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賢治100年【宮沢賢治〜100年前に見たセカイ(1)】#56

○ 宮沢賢治の妹・トシの死

 100年前の1922(大正11)年11月27日に、宮沢賢治の妹・トシが亡くなりました。トシの死が、賢治に与えた影響は計り知れません。宮澤トシがモデルと言われる作品も多く、賢治や賢治の作品の中で、トシは大きな存在です。

 「永訣の朝」「無声慟哭」「青森挽歌」「オホーツク挽歌」等々の作品は、トシの死からの直接的な影響が感じられ、100年前のトシの死がきっかけとなって生み出されたと思われます。

○ 100年前の宮沢賢治

 もし、今日からちょうど100年前の12月2日、当時26才の賢治の側にタイムスリップしたとするなら、今はトシの葬儀(11月29日)も終わった頃でしょうか。この頃の賢治は、花巻農学校の教諭でしたが、教諭となったのも、前年の1921(大正10)年に、トシが倒れたことがきっかけです。 
 まだ「春と修羅」も「注文の多い料理店」も発表されておらず、トシの死などをきっかけに、これから賢治の周りで起こった出来事が、賢治作品へ影響を与えていったと思われます。

 そう考えると、100年前の日本や世界で、何が起こっていたのか、そして、それらの出来事が、賢治に影響を与えたのか?与えなかったのか?ということは、とても興味深いテーマのように思われます。
 
2022(令和4)年12月2日(金)
 
(続く)


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