第67回:「喜び」とは自分にフィットしていること
今回は、「喜び」とは自分にフィットしていること、ということを書いていきます。
どういうことかというと、「喜び」を感じていることをしている状態とは、自分の思いと身体の感覚がフィットしている、ということです。
たとえば、私は毎日、文章を書いて過ごしています。
では、なぜ毎日、文章を書いて過ごせるかというと、文章を書くということに心身ともに負荷が掛かっていないからです。
この負荷の掛かっていない状態が自分の思いや身体の感覚とフィットしているという状態です。
たとえば、恋人や仲の良い友人と一緒に過ごしていても苦にならないのは、心身ともに負荷が掛かっていないからであり、リラックスできているからです。
こういったことと同じように、自分が好きなこと、楽しいと感じることは、心も身体にも負荷が掛かっていないからできることであり、感覚的にフィットしているからこそ「喜び」を感じられるといっていいでしょう。
こういった感じで、自分の心も身体も負荷を感じることなく「楽しい」と思えることをしていると、心地よく「喜び」の感情を味わいながら生きていくことができるでしょう。
「喜び」はフィット感から生まれる
私は、以前、絵を描くことに挑戦したことがあります。そのときは、毎日少しづつ絵を描いていて、半年近く続けることができましたが、あるとき急に描けなくなってしまいました。
私が絵を書き始めたのは、数年前の6月のことです。その後、毎日、仕事から帰宅してから絵を描き続けましたが、年末に実家に帰り、数日間、絵を描かないで過ごしていたら、どういうわけか絵を描く気がまったく起きなくなってしまったのです。
おそらくそのときの私は、絵を描くことが心から楽しめていなかったのだと思います。なぜかというと、絵は上手くかけるときもあれば、そうでないときもあり、上手く描けたときは嬉しい気持ちになりますが、上手く描けなかったときは、がっかりした気分になってしまうからです。
また、絵は一度、描いてしまうと修正をするのが難しかったりするのが、苦痛の原因だったといっていいでしょう。たとえば、下書きを上手に描くことができても、色を着けていくときに失敗してしまうと、最初からやり直すことができないため、そのときのがっかり感が強かった記憶があります。
もちろん、絵を描くのが初心者である私が、すぐに上手に描けるわけではありません。しかし、今にして思うと、描いたものを満足いく形で終了させることができないということが、当時の私にはストレスとなっていたと思います。
そういったこともあり、年末に実家に帰省したことで、絵を描くことのストレスから解放感されてしまったのだと思います。
また、私は部屋に物が増えるのを、あまり快く感じないということも、絵を描くことを辞めてしまった理由でした。というのも、絵を本気で描こうと思うと、必要に応じて道具を揃えていかなければならなくなり、次第に部屋が狭くなってしまうからです。
こういった物が増えるということも、今思うと、私にとってはストレスになっていたといっていいでしょう。
その一方で、私が文章を書くことがフィットしていると感じるのは、文章は何度でも書き直しができるため、ある程度納得する形で終えることができます。また、文章を書くのにはパソコンがあればいいだけなので、物を増やさなくてすむという利点もあります。
こういった納得して終えられるということや、物を増やさなくていいということがストレスを感じさせない理由になっています。
もちろん、これはあくまでも私の場合であり、他の人に当てはまることではありません。しかし、何かを楽しみながら続けていくには、こういった自分なりのフィット感が欠かせないといっていいでしょう。
生まれ持ったものを活かすとフィット感が生まれる
私は周りの人に比べると記憶力がよいらしく、たとえば友人が忘れているような幼い頃の話を、私が何の気なくすると驚かれたりします。
この図は、以前の記事で紹介したものですが、この中に書かれている「前意識」を使う能力が私は周りの人よりも長けているようです。
この「前意識」とは、「注意を集中すれば意識化できること」なので、おそらくこういった能力を持って生まれてきているのかもしれません。
こうった過去の記憶を引き出しやすいという特徴は、文章を書く場合には重宝していると感じていて、テンポよく文章を書けていると、過去の記憶の引き出しが空けやすくなっていくようです。
もちろん、この過去の記憶を引き出せるという能力にもデメリットがあり、何か新しいことを挑戦しようとすると、過去に失敗した経験が次々と引き出されてしまい、その記憶の反芻することによって挑戦しようとする気持ちにブレーキを掛けてしまったりします。
しかし、そういった失敗した経験も文章を書く上では必要だったりするので、今は役に立っていたりもします。
また、私が文章を書いていると、集中して前意識を使えるようになることから、過去の体験だけでなく過去に読んだ本の知識も引き出しやすくなったりします。
おそらく、こういった私の特性が文章を書く上で大きく役に立っているように思います。
こういった感じで、人にはそれぞれに自分の得意なことを持って生まれてきているので、自分の特徴を把握できるようになると、それを長所として自然な形で活用できるようになっていくようになっていくと思います。
やってみてわかるフィット感
では、自分の特徴をどうすれば知ることができるかというと、様々な経験をすることが大事なのだと思います。
たとえば、人を好きになって告白し無事にお付き合いしてみても、上手くいかなかったりするのは、実際に同じ時間を過ごしてみないと分からないことがあるからです。
こういったことと一緒で、頭の中で出来そうだと思ったことでも、実際に体験してみないと分からないことがあったりします。
私が半年間、絵を描き続けることができたのは、絵を描くという行為に達成感を得ることができたからです。しかし、実家に数日間帰省したという、ちょっとしたきっかけで辞めてしまったのは、自分では気づかないところでストレスを感じていたからであり、そのストレスは、絵を描くことの達成感よりも大きかったのだと思います。
もちろん、文章を書き始めた当初も、思うように書くことができないことにストレスを感じることも多々ありました。しかし、絵を描くときのように突然、辞めてしまうということもないので、やはり自分にフィットしているといっていいでしょう。
そういった意味でも、自分に合った「喜び」を探すにはトライ&エラーが必要であり、失敗を繰り返しながら自分の特徴や長所を知っていくのだと思います。
幸い私たちの人生は、何度でもトライ&エラーができる時間があるので、自分とって適した行為が何なのかを見つけるためにも、どんどん挑戦していくことが大切なのかもしれません。
また、そういったトライ&エラーの末に、自分にフィットしたことを見つけることができるようになると、迷いがなくなるため、精神的にも落ち着いていくようになります。
自分が何をしたいのかは身体が知っている
以前、私は、なんとなく面白そうだと思って友人を誘って登山に行ったことがあります。
その友人も、当時は登山に対して何も関心を持っていなかったようですが、私の誘いをきっかけに山登りの楽しさを知ったらしく、今ではライフワークとして週末に欠かさず登山をしていたりします。
友人曰く、私が誘っていなかったら、こんなに山登りにはまることはなかった、といっているので自分には何が向いているのか、何を「喜び」と感じるかはやってみないと分からなかったりします。
また、後日、友人の話を聞いてみると、友人の父親は山登りが好きだったらしいため、もしかすると体質的な遺伝があったのかもしれません。
こういった感じで、思考と身体の感覚は異なるため、頭の中でこれは自分に合いそうだと思ったことも、実際にやってみると合わないこともあったり、逆に興味のないことでも実際に体験してみると、それを心地よいと感じる場合もあったりします。
私の友人の場合は後者の場合であり、私がもし登山に誘わなかったら、彼は登山という「喜び」を知ることがなかったかもしれません。
友人のように、身体を使うことに「喜び」を感じる例はたくさんあり、身体から充実感を見つけることも、自分にフィットする「喜び」を見つけるひとつの手段といってもいいかもしれません。
自分の心と身体を満足させることが自己実現
「自己実現とは自分自身を満足させること」ということを以前、別の記事で書いたことがありますが、最近は特にそう思うようになっています。
また、自分を満足させるということは、心だけでなく身体も満足させることだということもこの頃は、実感するようになっています。
というのも、現在、私は自分自身に満足できているため、そのせいもあり健康で過ごせていて、日々を楽しく過ごせています。
現代社会は、思考優位の社会なので、どうしても自己実現の形も思考優位になっていて身体の充足が後回しになってしまったりします。
しかし、身体的な側面の充足も自己実現には欠かせないものであり、むしろ身体的充足を優先していくと心の方も充足していくため、負荷なく物事を進めて行けるようになり、どんなことでもスムーズにいくようになっていきます。
私たちは身体で情報を得て生きているため、身体によい情報を与えてあげられるようなると、それが「喜び」となって、それが思考へと変換されていくので、思考ではなく身体的な心地よさから何かを始めてみると新たな気づきを得られるようになったりします。
いずれにせよ、どんなことでも、心と身体に負荷がなく自分と一致した感じのものを見つけられると、生きることが楽になっていくようです。
そういった意味でも、まずは自分にフィットするものを見つけることができると、楽しく生きていけるようになると思います。
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