#87 内村鑑三とエマーソン【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その25】
(続き)
○ 内村鑑三とエマーソン
新渡戸稲造の同級生で友人の内村鑑三も、エマーソンから影響を受けた人物と言われています。内村の著書「代表的日本人」は、エマーソンの著書「代表的人物」をイメージしていると思われ、その内容も、エマーソンが「代表的人物」で6人の人物を紹介しているのと同様に、内村の「代表的日本人」は5人の日本人を紹介する形式となっています。
宮沢賢治や父・政次郎は、内村が発行していた「聖書之研究」を読んでいたとも言われ、賢治が内村からの影響で、エマーソンを読んだ可能性もあります。また、内村が「代表的日本人」の中で紹介していた5人のうちの1人は日蓮で、日蓮は賢治が大きな影響を受けた日蓮宗の開祖でもあることから、賢治が日蓮に興味を持ったきっかけが内村であった可能性も。
○ 明治・大正期の思想家とエマーソン
新渡戸や内村に限らず、エマーソンは明治・大正期の日本の思想家などへ大きな影響を与え、1つのブームであったとも言われます。エマーソンを日本へ紹介した人物の一人に北村透谷がいますが、透谷は、山室機恵子や、佐藤昌介の妹・輔子が学んだ明治女学院で講師を務めるとともに、知人のクリスチャンの支援のために花巻を訪問したこともあります。また、新渡戸が設立に関わった普連土学園の教師を務めるなど、新渡戸とも面識がありました。
透谷は、賢治が生まれる2年前に若くして亡くなり、2人に直接的な関係はありません。しかし、エマーソンの紹介者である透谷が花巻を訪問するなど、明治末期から大正期にかけて日本で身近だったエマーソンに賢治が興味を持ち、日本語に翻訳された著書や、エマーソンの英語の原書を手にしていたとしても、不思議ではないと思われます。
(続く)
2023(令和5)年10月26日(木)
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