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とるにたらない話

ニキータ・ミハルコフ、といえば現代ロシア映画界の巨匠と目される映画監督である。
1945年生まれで、現在76歳。
ソ連時代から国際的に高い評価を得て、次々と注目作を撮り続けた。
代表作である『太陽に灼かれて』(1994)は、カンヌ映画祭の審査員グランプリに輝き、アカデミー賞の外国語映画賞も獲得している。

私が唯一観たのは、学生時代に日本で公開された『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』(1977)という映画だ。
チェーホフの戯曲やいくつかの短編をもとにした作品で、詳細な内容はすっかり忘れてしまったが、難解ながらも、その芸術性豊かで抒情的な映像の世界にここちよく浸ったような記憶がある。

そのミハルコフが、年をとるにつれ、すっかり右傾化して愛国主義的になり、いまやプーチン政権べったりであるらしい。

先日、知人から週刊『エコノミスト』(2022年6月26日号)にロシア映画特集が掲載されたことを教わり、その特集記事を読んでみた。
その中に早稲田大学教授の鴻野こうのわか氏による「反戦から差別、愛国主義まで ロシアの戦争観を知る6本」という記事があり、そこでミハルコフ監督の「12人の怒れる男」(2007)が取り上げられている。

これはシドニー・ルメットによる有名なアメリカ映画(1957)の舞台を現代のロシアに置き換えたもので、ロシア軍将校殺害事件の陪審員裁判で、容疑者のチェチェン人少年を12人のロシア人陪審員が裁く、という筋立てであるようだ。鴻野氏のコメントは以下のとおりだ。

近年いっそう愛国主義に傾いているミハルコフ監督だが、映画ではあからさまにロシア軍の将校たちが賛美され、そのことでチェチェン戦争やロシアの司法制度に対する批判性が弱まっている。極めてプロパガンダ的な映画であり、そのプロパガンダ性を隠蔽いんぺいするためにこそ、ハリウッド映画のリメークという大がかりな装置を必要としたのかもしれない。

ミハルコフ氏は、最近のネットニュースでも、ロシアのウクライナ侵攻に賛意を表明したという理由で、ウクライナ当局から「領土保全侵害罪」に問われ、国際指名手配の手続きが開始されたと報じられている。


私の学生時代、やはり旧ソ連の映画界の巨匠であったのが、『鏡』や『ストーカー』など多くの名作で知られるアンドレイ・タルコフスキー(1932-86)だ。
こちらは、表現の自由の問題をめぐって旧ソ連政権との間で確執を深め、1984年に亡命して、そのままパリで客死した。

本人の政治的信条は別としても、強権的な専制国家において、国内にとどまり文化芸術活動を続けようとする者は、おそらく、ある程度権力と折り合いをつけなければならないという現実があるのだろう。


さて、ここまでは、実は長い前置きである。

今回このような記事を書こうとしたきっかけは、ニキータ・ミハルコフのことを調べていたときに、ネット情報を見ながら「おや」と思ったことだ。

ウィキペディアの「ニキータ・ミハルコフ」の項目に、彼の作品リストが記載されているのだが、そこに次のような一行を見つけたのである。

Дайте мир Украине и наказание Путину (2004年)

ニキータミハルコフ(2022.6.28-2)

日本語訳すると「ウクライナに平和を、そしてプーチンに罰を」となる。
プーチン政権にべったりのはずのミハルコフが、そのようなタイトルの映画を2004年に撮っていた!

私はがぜん興味をそそられて、その映画の内容を調べてみようと思った。

ところが、である。
ウィキペディアの英語版にも、ロシア語版を見ても、「ミハルコフ」の項目にそのような作品のタイトルは載っていない。
ロシア語で、映画タイトルとミハルコフの名前をかけ合わせて検索してみても、それらしい映画の情報はまったくでてこない。

そこでようやく気がついた。
どうやら、これはウィキペディアの意図的な改ざんであり、権力にすりよるミハルコフの姿勢を皮肉った「いたずら」だったのではないか。

ウィキペディアは画面右上の「履歴表示」ボタンを押すことで、修正履歴を逐一追跡することが可能だ。それによれば、問題の一行は、ロシアのウクライナ侵攻後に新たに書き加えられたことが分かる。

別に犯人探しが目的ではないので、これ以上詳細に立ち入ることはしないが、そもそも、「集合知」としてのウィキペディアの存在要件を考えれば、間違いや意図的な改ざんなどは、いくらでもあって不思議はないのだろう。

あらためて、インターネット頼みの情報収集の危うさと、ネット情報をうのみにしてしまうことの恐ろしさを再認識させられるひと幕であった。

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