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宮澤トシの24才の死と宮沢賢治【宮沢賢治と妹・宮澤トシ(5 終)】#55

○ 宮澤トシの死
 
 花巻に戻った宮澤トシは、病気の療養生活に入り、病気が回復した1920(大正9)年9月からは、母校の花巻高等女学校で後輩達を教えていました。しかし、翌年の1921(大正10)年6月に再び病に倒れます。

 トシが病に倒れた時東京に家出していた賢治は花巻に戻ります。賢治はその後、1921(大正10)年12月から、花巻農学校の教諭となり、トシの看病も手伝います。

 翌年の1922(大正11)年7月には、トシは、花巻市内にあった宮沢家の別宅に移りますが、この別宅は、後に賢治が羅須地人協会の活動を行なった場所でした。

 その年の11月19日に、トシは宮澤家の実家に戻り、11月27日夜に亡くなりました。24年の生涯でした。
 
○ トシの死と宮沢賢治作品
 
 賢治の最大の理解者の1人でもある、トシの死が賢治に与えた影響は、とても大きかったと思われ、「銀河鉄道の夜」「永訣の朝」「無声慟哭」「青森挽歌」「オホーツク挽歌」など、多くの作品に、トシの死から影響が感じられます。
 
 「青森挽歌」「オホーツク挽歌」などでは、賢治が、この世からいなくなってしまったトシの魂を探しているような様子も描かれ、現世と異世界をさまよう鬼気迫るような作品となっており、トシを失った賢治の、尋常ではない精神状態も感じられます。
 
 賢治作品を読み解く上で、妹・トシは欠かすことができない存在の1人です。
 

 
2022(令和4)年12月1日(木)
 
(終)

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