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第十一話 「猫ふんじゃった」

苦痛だった家での生活とは裏腹に、学校での生活は楽しかった。友達もすぐ出来て、クラスのムードメーカー的存在になっていた…と自分では思っている。全体朝礼でのスピーチ以来、人を笑わせることにすっかりハマっていた私は、授業中もふざけたことを言ったり、給食の早食いを友達と競ったり、給食の時間のお決まりの、牛乳を飲んでいる時に笑わせて吹き出させる遊びを延々とやったりと、おかげで通信簿には、先生から「お調子者」と書かれる始末。また、私が学校を休んだ次の日には、

「昨日お前いなくてみんな静かだったぞ」

と言われたりした。
必要とされているようで、嬉しかった。

だが、なぜだろう。急に全てが嫌になり、なにもやる気が起きなくなる時がある。机に顔を伏せ、友達に声を掛けられても無視していたと思う。休み時間もずっとだ。ところが、また急なタイミングで、いつもの元気を取り戻し、またみんなとふざけあう。そんな状態に陥るようになった。

今思えば、あれは軽度の躁うつ状態になっていたのだと思う。テンションの高い躁状態と無気力なうつ状態を繰り返すというあれだ。それもそうだ。家では怖い義父に気を使い、毎日緊張状態。かたや学校では陽気なキャラクター、これを繰り返しているのだから精神に異常をきたすのは当然だろう。

また、食生活もお世辞にも褒められたものではなかった。母親は仕事で夜に居ないことが多かった為、ろくに手料理を食べた記憶が無く、毎晩、近所のお惣菜屋で買ってきた揚げ物ばかり食べていた。そしてその後、夜な夜な始まる夫婦喧嘩である。夜中に目が覚め、喧嘩が終わるまでずっと聞き耳を立てていなければならない。義父がいつ手を挙げるかわからないからだ。その為、結局眠りにつくのは深夜一時を過ぎることもしょっちゅうだった。そして翌朝には学校でお調子者に早変わり。

そんな生活を繰り返していたら、そりゃおかしくなる。

当時同じクラスだったみんなには、私の態度の変化で心配をかけて申し訳なかったと思う。周りから見ればかなり面倒な奴だったと思う。まぁそれは今でも変わっていないのかも知れないが。

当時クラスでは、教壇にあったオルガンで、かの名曲「猫ふんじゃった」をいかに早く弾けるかを競うのが流行っていた。何度も何度も弾いていた為、三十年以上経った今でも弾ける。体が覚えているというのはまさにこの事だ。とてもリズム感のある曲で、弾いていると自然と楽しい気分にしてくれる。あの時オルガンに添えていた両手は、今こうしてタイピングに向けられているのだから、あの時の経験は無駄ではなかったのだと思う。

その一方で、私の生活リズムは、大きく崩れていった。

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