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試行錯誤が生きる喜び

我々は、試行錯誤するためにこの世界で生きている。

試行錯誤をしながら、たくさんの気づきを得て「自分とは何か」を知ることが、喜びであるといっていい。

では、自分とは何なのか。

それは、なんでも思い通りにできてしまうという、いわゆる「スピリットとしての自分」なんだと思う。

我々は、スピリットとしての自分に還ることができれば、本当に何でもできるようになることだろう。

ブッダやキリストといった過去の偉人が奇跡を起こしたといった記述を目にすることがあるけれど、そういったことは何かの誇張や比喩などではなく、本当に、そういったことができていたのだと思う。

それくらい、我々が魂としての自分に帰還することができれば、どんなことでもできるようになってしまうはずなのだ。

我々はいろんなことを忘却してこの世界にやってきている。

いろんなことを忘却した上で、本来の自分に還っていくというゲームをしにこの世界に存在している。

だからこそ、このゲームを楽しむためにも、自分で考えて行動し、その結果から、いろんな気づきを得たいというのが、我々の本来の望みなのだ。

前回、「私」のアイデンティティーの創り方という記事の中で、「我々は思考はするものの決断権があまり与えられていない」ということを書いた。

この「決断権があまり与えられていない」というこが、どういうことかというと、試行錯誤するチャンスが奪われてしまうということでもある。

我々が何かを考えて行動しようとしても、そこにブレーキを掛けられてしまっては、そこから得られる気づきのチャンスを奪われてしまうということになる。

自由とは、自分の考えで判断し行動するということであり、自分で判断して行動できるという自由が奪われてしまうと、今ここで生きている目的を奪われてしまうことになる。

だから、人は指示されたり命令されるのを本能的に拒むのだ。

幼い子どもにイヤイヤ期が生まれるのも、自分でやりたいという思いが芽生えるからであり、思春期に反抗期が生まれるのも、自分で考えて挑戦してみたいという思いがあるから。

自分で考えて決断し何かに挑戦すれば、必ず気づきを得ることができるようになる。

失敗したと感じることがあったとしても、その失敗の中からはっとするような気づきを得ることができたなら、それは失敗ではなく成功になる。

魂の視点になって考えるならば、自分で考えて行動し、その結果、何かしらの気づきを得ることの方が目的に適うことになる。

だから魂は物理的な成功や失敗よりも、経験から何を学び感じ取るかを重要視している。

成功とは、経験の中から気づきを見出すことであり、その気づきがゴールまでの距離を縮めることになる。

そういった思いを誰もが心の深い部分に持っているからこそ、自分で決定する機会が奪われたりすると、そこから離れたいと思うようになるものだし、そこから離れるという選択をするのは、いわば自然のことといっていい。

自分で考え判断し行動できないと、今を生きることができない。

人は今を生きることができないと、気づきを得ることができない。

命令に従って生きていると、自分を活き活きとさせることができず、気づきを得ることができない。

他責で行動していると、どうしても真剣になれないから、気づきを得られなくなってしまう。

しかし、自分で決断して行動できるからこそ今に真剣になることができ、その結果、気づきを得られるようになる。

自分で考え判断を下し行動するという、いわば明確な答えのない試行錯誤をすることが我々の望みであり、試行錯誤を通じて何かしらの気づきを得られるようになると幸せを感じるようになっている。

魂は、我々に「感情」という指標を与えている。

何かしらの気づきを得ることができたとき、目覚めたときのようなスッキリ感を得ることができ、幸せを感じられるようになる。

そうやって、たくさんの気づきを得ていきながら、幸せな気持ちを感じていくことで魂の自分に還っていく。

魂の自分の成功とエゴの自分の成功の意味は異なる。

だからエゴの自分の考える成功を追い駆けている限り、魂の自分に近づいていくことはできない。

だから魂の考える成功を基準にして物事を考えるようになると、試行錯誤のチャンスは奪われたくないと思うようになるし、他の人の試行錯誤のチャンスを奪ってはいけないと思うようになる。

もし我々の多くがエゴの自分の成功という価値観ではなく、魂の視点での成功を基準にして生きるようになれば、社会としての考え方が変わっていくことだろう。

昨日のつぶやきで次のようなことを書いた。

今を生きる。我々は、日々、生きるという貴重な経験をしている。だから、生きることをなおざりにしてはいけない。しかも、今はエゴの自分をスピリットの自分へと還せる貴重な時期でもあり、この時期に自己統合を果たすことは、魂にとっての願いでもあり、この今を心して生きることが魂の望みでもある。

「貴重」より

我々の願いは、スピリットとしての自分で生きていけるようになることであり、もしこの自分をスピリットに合致させようと思うのであれば、スピリットの視点で物事を考えなければならないだろう。

我々の人生の目的が、魂の自分に帰還することなのであれば、目的設定を魂の側に直さなければならないし、成功の意味をあらためて見直さなければならない。

幸せは試行錯誤できることにある。

試行錯誤を通じてたくさんの気づきを得ることができれば、我々はスッキリした気分になることができ目覚めて生きていけるようになるだろう。

自己統合には試行錯誤か欠かせないものであり、自己統合できれば目覚めて生きていけるようになる。

人は目覚めて生きられるようになると、今という瞬間を心から楽しんで生きていけるようになる。

目覚めには、試行錯誤が欠かせない。

気づきを生み出す試行錯誤こそが、我々の喜びなのだ。



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