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第15回:「喜び」は内なる神との共同作業

今回は「喜び」は内なる神との共同創造ということを書いていきます。

私たちの一人ひとりには、内なる神が存在しています。このことを神道では、神の分け御霊といって、神の魂が私たちの一人ひとりに存在していると説明しています。

また、西洋の神智学などでは、人の体の周りを包んでいるエーテル体・アストラル体・メンタル体といったエネルギー体で神性を表現していたりします。そして、この内在神やエネルギー体は、私たちが「喜び」を感じれば感じるほど活性化していきます。

「明るい気持ち」が内なる神からのメッセージ

人は「喜び」を感じると、自然と明るい気持ちになりますが、こういった明るい気持ちになる感覚は、内在する神からの「OK」のメッセージです。

試験に合格するといった大きな「喜び」も、美味しいものを食べることで得られる日常的な「喜び」も、人の気持ちを明るくさせるものであるため、これらは内在する神からの「OK」のメッセージと捉えていいでしょう。

もちろん、「喜び」だけでなく、何かに対して愛情を感じたり、ふとした瞬間に気づきを得たり、自由を感じたりしたときなども内なる神からの「OK」のメッセージです。

こういった感じで、私たちが「明るい気持ち」になればなるほど、内なる神とひとつになることができるようになるため、たくさんの「喜び」を感じることができるようになると人生がスムーズに運ぶようになり、真我の道を歩んでいけるようになっていきます。

ネガティブをポジティブに変えると「OK」のサインが出る

人は「喜び」を感じることができると前に進んでいる感覚を得られるようになりますが、つまらないと感じたりすると、停滞感を感じたりするものです。

「怒り」の感情は、前に進みたいのを邪魔されたことで生まれる感情であり、「喜び」を阻害されることから生まれた感情といってもいいでしょう。「悲しみ」も同様に「喜び」を得られなかったために生まれる感情です。

私たちは常に「喜び」を求めて生きている存在であるため、それが実現しなかったりすると、ネガティブな感情を抱くようになっています。しかし、そういったネガティブな感情を得たときでも、それをポジティブなものに変換することができると、内なる神から「OK」のサインを貰えるようになります。

もしネガティブな感情を覚えて内なる神との間に距離が出来たとしても、すぐに気持ちをポジティブに変えることができると内なる神とひとつになることができるようになります。

こういったことから、ネガティブな感情を持ち続けずに、できるだけ「前向きで明るい気持ち」でいられるようにすると、いつでも内なる神と一緒になって過ごせるようになります。

人生の目的が異なるから、「喜び」を感じる内容も異なる

人によって「喜び」と感じる内容が異なるのは、それぞれ人生の目的が異なるからです。たとえば、たくさんの人がいる中で過ごすことに「喜び」を感じる人もいれば、一人で過ごすことに「喜び」を感じたりする人がいるのも、その人その人の人生の目的が異なるからです。

私たちに個性があるのもそういった理由があるからであり、自分にとっての「喜び」が、そのまま人生の指標になったりします。たくさんの人がいる中で過ごすのが好きな人は、他者と共同で何かを達成していくことが人生の目的であり、一人で過ごすことを好む人は、集中して何かを創り上げることが人生の目的であるといっていいでしょう。

こういったことから、一般的な評価よりも自分が「嬉しい」と感じることを優先して生きていったほうが、自分の目的に沿った生き方といえます。もし一人で過ごすことを好むのであれば、それが、その人の個性になるため無理に大勢の中に入っていく必要はなかったりします。

私は絵を描いたりプラモデルを作るといった手先を使う作業をしていて上手くいかなかったりすると、すぐに投げ出してしまいますが、文章を書いていて上手くいかなかなくても何度も書き直しすることができたりします。しかし、人によっては文章を書くよりも手先を使った作業に「喜び」を感じたりします。このように、人によって「喜び」の観点が異なるのは、一人ひとり人生の目的が違っているからです。

人は生まれる前に人生のブループリントを描いているといわれますが、このブループリント通りに生きているかどうかは、「喜び」を感じられているかどうかで判断できます。

私のブループリントは、手先を使うことではなく、様々な情報を集めた中で共通する物事を見つけ出し、それを分析し系統立て文章を書くことです。こういった感じで「喜び」を通じて自分の特徴を見出し、それを行っていけるようになると、人生がスムーズに流れていくようになります。

「平和」は私たちの意識で創るもの

私たち一人ひとりは、それぞれに人生の目的が異なるため「喜び」と感じることも異なりますが、その一方で、誰もが持っている普遍的な「喜び」も存在します。

例えば、天気のいい日に感じる風の心地良さや、赤ちゃんの表情に心が和む感覚、寒い冬の日に温かいものを飲んだときのほっとした感覚など、これらは誰もが持っている普遍的な「喜び」であり、私たちを「平和」な気持ちにさせてくれるものです。こういった「平和」を感じるときの「喜び」は、人類共通の普遍的な「喜び」であるといっていいでしょう。

「平和」には、社会的な平和と個人的な「平和」の二つがありますが、当然、社会的な「平和」が基盤になった上で個人的な「平和」が成り立つものです。

しかし、この「平和」と「喜び」の関係を反転させることもできます。どういうことかというと、私たち一人ひとりが「平和」だからこそ、社会が「平和」になるということです。

「平和」は私たちの「喜び」の総和で出来ているため、一人ひとりの意識が「平和」に満たされていないと「平和」は実現しないともいえるのです。

「意識のマップ」のポジティブな側面

こちらは「パワーか、フォースか」という本の中で紹介されている「意識のマップ」のポジティブな意識を抜粋したものです。この表のにある「平和」が「喜び」の上にあるのは、「平和」は「喜び」によって成り立っているからと捉えることができます。

私たちが普段から「喜び」の気持ちで生きていけるようになれば、この世界は「平和」になっていきます。そして、一人でも多くの人が「喜び」で生きられるようになれば、この世界はますます「平和」になっていくことでしょう。

「喜び」と「平和」の意識でこの世界を変えていく

私たちは、個人の「喜び」によって生まれる「平和」と、社会的な「平和」の「喜び」を両輪として前に進んでいかなければなりません。個人の「喜び」を実現するためには社会的な「平和」が必要だし、社会的な「平和」は個人の「喜び」の総和によって作られます。

個人の「喜び」は周りによい影響を与えることで世の中を「平和」にすることができるし、世の中の「平和」が、私たち個人の「喜び」を実現させてくれるもであるため、個人の平和と社会の平和は常にイコールで結ばれるべきものです。

したがって、個人的な「喜び」を実現しながら、周りの人との関係においても「平和」を実現していかなければなりません。自分だけ「平和」であれば、他者の「平和」は関係ないといった姿勢で生きていっては「真の平和」は生まれません。

この世界は、個人的な「喜び」と周囲の人との「平和」があってはじめて、穏やかに進んでいくものであるため、個人の「喜び」のために他者を傷つけてはいけないし、周囲のことを気にするあまり、個人の「喜び」を犠牲にしてはいけないといっていいでしょう。個人と社会が一緒になって「喜び」を得ながら「平和」な社会を創っていくことが私たち一人ひとりの役目でもあります。

個人の「喜び」は「平和」に繋がる

人類の理想は「平和」な世界の中で、一人ひとりが人生の目的である「喜び」を実現していくことです。こういった理由を誰もが持って生まれてきているため、私たちが生まれる前に作っているとされるブループリントには、個人と社会の両方の「喜び」を満たすように作られています。

内なる神が「GO」を出すとき、それは個人と社会を満たすものだと考えてもいいでしょう。私たちはシンプルに自分の「喜び」に忠実に生きているだけで、この世界を平和にすることができるようになるものなのです。

役割とは他者のためになることであるため、私たちが「喜び」を感じて何かをすると、それが他者への貢献となっていきます。そういった意味でも、私たちは本当に自分が「喜び」と感じることをしなければなりません。妥協して生きていては人生の目的を果たすことはできないのです。

主体的に「喜び」を得る生き方

誰もがこの世界を平和に導くために生まれてきているのなら、自分にとってかけがえのない「喜び」を追求いく必要があります。なぜなら、先ほども述べたように「喜び」を追求していくことが個人と社会を平和にするからです。なので人は主体性を持って自分の核心となる「喜び」追求していかなければなりません。

といったわけで、次回は「喜び」と主体性をテーマにしていきたいと思います。人は「喜び」を追求していると幸福を感じるものです。そういった幸福感が平和を作り出すし、それが内在する神と私の共同作業なのです。


*こちらは、記事の中で紹介した「パワーか、フォースか」です。読み応え十分で、たくさんの気付きを得られる本です。


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