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幸せは、柔らかくて温かい

現在、パリ・オリンピックが行われている。

表彰台に立ちメダルを取ることは、オリンピックに出場している選手にとっての幸せを表しているといってもいいだろう。

彼らの幸せは、メダル獲得という目的を達成することで実現される目的達成型の幸せである。

もちろん、オリンピックでメダルを獲得するだけが幸せを表すものではないけれど、選手ととして活動する以上、メダルを獲ること、あるいは1位になることが選手として1番の幸せと考えてもいいだろう。

一方、オリンピックを見ている側の我々の幸せの形は、彼らの目的達成型とは異なるもの。

もちろん、目的を達成することで幸せを得るという生活をしている人も存在するけれど、彼らほどメダルを獲るために、あるいは1位になるために自分自身を追い込むということをしている人はそう多くはないだろう。

我々の幸せの形は、日常的な平安と心的満足が中心であり、今という瞬間をいかに充足して過ごせるかということが大きな指標となる。

アスリートは、未来に行われている大会に備えて日々を過ごしている。

その一方で、アスリートではない我々は、決まった大会が存在するわけでもないし、ある決まった日時に向けて常に何かに備えて過ごすということはそう多くはない。

受験に向けて準備するとか、何かの選考会に参加するとか、あるいは結婚式までにとか、決められた未来に向かって目的を達成させようといった思いを持って生活することがないわけではないけれど、彼らほど未来に標準を合わせて、長期間、心身ともに鍛え上げるというような生活を送っているわけではない。

そういった意味では、彼らの活躍する姿を見て感動することはあるけれど、彼らの生き方と自分の生き方は異なるものと思っておいた方がいいだろう。

彼らの幸せは、光のさす場所にひたむきに走っていくという未来志向のものであるのに対し、我々の幸せの姿は、日常に柔らかく温かい陽だまりを生み出していくという現在進行形のものである。

アスリートは、ひとつの競技で1位になれるのは1人ないし1チームだし、メダルを獲得できるのは3名から4名(3から4チーム)しかいない。

1位になること、メダルを獲ることが幸せであるならば、それを達成できる人は非常に限られている。

しかし、多くの人は幸せになるために勝負に勝つ必要もないし、誰かより上回る必要もない。

我々は「誰もが幸せになっていい」、そんな世界で生きている。

大切なのは、日々、幸せを感じて過ごせるようになることであり、「柔らかく温かい陽だまりの中にいることができている」という感覚なのだ。

幸せとは一人ひとり異なるものであり、ひとり一人の感受性で実感できるもの。

そういった意味では、アスリートの彼らから勇気ややる気を貰うことがあっても、彼らと非アスリートの我々の幸せの姿は異なるということを頭に入れておいた方がいいように思う。

スポーツは見ていて楽しいし感動的だけれど、彼らの考え方を非アスリートの我々が採用してしまうと、ちょっとした間違いを生んでしまう可能性がある。

1位になる、あるいは優勝することが幸せという考え方を取り入れてしまうと、競争に勝たなければ幸せになれない、という思いを持ってしまう危険性があるのだ。

一番になることは素晴らしいことであるけれど、それだけが素晴らしいというわけではない。

幸せかどうか決めるのは一人一人の価値観であり、順位というような明確な基準は必要ない。

幸せになるには選ばれる必要もないし、1位になる必要もない。

幸せかどうかは、自分の思いによって決めることができる。

SMAPの「世界に一つだけの花」の歌詞にように、幸せになるためにはナンバーワンにならなくていいし、自分だけの花を咲かせばいい。

そして、自分だけの花を咲かせるには、柔らかくて温かい陽だまりの中にいることが大切なのだ。

心地よい陽射しの中で生きることで、幸せを保つことができる。

前回の記事で、「愛とは、柔軟なものであるから、自分を緩ますことができれば愛が身近なものになることだろう」ということを書いた。

幸せとは、柔軟なものであり自分を緩ますことで得られるものである。

頑なさが、場合によっては幸せを損なわせることがある。

選択肢がたくさんあって自分で選べるというのが幸せの姿だ。

頑なさを持つこで、選択肢を狭めてしまう可能性が生まれてしまう。

生活の中に、緊張と緩和の両方が必要だけれど、緊張も緩和も過度にならないようなバランスが必要であり、そういったバランスを採れる柔軟さが必要となる。

柔軟さとは、水のようにどんな器にでも順応できるようになることである。

どんな状況であっても、幸せを実感できるような柔軟さがあれば、常に幸せを感じて生きていけるようになるだろう。

幸せは、温かくて柔らかいものであり、いってみれば女性性のエネルギーといってもいいだろう。

競技スポーツは男性性エネルギーによって成り立っている。

しかし、多くの人が目指す幸せの姿は、女性性が持つ柔らかさや温かさといってもいいかもしれない。

男性的なエネルギーは、目的達成型であり直線的である。

その一方で、女性性のエネルギーは曲線的なものであり、身近なことに幸せを感じられる現在形でできている。

近現代の人類は、これまで目的達成型の幸せを求めて生きてきし、それが上手くいったかどうかは疑問符がつく。

目的達成型の幸せは、「ない」を「ある」に変えるものであるのに対し、現在形の幸せは「ある」を「認める」ことで生まれるもの。

これからの我々が目指すべき社会は、身近なことに幸せを感じていく女性性的な生き方であり、そういった生き方が争いのない安らかで平和な世界を生み出すようになるだろう。

どんどん開拓し自然を壊していくという男性性的な考え方ではなく、今ある自然を上手に活用していくという女性性的な在り方の方が、柔軟性のある生き方となる。

そういった柔軟性のある社会を生み出していくのが、これから我々がしていかなければならない使命でもある。

この地球は、柔軟性に富んだ女性性のエネルギーでできている。

柔軟さは、柔らかくて温かい。

そんな地球のエネルギーに歩調を合わせて生きることができれば、我々は豊かさの中で平和を実感して生きていけるようになるだろう。

水のような調和と循環のエネルギーを使いながら、柔らかく温かく生きる、それが幸せの姿となる。

誰もが幸せになれる、そんな柔らかさと温かさが豊かな社会を生み出すことだろう。

今という瞬間の中に幸せを見つける力を養っていけば、自分だけの花を咲かせていきていけるようになることだろう。

この地球上に、たくさんの花が咲く、それが幸せの姿なのだ。





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