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17)奇跡について考える

今日は、奇跡について色々と考えてみたので、それを記事にしてみた。

では、なぜ僕が今日、奇跡について考えたかというと、奇跡を起こせるようになったら楽しいだろうなと中二病的な思いがよぎったからだ。

そこで、まず奇跡を僕なりに定義するとにした。

① 稀(まれ)にしか起こらないこと
② 奇跡が起こった場合の原因と結果の筋道が不明確であること

この二つを理由にするなら、たとえば奇跡が頻繁に起こったなら、それは奇跡とはいえないだろう。

また、奇跡が起こったとして、そこに原因と結果が導かれたとするなら、それは奇跡とは言い難い。

というのも、奇跡は再現することが難しい物事だからだ。

そこで、この二つの定義を検証したところ、奇跡が起きたら楽しいけれど、希にしか起こらないことの因果関係を導くことは無理なことだということが判明してしまった。

なので、ここで話の軌道を修正することにした。

「奇跡を起こす確率を上げる方法はないだろうか?」と。

これなら、奇跡についての話題を広げることができるだろう。

そこで、まず僕がしたことは、自分の書棚を見ることだった。

僕の書棚をざっと見渡したところ、2冊ほど奇跡がタイトルになっている本を見つけることができた。

一冊目は、以前、ここで記事に書いたこともあるは「奇跡の脳」という本で、もう一冊が、保江邦夫さんの「路傍の奇跡」という本だ。

そして、この「路傍の奇跡」という本の目次を見ると驚くべきことに、17個もの「奇跡」という文字が書かれていたのだ。

人生で17回も奇跡を起こすなんて‼

①高校入試という奇跡
②大学入試という奇跡
③天文学科という奇跡
④大学院入試という奇跡
⑤大学院編入という奇跡
⑥博士号事前取得という奇跡
➆ジュネーブ大学奉職という奇跡
⑧奇跡の大学院生登場
⑨図書館の奇跡
⑩アルプスの奇跡
⑪方程式発見の奇跡
⑫学位取得という奇跡
⑬再び学位取得という奇跡
⑭光と虹の奇跡
⑮再びスイスでの奇跡
⑯知らなかったはずの奇跡
⑰再び知らなかった奇跡

この17個の奇跡をながめていたら、先ほどの思いは翻り、奇跡は意図して起こせるのでは、と思えるようになってきた。

一般論は別にして、少なくとも保江邦夫さんにおいては、奇跡は頻繁に起こすことができるていのだ。

僕は、以前、この本にを読んだとき、ここに書かれていることのすべてを奇跡だと思ったし、不思議な巡り合わせが起きるものだと思ったことを覚えている。

だから、ここにあげた17個の奇跡は奇跡といっていいだろう。

であるならば、人は奇跡を頻繁に起こせるということになる。

そして、奇跡を頻繁に起こせるようになるためのヒントは、保江邦夫さんの生き方や考え方にあるはずと考えた。

サン・テグジュペリの「星の王子さま」の言葉に『大切なことは目には見えない』という言葉があるように、大切と思えることは可視化することは難しいのかもしれない。

しかし、この世界には、可視化できないことでもそれが当たり前となっているものはたくさん存在している。

たとえば、記憶。

私たちには、記憶のメカニズムを証明することができないけれど、私たちは記憶を当たり前のように使っていて、記憶は可視化できないけれど普段から使いこなしているため、それを奇跡とは思いもしない。

たとえば、電波。

私たちは、テレビやラジオ、インターネットの電波を見ることはできないけれど、普段から当たり前のように使っているから、可視化できないものだけれど、それを奇跡とは全く感じていない。

では、奇跡はどうか。

奇跡が起こる筋道を解明することは不可能であるため、可視化することはできないだろう。

しかし、人によって奇跡が起こりやすい人と、そうでない人がいるのであれば、起こりやすい人を研究することで、奇跡を起こす確率を上げることは可能になるはずである。

そこで、まずは、この「路傍の奇跡」を読み直し、奇跡の起こし方を学べればと思っている。

そして、何かの手掛かりを掴むことができたなら、この場で報告していきたいと思う。

さらに、時間に余裕があれば、他にも「奇跡」とうタイトルの入った本を手に入れて研究し、実際に私自身にも「奇跡」が起こるようにしていきたいと企んでいる。

来年は奇跡の年にしようと思う。

奇跡を希なことではなく、般化できるようにしたいと思う。



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