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(6)『箱に入った男』―「負の典型」としての人物像①―

チェーホフは1898年に重要な作品を数多く発表している。
このうち、『箱に入った男』、『すぐり』そして『恋について』の3作品は連作短編を構成している。
3人の語り手(狩猟仲間の2人連れとその友人)がそれぞれの見聞や経験を順番に語るというものだ。

これらの作品をチェーホフは38歳で書いた。前年の1897年に激しい喀血の発作に見舞われており、漠然とであれ自らの死を予感し始めた頃ではないだろうか。
結果的にチェーホフは1904年に44歳で早世しており、これらの短編は晩年の作品とみなされている。考えてみれば、多くの天才と同様、非常に早熟な作家であったわけだ。

ちなみに、作品中の登場人物が語り手となってその作品の中心的な物語を話すという、いわば劇中劇の構成はチェーホフがしばしば用いる手法である。

『箱に入った男』では、第1の語り手である中学校教師が、かつて自分の同僚であったギリシア語教師ベーリコフについて物語る。

そのあらましは以下のとおり。

ベーリコフは、歳は四十過ぎくらい、臆病で心配性の男である。
天気にかかわらず常にオーバーシューズや綿入れ外套を身に着けて自分を覆い隠そうとし、「(自身を)外部の影響から隔離し防御する箱を作ろうという、不断の強烈な心の動き」に囚われている。

彼は、自分の思想も箱の中に隠そうとする。何であれ禁止や制限に賛成する一方、町で演劇団体が認可されたり、読書クラブや喫茶店が許可されると疑いや不安を抱く。「あとで何か起らなけりゃいいがね」というのが彼の口癖である。
同僚や学生に対しても、規則からの違反や逸脱があると問題視して騒ぎ立てる。そのような彼の慎重さや疑り深さによって、中学校全体、さらには町全体が圧迫され、委縮してしまう。

ある時、中学校に小ロシア(ウクライナ)出身の若い新任教師コワレンコが、姉のワーレンカとともに赴任する。そして、ワーレンカとベーリコフとの間で唐突に結婚話が持ち上がる。
陽気なワーレンカの方はまんざらでもなく、ベーリコフの方も、最初は自分の生活様式が乱されることを恐れ二の足を踏んでいたが、周囲から説得されるうちにだんだんその気になってくる。

そのうちに、いたずら者が描いたベーリコフとワーレンカの恋を冷やかすような漫画が出回り、ベーリコフは屈辱的な思いを味わう。
そんな折、ベーリコフは、新任教師の姉弟がさっそうと自転車をこぐ場面に出くわして、さらにショックを受ける。「いやしくも中学校の教師たるものが、ましてや婦人が、自転車などに乗ってよいものか!」というわけである。

翌日、ベーリコフは、コワレンコの家を訪れる。そして、「先輩としての義務」から「自転車のような娯楽は青年の教育にたずさわる者としてすこぶる不謹慎である」と注意する。
以前からベーリコフのことを「告げ口屋」として嫌っていたコワレンコは、ベーリコフの忠告に腹を立て、口論の末に、玄関先の階段からベーリコフの襟首をつかんで突き飛ばす。
ベーリコフは階段をころげ落ち、さいわい無事に起き上がったが、ちょうどその時、友人と連れ立って帰ってきたワーレンカに目撃され大笑いされる(ベーリコフがうっかり転んだと思ったのだ)。

語り手によれば、この大笑いが「縁談もベーリコフの地上的な存在も、いっさいを終末にみちびいた」。
ベーリコフは、黙って家に帰るなり、床について病気となり二度と起き上がれなかった。

ひと月たって、ベーリコフは死にました。彼の葬式はわれわれがみんなで、というのは中学校の男子部・女子部と神学校とでやりました。棺桶に入れられた時の彼の表情は、穏やかで気持ちよさそうで、陽気なぐらいだった。まるでようやく箱のなかへ入れてもらえて、もう二度とそこから出ないですむのを喜んでいるようでした。そうなんですよ、彼は文字どおり自分の理想を達したわけです!(池田健太郎訳)

この作品から、同時代の読者たちは何を読みとったのだろうか? 
そして、現代のわれわれは何を読みとることができるだろうか?

同時代の人々は、ベーリコフのような人物像について、自分たちの周囲にも「あ、いるいる」と思ったかもしれない。

チェーホフは、『百姓たち』で民衆の俗悪さを容赦なく描いた。ただし、それは、知識人や貴族階級を肯定するためでなかったことは言うまでもない。『箱に入った男』では、知識階級に属するあるタイプの人物像が「負の典型」として描かれている。

『箱に入った男』で描かれる負の典型は、ひとことで言えば「事なかれ主義」である。
狭い枠の中に自らを閉じ込め、日常的な規範やルーティンに固執し、そこから逸脱することを極端に恐れ、自分の周囲に対しても、そのような規範やルーティンを押し付けようとする人物である。
(コロナ対策で過剰に自己防衛に努めるあまり自粛警察に走る人みたいですね。)

29歳で『退屈な話』を書き、生の根源的な意義の喪失という問題に正面から向き合ったチェーホフは、その後の作家活動をつうじて「生を肯定する積極的な意義」を探求し続けたのではないだろうか?

人は何のために生きるのか? あるべき生活はどのようなものか?

しかし、超自然的な力や「神」に頼ることができず、どこまでも冷徹に現実を見つめたチェーホフにとって、読者の共感を導くに値するような肯定的な人物像を生み出すことは、おそらく非常に困難な仕事だったであろう。

あるべき人物像や理想的な生活を描き出すことが困難であるとすれば、できることは何か?
逆に、こうあってはならない人物像や唾棄すべき生活の在りようを描き出して見せることではないだろうか。
『箱に入った男』のベーリコフは、そのようにして造形された「負の典型」のひとつの姿であったのだろう。

連作2作目の『すぐり』においても、チェーホフは異なるタイプの否定的な人物像を描いている。(続く)

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