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米連邦最高裁のある判決をめぐって

新聞の国際面で読んだ小さな記事が気になった。
ニューヨーク州が新型コロナ感染症対策として宗教施設での礼拝人数制限措置を導入したが、同措置に対して訴訟が提起され、アメリカ連邦最高裁がこれを違憲と判断し、制限の差し止めを命じたという記事である。
記事によれば、連邦最高裁は、すでに5月と7月に同種の措置に関する訴訟で合憲の判断をしていたとのことである。記事は「トランプ大統領の指名で10月に加わった保守派バレット判事が違憲判断に回ったことで覆った。早くも保守色が強まったことを印象付けた。」(『日本経済新聞』2020年11月27日)としている。

アメリカ連邦最高裁においては、少し前にも、別の意味で注目すべき判断があった。今年の6月末、人工妊娠中絶を規制するルイジアナ州の州法に対して違憲判決を下したものである。
このときは、賛成5、反対4で違憲が支持された。賛成した5名の判事の中にはロバーツ最高裁長官も含まれていた。
ロバーツ長官自身は保守派であり、個人の意見としては人工妊娠中絶に反対であったが、すでにテキサス州法に対して提起された同種の訴訟において最高裁が違憲判決を行っていたため、過去の判例との整合性を図る立場から賛成に回ったと報じられた。

このニュースに触れたとき、たとえ自身の主義主張に反しても法解釈の一貫性を重視したロバーツ長官の潔い姿勢に大いに感心した。
わが国では、今年の通常国会で審議された検察庁法改正案をめぐって、政府の恣意的な法解釈に国民が呆れていたという事情もあったので、アメリカにおけるこのような厳格な司法判断は見習うべきものであると感じた。

しかし、最高裁長官の良心がこうした正当な効果を発揮するためには、そもそも、保守派とリベラル派のそれぞれの判事の勢力が拮抗していることが前提であったのだ。
宗教施設の礼拝人数制限に関する今回の最高裁判決は、判事の勢力バランスが変わることによって、過去の判例も容易に覆されてしまうことを示した。
一国の司法の最高機関の意思決定が、時の政権の都合で選任された判事の意見に左右され、ぐらぐらと揺れ動いてしまうとしたら、そのような司法をいったい誰が信頼できるだろうか? 

アメリカの連邦最高裁判事は終身であり、政権が交代しても、欠員が生じない限り9名の判事の構成は変わらない。バイデン民主党政権が首尾よく誕生したとしても、議会の上院は共和党が過半数を占めそうな情勢で、大統領と議会との「ねじれ」が見込まれている。それに加えて、大統領と連邦最高裁との「ねじれ」もかなり重大な問題であると思われる。

今回のアメリカ大統領選挙をめぐるごたごたを見ながら、民主主義とはつくづく非効率なものであると感じている。
逆に言えば、民主主義は、そのような非効率という大きな代償を払っても守らねばならぬほど重要なものなのだ、とも言える。
あるいは、そうした非効率が極めて大きく顕在化してしまうほど、アメリカの分断は深刻であると考えるべきだろうか?

(写真は<https://www.whitehouse.gov/scotus/>より転載)

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