ギャンブル依存症は治らない
ギャンブル依存性について記事を書こうと思います。
まず自分がギャンブル依存症によって、どのような影響を受け、どのような治療を行ってきたのかの略歴を記録しておきます。
2004年、16年前からギャンブルを始めます。
学生生活を送っていたのですが、パチンコ、スロットがしたくて借金をします。
借金した金額は200万円ほどで、仕送りと学費を使い込んでしまい退学になります。
退学後は、上京&失踪します。
両親に合わす顔がなく、ネットで知り合った人の家に居候することになります。
居候生活が2年間も続きました。
その時の状況はフリーターで、借金をしてパチンコに行きながらも家事を完璧にこなしていました。
コンビニ、ドラッグストアでアルバイトをしてましたが続きませんでした。
家事は追い出されない為にも、食事を作ったり、洗濯物をしたり、必死にやっていました。
当時の借金は100万円ほどでした。
しかし、居候生活も難しくなりました。
一緒に住んでた方が公務員で、ボーナス手当が入った茶封筒から10万円盗んでしまったからです。恐らく150万円くらいあったと思います。
それぐらい盗んでもバレないだろうというぐらいの札束でしたが、簡単にバレました。
居候させてくれた方と両親がやり取りを初めて、実家に返すという約束をしたのです。
実家に強制送還後は、仕事を見つけるということで何事も無かったように生活がスタートします。
仕事はすぐに見つかりました。
コピー会社で、カスタマーエンジニア業につくことになりました。そこで、LAN工事をしたり、ITリテラシー基礎を学んだり、基本情報処理の資格を学んだりすることになりました。
しかし、仕事は続かず1年で辞めてしまいました。
社会的に信用されていた仕事だったのか、借金できる金額が大きく多重債務により500万、借金してしまいました。
4年かけて500万円をパチンコに使い失踪しました。
無職の期間は、朝からずっとパチンコをしてました。その甲斐あってか500万円を失いました。
失踪後は人に言えないようなことをしてしまい、両親からの信用を完全に失いました。
もう何もかも終わりだなと思って、川に飛び込んだところを通りすがりのワンちゃんに発見されて、飼い主の方に助けられました。
その後、精神科に入院することになりました。
退院後は自宅保護のような形で、毎日2000円もらいながら生活をしました。
そのお金を毎日パチンコに使う生活が1年くらい続きました。
その後は、携帯電話の販売業務、ドラッグストア、などの仕事をしてみましたが半年も続きませんでした。
そして1年後失踪しました。
車の中で生活しながら1週間ほどパチンコをしました。その時に25万円持ってました。
40万まで増やすことに成功したので、もう一度上京して生活をリスタートしようと決めました。
上京後は、シェアハウスに住みながら生活をすることになりました。1畳のスペースでの生活です。
それでも実家にいるよりは幸せでした。
地元に居場所がなくて、苦しかったです。
そして、上京して運命の人に出会いました。
運命の人には一目惚れで、こんな人と一緒にいられたらと思いました。
その人はうつ病を患ってましたが、とても明るい方で毎日が楽しかったです。
僕が毎日ギャンブルをしてることを快く思ってなく通院することを勧めてくれました。
通院して精神疾患についての情報がインプットされていきました。
自分の傾向を知ることが出来ました。
仕事が続かないこと、のめり込んでしまうと他のことが手につかなくなることなどです。
その時に精神障害者福祉手帳を公布してもらいました。等級は2級でした。
それから、借金をすることなく運命の人とは、遠距離恋愛をしました。
ギャンブル依存症との距離感は借金をしない。ということで少し距離感を掴めました。
シェアハウスは狭すぎて、体に悪いことからグループホームに入居することになりました。
シェアハウスには3年住みましたが、長くても半年とかで年単位で住む人は殆ど居なかったらしいです。
その為、管理会社の方からは、よくそんなに長く住んだねと褒められました。
グループホーム入居後は快適な生活でした。
しかしギャンブルによって生活が苦しかったのでデイナイトケアに通院することになります。
それがまた地獄のような日々でした。
ニュースゼロにも取り上げられるほどの悪質な囲い込みを行う病院で、かなり生活を制限されました。
それでも、2年近く通院しました。
結果として依存性は良くはなりませんでした。
その病院のデイナイトケアから脱出したかったのでなにか理由を作る必要がありました。
理由として、就労移行支援に通所するという理由付けをすることにしました。
就労移行支援に通所しながら、ギャンブル依存性と向き合う生活が続きました。
借金をしなくなったのは、運命の人と出会い、その人がいつも支えてくれたからだと思ってます。
いつもギャンブルによって大金を失い、とぼとぼと家に帰るとハグしてくれました。
その時に、いつも何とかしようと奮闘します。
運命の人は、僕の体調を気遣ってくれて運動を強く勧めてくれました。
昔は格好よかったのに、太ったら駄目だね。とか、二重アゴはよくないね。などの嫌味をすごく言ってくれるので、運動をしてみようと思えました。
本当に感謝しかないです。
ジムに通うようになって、ギャンブルをしなくなりました。その期間は半年間です。
たったの半年と思われるかもしれませんが、半年は10年くらいに感じました。
ジム通いは大変でしたが、何としても痩せて、運命の人に安心してもらいたかったので続けました。
25キロくらいの減量に成功しました。
目標を達成して、燃え尽きてしまい、またギャンブルをするようになりました。
ジムには適度に行くようになり、借金はしなくなりました。
その後、グループホームの期限切れで一人暮らしを始めましたが悲しい事が起きました。
最愛の人が他界してしまいました。
僕のせいです。僕が家に居なくて、彼女に寂しい思いをさせてしまったからです。
今も現実を受け止められません。
今まで大切なものを沢山失ってきましたが、絶対に失ってはいけない人を失ってしまいました。
もう何が起きても、悲しいとも嬉しいとも苦しいとも思わなくなりました。
しかし、ネガティブに考えるのは辞めようと思うことにしました。
これ以上の悲しいことは二度と起きないから、残りの人生は楽しいことだけしようと思いました。
彼女が他界して二年経ちました。
彼女のことは毎日考えています。
ギャンブルはやめられません。
距離感は保つことができています。
無職の期間が長くなり、社会との折り合いをどうつけていいのかが、今の課題となりました。
ギャンブル依存性について、学んだことや、距離感をうまく保つ方法について自分なりに思ったことを記事にしていこうと思います。
もし、興味が湧いたり気になった方がいらっしゃいましたら、フォローして下さると嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?