「自痛み」はなぜ言えてしまうのか
能書き
私が頻繁に触れている永井均氏の独在論哲学について言及されている方のうち、「哲学探求2」の用語を借りれば現実性と中心性の問題を混同しているように思われる方が散見される。私見では、独在論とは現実性と中心性を峻別する議論なので、そこを混同しては元も子もないと思われたので、この違いを自力で説明してみたいと思った。もちろん、この説明に関しては問題提起者本人である永井均氏のそれが極限までに洗練されているので、何かの助けになるとも思えないが、それでも書こうと試みるのは私自身の理解のために他ならない。
岸田痛み・大谷痛み
さて、最近気付いたことだが、どうやら痛みというものには二種類あるらしい。ひとつは①実際に感じられる痛み(たとえば私の感じる痛みや今感じる痛み)で、もうひとつは②実際には感じられないが存在はする痛み(たとえば他人の痛みとか過去の痛み)である。この意味で私という存在は、この世界で唯一現実に痛みを感じる体を受肉した特別な存在ということになる。もちろん、痛みという言葉はこの二種類のものを本質的に同じものとして括ったうえで成り立っているわけだが。
ともあれこのことに気付いた私は、①実際に感じられる痛みと②実際には感じられないが存在しているとされる痛みとを区別して、①を自痛み、②を他痛みと名付けたのであった。
ところが、である。私がこの話をすると、プロ野球の大谷翔平選手がやってきて、まさに我が意を得たりといった趣で深く頷きながら「たしかに自痛みと他痛みというのはありますね。つまり、大谷翔平の痛みとそれ以外の人の痛みです」と「同意」してくるではないか!
しかし、この同意は誤りである。なぜなら、私はあの内閣総理大臣岸田文雄であって、大谷翔平ではない。つまり、私の言う実際に感じられる痛みーーー自痛みーーーとは、岸田文雄の痛みでなければならないからである。
この旨を伝えると、大谷は「なるほど、つまり痛みというのには一般的に言って実際に感じられる痛みとそうではない痛みの二種類があって、その区別は誰にとってもそれぞれ存在するわけですね」と言う。
ならば、と大谷は言う。「つまり、あなたの言う自痛みというのは、80億人の人間がいれば80億通り存在する自痛みのうち岸田文雄にとっての自痛みを意味するわけです。それならば、はじめから『岸田痛み』と言えばよかったのでは?」
私はその場ではなるほど納得して、なんとも賢い青年がいたものだ、これからの日本は彼らに任せれば安泰だと思ったものである。
しかし、それから家に帰って布団に潜っていると、なんとも釈然としない感覚が襲ってきた。私の言いたかった「自痛み」とは、本当に岸田文雄の痛み、即ち岸田痛みなのであろうか?
続いて、私はこのように考えた。偶然たまたまの事実ではあるが、端的に言って、私は岸田文雄である。80億人も存在する人間のうち、岸田文雄の目から世界が見え、岸田文雄の体だけが殴られると現実に痛く、「どこがどう痛むのであれ、実際に痛むのであれば、それは岸田文雄の痛みである」と言いうる程度には、岸田文雄こそがこの世界の中心として存在しているのである。
だが、そうではない可能性もあったではないか?つまり、この岸田文雄という人がこの岸田文雄であるままに、ただ単に他人として存在しているという可能性もあったわけで、その事態を想定することは現に岸田であってしまっている私にとっても容易に可能なのである。
そうすると、こういうことがありうる。私はどういうわけか大谷翔平に5発殴られるのだが、3発目のあまりの痛さ(?)ゆえに、突然岸田文雄は私ではなく他人ーーー単に岸田文雄であるだけの人、つまり多くの他人どもにとってのあの岸田文雄ーーーになってしまうのだ。そうすると、大谷翔平の鉄拳の4発目と5発目の痛みは、それは《岸田痛み》ではあり続けるままに、しかし私がはじめ言わんとしていた〈実際に感じられる痛みー自痛み〉ではなくなってしまうのではないか?(※)
つまるところ、大谷の言っていた岸田痛みというのは、この私が現にそうであるように、岸田文雄が〈私〉ではなかったとしても、《岸田文雄という人が殴られる限り存在しているのでなければならないとされる痛み》をしか意味しないのである。私が言いたいのは、そんなことではなかったのではないか?
※この思考実験の意味が分からない場合、下の「時間の中心としてのA
A事実」を先に読んでほしい。殴られると私が他人になるという思考実験は想像しがたいが、時間の場合は常にこのようなことが起こっているからだ。
私は現在パソコンのキーボードを叩いて文章を書いているが、この時間はその内容を一切変えないまま過去になる。さらに、未来の私は「いまパソコンのキーボードを叩いている」という過去のその私の発言の意味を容易に理解する。つまり、パソコンのキーボードを叩いているその時間こそが、他のあらゆる時間を包み込む中心点として現に機能しているというそのことまで含めて、この現在の内容的規定に含み入れてしまう。
現在という時間はその《中心性》という時間の本質を保持したまま過去になっていくのだが、その意味では「中心性と現実性を峻別」するものとは他ならぬ時間のことである(もちろん、私のことでもある)。
みんな世界の中心に過ぎない
さて、以上の議論からこのことが言える。私が現に痛いということと、私であるところのある人物が痛いということとは分離可能な問題であり、この二つのことは同じことではない。
冒頭の「自痛み」という造語の話の戻ろう。この表現の問題は、それを語ると、「私」という一人称を使うことのできる、その限りで自分自身を世界の中心として表象する能力を持つ全ての存在者(つまりすべての人間)が、その当人の実際に感じうる痛みと、実際には感じ得ないその当人以外の痛みとの差異を対比する言葉に、すなわち、誰もが普遍的に理解できる実在的な差異を表現する有意味な(同意を得ることができる)言葉に変質してしまうということであった。
しかし、上で確認したように、この問題を回避するために「自痛み」の「自」を、「現に私である人物」の固有名(岸田文雄)に置き換えたところで、事態は改善しないのであった。ある人の痛みがある人の痛みであることと、ある人が〈私〉であってその人の痛みが実際に感じられることは別だからだ。
結局のところ、大谷が岸田を納得させようとした《岸田痛み》概念の本質とは、「自分自身のことを世界の中心として表象しうる言語能力を持つ存在者すべてに与えられている《自痛み》概念のうちひとつが、今回は特定の人物岸田文雄に対して付与されたもの」でしかなかったのだ。
それの何がいけないのか?いけないに決まっている。この話は「誰にでも理解できる語りうる話でしかない」からである。語りうってしまっているがゆえにこそ、私の言わんとしていること言えないのだ。私は、私である人がその人(岸田文雄が岸田文雄)であるからではなく、岸田文雄がなんと私であるからこそ存在する痛みがある!と言いたかったのである。
しかし、岸田文雄が岸田文雄である限り、私の言う「自痛み」はどこまでも「岸田痛み」として解釈されざるを得ないだろう。※
※この、「自分自身を世界の中心として表象しうる言語能力を持つ存在者すべてに与えられている」、「私の痛みだけが本当に痛い!」とか「私が世界の中心である!」と語る《資格》は、永井均氏の「世界の独在論的存在構造」の議論に沿うと、《中心性》の概念に対応する。
脱線ー時間の中心としてのA事実
それで分かりやすくなるかはさておき、独在論哲学のお家芸に倣って話の主役を人称から時間に置き換えてみよう。現在、この文を書いているのは2023年11月22日の15時である。反対方向から言うと2023年11月22日の15時が今である。この〈今〉は、全ての時間を、たとえば鎌倉時代も安土桃山時代も太陽が爆発して人類が滅亡するX年後の未来も…全ての時間(言い換えるとすべての《今》)をその内部に包み込んで存在している、このうえなく異例で、奇妙な時間である。しかし、鎌倉時代のある昼下がりなら鎌倉時代のある日の昼下がりの《今》が、太陽が爆発するX年後ならその爆発するX年後の《今》が、まったく同様にして他の全ての「時間」を包む、奇妙で異例な時間として存在しているであろうということも、また言えなければならない。
と、そういうわけだから、太字部分のようにはじめからそのようにこの特異な〈今〉が、つまり2023年11月22日の…今が、それ以外の今と同様に、その他のすべての時間を包み込む奇妙で異例な時間の一例としての中心性を付与されているという向きにこの構造を考えるなら、問題なくこの異例さ奇妙さそれ自体が、実はどの時間にとってもそうであると言えるような奇妙さに変質するので、その限りで「どんな時間もあらゆる時間の中心としてその他の時間全てを包み込む《今》という現実性を持つんだよね〜※」ということが言える。いわば、「みんなちがって、みんないい」。
※後述するA関係的な理解。
だが、そうではない。〈今〉は、端的に2023年11月22日…(人称なら、ここにあなた自身の名前を入れて、〈私〉は、としてください)なのだ。鎌倉時代でも安土桃山時代でも、ない。どういうわけか2023年…が、鎌倉時代や安土桃山時代や…を包み込んだ端的な中心として存在しているという事実には、まだなんの説明も加わっていない。
この事実を、つまり、どんな時間もその時間にとってはあらゆる他の時間を包み込む中心として存在しているよね〜、という鳥瞰的な視点に収まらない、しかしなぜか無理由にこの今が実際に中心として存在している、という事実のほうを、A事実と呼ぶ。
しかし、時間というものを一枚絵に収まるように理解する限り(※)、今がなぜか端的に2023年…であるという〈無用の事実〉は焼却処分されなければならない。鎌倉時代には鎌倉時代が、安土桃山時代には安土桃山時代が《今》であったのと全く同じように、2023年11月22日の15時には2023年11月22日の15時が《今》であった、というふうに、あらかじめ平準化して(他の今と並置されて)地図の中に組み込まれなければならない。これが、A関係(一枚絵の時間像)に要請される限りでのA事実(11月22日の15時は今だよね、という事実)ということである。※※
※メカ磁気さんという方から、一枚絵には収まらないのではないかという指摘をいただいた。恐らくそれは正しいので、ここでは「語りうるように理解する限り…」の比喩として読んでいただきたい。
※※現実性と中心性という対比ならば、現実性は《中心性》概念の内部にその単なる構成要素として組み込まれる。
と、ここまで話したところで、私は実は単に「時間」という概念が要求する限りでの《中心性》概念を、つまり今という言葉を使うなら誰もが知って使っているのでなければならない時間の構成要素を説明したに過ぎない。実はそんなこと誰も知っているからこそ、私は北条政子に向かって「お元気ですか。こちらはいま令和5年ですが、そっちはまだ鎌倉時代ですね。」と手紙を送ることができるのだ(できないが)。つまるところ、鎌倉時代が鎌倉時代である限り、令和5年が令和5年である限り、その時点は《今》としての中心性を有しているのでなければならない。※
※《岸田痛み》に対応させるなら、《鎌倉今》や《2023年11月23日15時今》が存在しなければならない。しかしそのことこそが、まさに今が鎌倉時代ではなく令和5年であるという事実を抹消するのでなければならない。
人称の超越論的独我論構造
さて、脱線してしまったので冒頭の論点に戻ろう。上では《岸田文雄という人が殴られるとき存在しているのでなければならないとされる痛み》なるものが(もっと正確には、その痛みの背後にある現実性と対になったそれが)想定されたが、私(岸田)はその痛みが私が本当に言いたい「自痛み」ではないのだ、と言いたいのであった。既に確認したように、言語を語る人はみなこの《中心性》、つまり自分を世界の中心として表象する《資格》を持っているのだ(※)。だからそれゆえにこそ、実は私は冒頭から嘘をついていて本当は岸田文雄ではないのだが、岸田文雄が「岸田文雄だけが殴られると現に痛く…」と語るとき、その言わんとしていることが容易に理解できてしまうのである。
※別に名付ける必要もないが、このことを「人称の超越論的独我論構造」と呼ぼう。
しかし、重要なのは、この構造が存在しているがゆえに、つまり言わんとしている言えないはずのことが、言うことができる問題に捻じ曲げて理解されてしまうがゆえに言えない問題が存在する※ということだ。つまり、言語を語る者はみな「私だけが殴られると痛く…」とか、「何が見えているのであれ、見ているのは私だ」とかいったふうに、世界の中心としておのれを表象する資格を…いやむしろ、義務を持つとさえ言える。時間ならば、鎌倉時代は「鎌倉時代が今だ!」と、安土桃山時代は「安土桃山時代が今だ!」と、口々に主張するのでなければならない。人称に関して言えば「岸田文雄が私(≒世界の中心)だ!」と、この義務を受け入れることによって初めて人間は「私」という一人称を使うことができる。おめでとうございます。
では、「私の言いたいことは言えない」というこの事実それ自体はどうだろうか。もちろんそれも、この議論を展開している人間が〈私〉ではなくとも、どっちにしろ言っていることに過ぎない、というのが本家独在論哲学における「風間くん問題」だろう。私であるこの人は、途中で他人になろうが何だろうが、どっちにしろ「なんとどういうわけかこの人物が私ではないか!」と驚かざるを得ない。どっちにしろ驚かざるを得ないのだから、誰かに向かって驚いてみせてもなんの意味もないだろう。
語り得ぬものについては、沈黙していざるを得ない。
※言えてしまうことによって言えないはずのことが消えるが、そこで《道徳》が成立する。山括弧を使うなら、〈〉が《》に読み替えられて、語り得ない〈現実性〉が語りうる《現実性》として中心性概念の一部となったとき、私と並び立つものとして他人が、あるいは過去や未来の今が、めでたく誕生する。
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