのタマ」とは何なのか。
「十言神呪(とことのかじり)」に次のように書かれています。
ミスマルは本来において人間の最深部にあるフタ(直霊)の中に存在するものです。このフタを大神様のミスマルの珠と照らし合わす神様のミスマルの珠によって、生命を射られることによって、人間が解脱の糸口を得るのです。
(中略)
このミスマルとミスマルが相照らしあわすことによって、人間は救われた、現世(うつしよ)での行いを終えていくものです。人間は本来はそのように作られているものなのです。ですから、大神様のミスマルの光を賜ることはまことに重要なのです。
先ほどの「十言神呪(とことのかじり)」の中に、「すべての人間は、すべての物には、大小・貴賤・美醜等々の相があり、その両端には極限があると思えるが、それがひとたび「心」と直面し、その相の成り立ちにさかのぼって哲学する時、一切の極限は否定される」とありましたが、私たち人間は様々な相を持って生まれ生きてます。しかし、私たちがそういった相を持った中で自分とは何かを哲学し、私たちの最深部にあるミスマルと大神様のミスマルを照らし合わせ、私たちの中にあるミスマルと大神様のミスマルが同一のものであると気づくとき、私たちはこの現世での生命を終えることとなるのでしょう。
この令和の時代は、ミスマルの珠の存在に気づく人がますます増えていくこととなるでしょう。
先日、購入した「十言神呪(とことのかじり)」という本の内容とカタカムナにこういった共通の要素があったため、今回、こういった形で記事にしてみました。
ちなみに、「十言神呪(とことのかじり)」の帯の裏側には次のようなことが書かれています。
「悟って神になるのではなくして、悟ったら自分自身になるのです」
内なるミスマルに気づき、その輝きを見出したとき、私たちは本当の自分に戻っていくことになるのだと思います。
本日のカタカムナの動画の中に第7・8・9首がありますので、よかったら見てみてください。
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