見出し画像

猛暑の日々に世界の未来を憂ふ

国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書が8月9日に発表された。

同報告書によれば、世界の2011~2020年の平均気温は、産業革命後からすでに1.09度上昇しており、2040年までの平均気温の上昇は、今後の温暖化ガスの排出が最も少ないシナリオでも、1.5度に達する可能性が50%以上である。

私たちは、この予測をどこまで真剣に受け止めることができるだろうか?

まずは、昨日(11日)付の日本経済新聞の社説から。

 今夏、米国西部は記録的な熱波に繰り返し襲われている。ドイツでは大規模な洪水災害が発生した。8月に入り、ギリシャは猛暑と熱波に見舞われている。日本でも土砂災害で犠牲者が出た。
 これらの現象も、温暖化の影響なしには説明がつかないとする分析結果が出始めている。気候変動は遠い将来の離れた場所の出来事ではなく、日々の社会・経済活動に直結する。
 産業革命以降、これまでの気温上昇は約1.1度だ。2度、3度と上昇したらどれだけ激しい現象が起きるのか。

実際、私に限らず、ある年代より上の者の多くは、近年の真夏の猛暑の異常さを、身をもって実感しているに違いない。

私が子供の頃は(たかだか半世紀ほど前に過ぎないが)、知りうる限り、どこの家庭にもエアコンなどはなかった。そもそも「エアコン」などという言葉がまだ普及していなかった。
夏は、扇風機か団扇を使い、縁側の窓を開け放って、時には打ち水などをして涼を取っていた。それで十分だったのだ。
夏休みは、日中でも、麦わら帽子で元気に外へ飛び出していったように記憶している。
もちろん、学校の教室にも冷房などはついていなかった。冬場の石炭ストーブは覚えているけれど。

現在、高齢者の多くが、「人工の冷気」を嫌い、あえてエアコンを使わずに熱中症にかかり、死亡する者もいるようだが、気持ちはわかる気がする。
昔は、エアコンなど必要なかったのだ。
しかし、今や、エアコンを拒否することは自殺行為に等しい。

IPCCの発足は1988年である。地球温暖化の危機が叫ばれてからすでに久しいが、世界はようやく、その真の「恐ろしさ」を感じ始めたように思う。過去2年ほどで、EU、日本、米国を含む非常に多くの国・地域が2050年カーボン・ニュートラルを宣言した。

だが、果たして間に合うのだろうか?

もう手遅れではないだろうか?

世界のCO2排出量は、1位が中国、2位が米国で、この2か国で世界全体の4割以上を占める(日本は第5位)。

しかし、中国は、2060年にカーボン・ニュートラルを目指すとしつつ、排出量のピークを2030年と設定している。事実上、今後10年近くは排出量を増やし続けるということだ。
米国のバイデン民主党政権は、気候変動対策に積極的であるが、次期大統領選で共和党政権に交代すれば、最悪の場合180度の政策転換もありうる。再びトランプ氏が政権を握るようなことになれば、あらためてパリ協定の離脱を宣言しかねない。
これらの二大排出国の頼りない対策に委ねていたら、地球は、今世紀中にも破滅的な状態に陥るかもしれない。もはや、両大国の政府などに頼ってはいられない。

もちろん、「カーボン・プライシング」等の各国政府の取組も重要に違いないけれど、むしろ民間の日常的な経済活動の中に、効果的な仕組みを根付かせていかなくてはならないだろう。

つまりは「脱炭素型」の製品、サービス、事業への転換に強いインセンティブを与え、逆に「炭素排出型」の製品、サービス、事業をそのまま継続することがリスクとなるような仕組みである。

少し前に、新型コロナ対策関連で、西村経済再生担当大臣がバッシングを浴びた件があった。
酒類の提供停止に従わない飲食店に対して、取引先の金融機関から働き掛けをしてほしいと要請したのだ。
西村氏の発言は「どう喝」と受け止められ、金融機関からも強い批判を受けて要請を撤回した。

これは確かに不適切であったが、しかし、金融機関が独自の基準で一定の条件を満たさない事業主への融資を拒むこと自体は通常の経営判断である。

事実、金融機関や投資家が炭素排出型の事業に対する投融資を引き上げる動き(ダイベストメント)は世界的に広がりを見せている。

ダイベストメント自体に対しては賛否があるようだが、各企業の経営判断において環境が重視される流れは、今後間違いなく強まっていくだろう。

環境に対する強い意識を持たない経済活動は、日本の市場からも、世界の市場からも自ずと淘汰される。そのようなグローバル・スタンダードが着実に形成されていく。
そうなれば、仮に再選されたトランプ氏が何を言おうが、どんな時代錯誤の政策を打ち出そうが、米国企業は的確に生き残る道を選択するに違いない。

上に引用した社説は次の一文で締めくくられる。

一人ひとりが温暖化を我が事としてとらえ、エネルギー消費や温暖化ガスの排出が少ないライフスタイルへの転換をめざすべきだ。

しかし、問題はもはや「一人ひとりのライフスタイルの転換」でどうにかなる状況ではない。
一国の、そして世界の経済活動全般を支配する行動原理が大きなうねりとして「脱炭素」へと変わっていかなければならない。
ライフスタイルの転換は自ずと後からついていくだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?