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密やかに忍び込む自分の慢心に気づかせてもらえたこと

私は、2022年当時、それまで殆どスマートフォン以外で、写真は撮ったことが
ありませんでした。
2017年のある時、あるご縁から某大学のアート科の教授に、中古のカメラショップに連れていっていただき、彼がかな〜り手頃な価格で中古のミラーレスカメラとレンズを見繕ってくださったのです。
今思うと本当に有難く、ラッキーなことでした。

私は、当時、精神的に辛い時期だったせいもあり、その後2022年の6月まで、そのカメラで写真を撮ることは、ほぼありませんでした。
けれど父が他界したその年、あまりの悲しみと精神的ストレスに耐えかねて、たまたま開かれた鎌倉での写真のワークショップに、渡りに船と、
突然、参加することにしたのでした。
その時、それを開催してくださったのが、今、私が勝手にメンターと仰ぐ写真家の方でした。
彼は国際的にもトップクラスのフォトグラファーで、忙しかったはずなのに。

2022年のその年に、小規模ながら写真の国際コンペッティションがあることを知り、軽い気持ちで応募しました。
写真を撮り始めて、半年も経っていないのに、私はビギナーズラックでファイナリストに選んでいただいたのでした。
それが私の慢心の始まりだった思います。
当時は、気がついていませんでした。

そして次の年も、選ばれたのでした。
海外の友人のプロのフォトグラファーにも報告したら、
“Congratulations,you’re becomig a real photographer.”
(おめでとう、君は本物の写真家になりつつあるね。)
なんて言われて、心の表層では否定しつつ、深い部分では
慢心していたのです。
私は、それをきちんと自覚していませんでした。

自分が写真を撮ることが上手だとは思っていなかったけれど、
上達するための真摯な努力、研究を怠っていました。

ある時、師匠から、
「君は今回(二度目)は、辛うじて、辛うじてファイナリストに選ばれたに過ぎない」
(注:師匠は審査員ではありません)
「君はもっと良い写真が撮れるはずだ。(写真と真剣に向き合っていないね?)」
カッコ内は、私が読み取った彼の隠れたメッセージです。

その時、えっ!とショックがありました、予想外の言葉だったからです。
(どこまで慢心してたんだか…。)

けれど、その時ようやく、自分の慢心に気がつかされてもらったことを
知りました。
師の言葉は、まさに私にとって、英語でいうところの”wakeup call”でした。
そして、自分が素晴らしいメンター(師匠)に恵まれたことを
改めて自覚したのでした。

賞賛を浴びても、常に自分に厳しく、研鑽を怠らない
一流のプロフェッショナルの心構え、自分へ厳しくあることが、
いかに困難で、難しいことであるか、私はその片鱗を
ようやく知ったかもしれません。

写真は2枚とも土門拳写真美術館


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