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51:49

それにしても、我ながら謎のタイトルだが、51:49とはどういう意味か?

一言で言うと、私の中の

「善:悪」「希望:諦め」の割合いである。

一時期、Twitter…いや、Xのアカウント名にしていたのだが、意味不明過ぎるかなと思い、現在は別の名前にしている。

常々感じるのだが、この世界は、絶妙なバランスの上に成り立っていると思っている。イメージで言うと、シーソーのような状態だ。だったら、善100%、希望100%の方がいいのではないかと思うが、それだと、シーソーの上に立っていられなくなる。そもそも善100%などありえない。比較するものが無くなるのだから、それはもう0に等しい。また、希望100%も一見良さげだが、うまくいかなかった時の落差は計り知れない。まさに急降下だ。

私はこの持論を胸に、51:49の温度感で生活している。

私はお世辞にも、立派な人間とは言えない。これまで散々、いろんな人を傷つけてきた。そしてこれからもいろいろあるだろう。怠惰な性格はいつまでたっても抜けないし、意志が弱いと常々感じる。ココナラやYouTubeに手を出して、売れまくってプラチナランクに!とか、YouTubeだけで食っていく!とか、まったくもって程遠い。49の割合いで、諦めている。

だが、51の割合いで、前向きな気持ちが確かに存在している。苦しんでいる、悩んでいる人の力になりたいと、心からそう思う。そして、私のような魅力的な人物、なかなかいないのではとうぬぼれたりもする。

例えば、宝くじかなにかで7億円が当たったとして、今の私なら、1000万だけ残して、残りは全額どこかに寄付出来る自信がある。その1000万も、自己投資やなにかの事業に使うだろう。

ほんとによ、ほんとに。

そもそも宝くじ買わないけどね。笑
「自分の器以上のお金を持つと不幸になる」
これが真理。見知らぬ親戚も増えるしね。笑

話しがそれたが、私の中には、この相反する二つの感情が見事に共存しており、どちらかというと、前向き寄りに軍配が上がっている状態だ。

なので、うまくいかなくても、

「まぁこんなもんか。でもまぁ俺にしてはよくやったな」

と思えるし、
うまくいけば、

「やっぱり俺がやってきたことは無駄じゃなかったな。さすが俺」

と思えるのである。

この、51:49の温度感で生きていると、今日死んだとしても、

「まぁ、こんなもんか。いろいろあったにしてはそこそこ楽しく生きれたな」

と思えるし、
意外と長生きしたとしても、

「毎日納豆食べてストレッチと筋トレした甲斐があったな。さすが俺」

と思えるのである。

自分でも驚く程、これぐらいの温度感が非常に生きやすい。

「どっちに転んでもいい」

という、半ば、執着を捨てているような状態なのだ。

なので、この記事を「スキ」されてもされなくても、どっちでもいいのである。自分が思っていることを表現出来たってことの方が大事なのだ。

......
でもどっちかっていうと、
「キライ」より「スキ」がいいなぁ。笑

それでは今回はこの辺で!じゃあな!

あー失礼しました!
また他の記事でお会いしましょう!

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