グラデーション
わたしは常日頃、くだらないことから大真面目なことまで、いろいろなことを考え、空想に浸っているのですが、最近特に考えることが多い事がございまして、それがですね、
「二元論は生きづらい」
ということです。
二元論というのは、改めてWikipediaで調べてみますと、
「世界や事物の根本的原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など…(略)」
ちょっと何言ってるか…。
まぁ、こういう難しい話をしたいのではなく、私が今回言いたいことは、
「シロかクロかだけの世界は生きづらい」
ということです。
どういうことか?
私が真っ先に思い浮かべたのは、昨今、聞きなじみになってしまった、
「賛否両論」
という言葉。
TVやネット等で、様々な賛否の声が上がってるわけですが、なんてゆーか、そんな簡単に答えを出していいものかと思ったり。もちろん、求められたら、それなりの答えを示さなきゃいけないのだろうが、この言葉には、我々に無意識に選択肢が二つしかないと思わせてしまう力があるのではないかと思ってしまう。
最近、会話の中で、
「○○派?」
という言葉が増えたりしていないだろうか。
「しっしーって米よりパン派なのね」
「はいはい。ワクチン陰謀説派ね!」
「恋人より友達優先派ね!」
などなど。例えがちょっと微妙だが 笑
その日はたまたま、パンが食べたかっただけなのに、その人の中で私は、
「パン派の人」
に設定されてしまったようだ。
このように、私のなんとなく感じる最近の風潮として、
「分断を無意識に作ろうとしている感」
があるように思う。
そういった意味で、「賛否両論」という言葉がもたらす影響は大きいように思える。
物事は、白か黒かで表現出来るほど単純じゃあない。私たちは、何層にも重なったグラデーションの中で生きている。今はそういう考えでも、明日になれば変わっているかもしれないし、変わっても構わないし、変わらなくても構わないし、その考えが正しいともわからないし、間違っているとも限らない。とりあえず今は賛成のスタンス、という人や、条件付きで賛成とか、反対になりかけの賛成とか(笑)。そもそも正しいか間違っているかなんて、その時の時代の価値観によっても大きく異なったりするものなので、良いか悪いかだけの二元論を用いて論争することなど不毛のようにも思えるが、そんなわけにもいかず、我々人類は歴史上ずっと、手探りでなんとか答えを導き出してきた結果、今に至るわけである。
何が言いたいかズレてきたが、要は、
「グレーの部分あるよー」
ってこと。
良いか悪いか、善か悪か、成功か失敗か、有意義か無意味か。
たった二拓で結論付けられる程、世の中単純じゃないし、
「結論なんて出せっこない」
ってのが結論だと思える程。
むしろ、このグレーの部分にこそ答えがあるんじゃないのかなと思ってしまう。
いろんな経験をしながら、様々な価値観に触れて、一生懸命自分の人生にもがいて死んでいく。
それでいいんじゃないかと思う。
もう一度言っておく。
「グレーの部分あるよ」
X(旧Twitter)などの賛否のうずまく世界にいると、あたかもネットの意見が全ての人間の総意のように思えてくることもあるだろうが、そんなことはない。反応しない人の方がほとんどなのである。
だから、過度に自分を結論付けて、追い込まないで欲しい。
失敗しながら少しずつ前に進んでいく。それでいい。
私たちは、曖昧にしっかりとデザインされた世界で生きている。
なんてね。それでは今回はこの辺で!じゃあな!
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