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今クリスタルと私クリスタル

 天正十年六月二日の早朝、明智光秀の謀反によって本能寺は炎に包まれ、織田信長は自害を余儀なくされた。このとき信長は思ったであろう、「おお、まさに今本能寺が炎に包まれており、熱い!」  信長は今まさに本能寺が炎に包まれているということを知っていたのではあるがしかし決してこのことを逆に誤解してはならない。逆というのは、まさに明智光秀の謀反によって本能寺が炎に包まれているということをもって天正十年六月二日が「今」であるということを織田信長が理解したという方向にである。  信長に限っ

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    • 「自痛み」はなぜ言えてしまうのか

       能書き     私が頻繁に触れている永井均氏の独在論哲学について言及されている方のうち、「哲学探求2」の用語を借りれば現実性と中心性の問題を混同しているように思われる方が散見される。私見では、独在論とは現実性と中心性を峻別する議論なので、そこを混同しては元も子もないと思われたので、この違いを自力で説明してみたいと思った。もちろん、この説明に関しては問題提起者本人である永井均氏のそれが極限までに洗練されているので、何かの助けになるとも思えないが、それでも書こうと試みるのは私自

      • ゾンビ薬・他人薬・毒薬

         あなたがもし「ああ、自殺したいなあ」と思ったなら、その動機に応じてどういう意味で死にたいのかをよくよく考えておく必要がある。一般に死は一種類しか存在しないと思われているが、〈自殺〉の種類に応じて死のほうもいくつかに分けられるからである。  例えば、ここに青い錠剤、赤い錠剤、白い錠剤がある。青いやつから順に、ゾンビ薬、他人薬、そして毒薬である。一般的には、自殺を望む人間はこの白い錠剤ーーー毒薬を服用する場合が多いのであるが、本来それはやり過ぎであって、この錠剤を必要とするは

        • 非対称性の議論に関するメモ

          デイヴィッド・ベネターという人の「誕生害悪論(いわゆる反出生主義)」の中軸に「非対称性の議論」なるものがあり、その展開の一部を拡大すると奇妙な問題があるという話をたまに人にするのだが、どうやら口頭で伝えることは難しそうなのでメモしておきたい。まず、その議論自体を知らないという人にはこのサイトなどで概略を掴んでほしい。 ちなみに、ベネターの議論自体は(消極的功利主義の立場によって正当化されうるため)問題にしない。 (消極的功利主義に基づく反出生主義の)非対称性の議論は上の図の

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