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第68回:「喜び」は「ある」を感じて生きること

今回は、「喜び」は「ある」を感じて生きること、ということを書いていきます。

「喜び」の意識は、「楽しさ」「嬉しさ」「心地よさ」といった感覚を与えてくれるため、普段から「喜び」の気持ちで過ごしていると「ある」という意識で生きていけるようになっていきます。

また、「ある」という思いは自分を肯定させる意識であるため、「喜び」にフォーカスして生きていけるようになると、自己肯定感が生まれ、それを自信へと繋げていけるようになっていきます。

「喜び」が自己肯定感を生み出す

私たちは「ある」という意識と「ない」という意識の両方を持って生きていて、その割合は人によって異なるものです。

そういった中で、自信を持って生きている人の様子を見ていると、「ある」という意識を多く持って生きているように感じます。

では、この「ある」という意識はどのようにすれば持てるようになるかというと、自分にとっての「喜び」にフォーカスしていくことで可能になっていくといっていいでしょう。

なぜかというと、「自信」は自分が好きなこと楽しいと思えることを追求していった結果、得られるようになるからです。

その一方で「ない」という感覚で生きていると欠乏感を感じてしまうため、それが結果的に自己否定に繋がって行ってしまうものです。

こういったことから、自分の人生を有意義なものにしようとするなら、常に「ある」に意識を置いて生きていたほうがよかったりします。

とはいえ、思考で「ある」に意識を向けることはむずかしかったりします。たとえば、1分間、意識して「今ある豊かさ」を感じてみようとしても、気が付くと全く別なことを考えていたりします。

そこで、「ある」を継続的に感じられるようにする方法が、何かに夢中になって「喜び」の気持ちで過ごすことであり、一定の時間、夢中になって何かをしていると、自然と「ある」に意識を向けられるようになっていきます。

そういった意味でも、どんなことでもいいので夢中になって「喜び」を感じていると「ある」をたくさん感じられるようになって、自信を持って生きていけるようになっていきます。

「喜び」が「ない」を「ある」に変える

人が「ない」という思いを抱いてしまうのは、周りと比較してしまうからです。

では、なぜ人は周りと自分を比較してしまうのかというと、意識が外側に向いているからです。しかし、意識が内側に向いていると自分と他人を比較することがなくなっていくため「ない」という意識も消えていきます。

たとえば、ゲーム好きの二人がいたとして、Aさんはゲーム機を持っていて、Bさんはゲーム機を持っていないとします。Aさんはゲーム機を持っていることから「ある」という意識を持つことができ、Bさんは「ない」という意識を持ってしまいます。

しかし、AさんもBさんも、夢中になって楽しんでゲームをしている最中は、意識が自分に向かっているため、他者のことは気にならなくなり、比較の意識が消えて、二人とも「ある」を感じて過ごせるようになっていきます。

こういったことが、意識が内側にあると自分と他人を比較することがなくなるということであり、人が何かに夢中になって何かをしている最中は、他者との比較の意識が消えていくということです。

そして、日々の生活を楽しみながら「喜び」で過ごしていると、他の人のことが気にならなくなっていくため、他者と自分を比較する感覚が次第に薄れていくものです。

そういった意味でも、自分にとっての「喜び」を見つけていけるようになると、周りを気にせず自分に集中して生きていけるようになり、やがてそれが自信へと変わっていくことでしょう。

「喜び」の意識で「ある」を大きくしていく

私たちは集団で生きていく存在であるため、自分と他人を比較してしまうことは自然と起こってしまうものです。しかし、他者と比較ばかりして「ない」ということばかりに意識を向けていると、人生が空虚なものになってしまいます。

しかし、こういった「空虚感」は、先述した通り「喜び」の意識を持って過ごせるようになると解消できるようになっていきます。

たとえば、もし現在「ない」という意識から何かしらのコンプレックスを感じていたりするのであれば、そういったコンプレックスに意識を向けるのではなく、自分が楽しいと感じること、嬉しいと感じることに意識を向けていけるようになると、やがてコンプレックスと感じていることも気にならなくなっていきます。

では、どのようすれば「ある」を見つけることができるのでしょうか。

そのヒントが、今、私が読んでいる「奇跡の脳」という本にありました。

わたしたちの心は、高度に進んだ「求めよ、さらば与えられん」式の器械なのです。心は探しているものに集中するようにできています。もし世界の中で赤を求めようとするならば、それをどこでも見つけるようになります。最初は見つけにくくても、ずっと赤を求めることに集中していると、意識せずとも赤をいろんなところで見ることになるからです。

「奇跡の脳」(新潮文庫)

私たちの心は、何かを探そうとすると、それを見つけようとする働きを持っているようなのです。

そういった意味でも「ある」に意識を向けるのか「ない」に意識を向けるのかで、見えてくる世界が変わってくるといっていいでしょう。

そこで、この原理を使って、いつでも自分を喜ばせようとしていると、次々と「喜び」を見つられるようになっていくことでしょう。

私もこういった効果を普段から使って毎日記事を書いていて、空いた時間などに明日は何を書こうと考えていると、自然と書きたいことが思い浮かんできたりするものです。

こういったことから、普段から「喜び」に意識を集中させていると、「ある」が膨らんで生き「ない」という意識を打ち消していけるようになっていきます。

「喜び」は主体を自分に戻す力がある

主体は誰でも「私」にあるものです。

しかし、私たちは誰かを真似たり外側のルールを基準にしながら成長していくため主体は外側にあるという思いを持って生きていたりします。

そこで、こうした主体が外にあるという意識を一度リセットし、自分の側ににあるという認識を持てるような作業をする必要があったりします。

では、どのようにすれば、主体が自分にあると感じられるようになるかというと「喜び」の意識を使えばよかったりします。

なぜかというと、「喜び」を感じているときは「自分」を感じることができているため、自分に「主体」があると認めることができるからです。

また、「喜び」の意識を他者と共有することも、自分に「主体」があることを理解させてくれる力にもなります。というのも「喜び」の意識は、誰もが平等に持っていることであるため、ルールや基準といった境界を越えさせる力があったりするからです。

たとえば、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんとスーさんは会社の中では縦関係ですが、釣りを介すると二人の関係は横の関係に変化します。

浜ちゃんは平社員であるため役職はありません。その一方でスーさんは会社の社長なので役職はあります。しかし、釣りという共通の「喜び」が二人の関係を並列にさせてしまいます。

「喜び」を感じることは、基準がないためルールが適用されません。ルールとは外側が作り出した意識です。社長や平社員という立場はルールが作った意識ですが、「喜び」の意識は、そういったルールを超えて共有できるようにさせてくれます。

しかも、お互いの立場を越えて「喜び」を共有できるようになると、「主体」は私にあるし、あなたにもあるという経験ができるようになります。

こういった感じで「喜び」の共有は人の意識の主体の認識を変える力があるため、主体は自分にもあり、他者にもあるという感覚を持てさせてくれたりします。

仲の良い親子には同じ趣味があったりしますが、趣味を通じて親子間で「喜び」を共有できるようになると、親子という関係性や年齢を超えて同じ意識で物事を見ることができるようになったりします。

「喜び」が困難から立ち直させる

生きていると、上手くいかないことは必ずあります。そういった場合に、上手くいかなかった原因を探っていくことは大切なことです。

しかし、その原因に過度に固執してしまうと、ネガティブな意識を植え付けてしまうことになってしまうため、原因に対する反省ができたなら、気持ちを切り替えて、意識を「喜び」にフォーカスさせていった方がよかったりします。

というのも、「喜び」の意識は、常に「今」にあるため、過去を忘れさせる力があり、気持ちのリセットをさせてくれるからです。また、人は「今」に集中できるようになると、充実感を得られるようになるため、その充実感が落ち込んだ気持ちから浮上させてくれたりします。

このように「喜び」の意識は万能な意識です。

なぜなら「喜び」の中にはたくさんの「ある」が存在しているからです。

今回は「豊かさ」や「自信」、「主体」についての話を書きましたが、「喜び」から「愛」や「平和」の意識を導き出していくことも可能です。

そういった意味でも、普段から「喜び」の意識を取り入れていくと、人生を「ある」で満たしていけるよいうになっていくことでしょう。





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