第一話 「拾われた子供」
「ママお金ある?」
貧乏な家に生まれた私は、小さい頃どうしても欲しい物がある時に、母にいつもこうお伺いを立てていた。
その度に、母に言われた。
「金欲しいんだったらオマエの親父に言え」
私の父親は、物心がつく頃には既にいなかった。一、二歳の時に、母の腕に抱かれ、父親が車で去ってくのを見送った様な、そんな映像がわずかながら記憶に残っている。母は私を抱きながら、何かを言っていた。何を言っていたのかは覚えていないが、声のトーンと表情で、この人は怖いことを言っていると思った。母と父の間に何があったのか詳しくは知らないし知りたくもないが、当時の母は相当私の父親を憎んでいたと思う。その憎しみは、当然私にぶつけられた。
「オマエの親父は…オマエの親父は…」
と、事あるごとに私に言ってきた。今で言うなら立派な精神的虐待だ。母にそう言われても、小さかった私にはどうしようもなく、見たことのない父親の悪口を延々と聞かされるのだった。
当時私は、母と、七つ上の兄と、ぼろい平屋の貸家に三人で住んでいた。いや、三人で住んでいたのかが曖昧な程、三人での記憶がほとんどない。唯一、家の前で兄と遊んでいた時に撮ったであろう写真が記憶に残っているが、それも今となってはどこかにいってしまった。それほど、当時の兄との思い出は無い。7つも歳が離れていれば当然なのだろう。ただ、写真の中の私と兄は、ピースサインをして、最高の笑顔をしていた。
そんな兄と私は、父親が違う。このことを理解したのはいつなのだろう。わからないが、いつの間にか知っていた。私が母に聞いたのか、母が自ら話してきたのか、どうりで七つも歳が離れているわけだ。兄と父親が違ううえに、自分の父親はもういない。これがどういうことか、子供ながらに少しずつ、この家の異常さに気付いていくのである。
母は当時、日中はゴルフのキャディーさん、夜はスナックで働いていたと思う。女手一つで、一生懸命働いてくれていた。今となっては感謝している。が、幼少期の私にとっては、楽しいことなんて一つもなかった。母といて楽しかった思い出など無いに等しい。あるのは寂しい、怖い思い出だけである。なぜかわからないが、頼りの兄も記憶にない。記憶にあるのは、私の父親に対する恨みつらみを聞かされる事と、私に対する暴言である。
「オマエは川から拾ってきたんだ」
と、何度言われたことか。言われ過ぎて、当時は本気でそうだと思っていて、ウソだと言って欲しくて何度も母に聞いていた。
「ぼくってホントにかわからひろってきたの?」
と…。
こんなことを実の母親に聞かないといけない状況。今思えばゾッとする。
こんなこともあった。
夜に私がふと目を覚ますと、テレビだけついていて、照明は消してある状態。母は夜の仕事。家には私一人。たちまち怖くなって、気付けば向かいの家に駆け込んでいた。しばらくすると、母が仕事から帰ってきたようで、私がいなくなっている事に気付き、慌てて警察を呼んだらしく、程なくして我が家は赤い照明に包まれ、向かいの家にいた私は捕獲され、母は警察と近所に頭を下げていた。その時なんとなく、母の表情と態度から、
「面倒なことしやがって」
と聞こえた様な気がした。
そんな環境だったこともあってか、兄と撮った満面の笑顔の写真を最後に、私からは表情が消えていくのである。
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