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クリスマスの短冊

・クリスマスの短冊ってご存知でしょうか。
 ご存知の方は、ぼくと同じ経験をしてるかも。

 ぼくは実は、ゲームを作ったりしていました。
 テレビゲームってやつです。
 その時はまだ若く、新卒一年目。
 右も左も分からないまま、現場に放り込まれてたりしていました。
 それはもう、結構過酷なもので、
 朝10時に出勤して、日付が変わるのは当たり前、
 忙しい時には土曜日、日曜日の休日もなくなりました。

 そうなった人間はどうなるのか。
 おそらく、人によって対応は違うとは思うのですが、
 ぼくの場合は、ロボット化することで乗り切ってました。
 仕事をするためのロボットだと自分で思い込む。
 そうすることで、自分の私欲や雑念で悩むことがなくなるんです。
 その状態が辛いかどうかと言われると、
 まあ、当然辛いわけです。

 しかし、この辛さが良いものを生み出すと言う体験値は、
 芸大を出ていたぼくにはあったので、黙々とロボットしていたわけです。
 個人制作の大学時代と会社での制作は当然いろいろな部分が違っていて、
 全部自分がコントロールできるわけでもなし、
 やりたいことだけをできるわけでもなし、
 だけど、怒ってくれる上司、褒めてくれる先輩がいたりします。

 そういう日々が続いてくると、なんとなく感じてくるのもがあります。
 「良い物を作れてるのか」
 そんな、疑問です。
 自分が全部設計して、全てを見渡していた個人制作の時は、
 今自分が作っているモノは面白いモノになるはずだ。
 なんて、自信が常にあったし、
 ダメだと思った時は、それをすぐに修正していたものです。
 しかし、今作っているのはゲーム。
 それも個人制作でなく、集団制作。
 会社には、社長もいて、ディレクター、先輩もいる。
 もう、分からなくなってくる。
 そう言っていても、時が止まってくれるはずもなく、
 ゲームもぼくも走り続けるわけです。
 良い物を作っていると信じて。

 結局、ゲームの良し悪しは誰が判断するのか。
 これは難しい言葉でいうと、ターゲット。
 簡単な言葉で言うと、目的の人。
 誰に向けて作ってるのかによって変わります。
 自分のために作ってるのならば、自分が良い、悪いを見ればよし。
 他人のために作っているのならば、他人に良い悪いを見てもらう。
 今回の場合は、後者です。
 会社でテレビゲームを作るからには、他人がどう思うかが大事です。
 ぼくは、誰かの喜びのためにゲームを作っていました。 

 ゲームが完成したのは11月頃でした。
 12月あたりに発売する予定です。
 クリスマスですね。
 精魂尽きて、ギリギリまで作り込んだゲームも、
 発売に向けって生産が始まってるころです。
 テレビゲーム開発者なら、あるあるだと思いますが、
 ヤマダ電機とか、ビックカメラとか、
 あるいは、トイザらスなんて場所に見に行きたくなる。
 自分が作ったゲームのパッケージがどう並んでいるかなと。

 ぼくも教えてもらったわけではないですが、
 本能のように、ビックカメラに向かっていました。
 発売の2、3週間前。

 そこは、もうクリスマス一色で、
 クリスマスツリーも置いてあったりしました。
 クリスマスといえば、サンタさん。
 サンタさんといば、プレゼント。
 みんなお願いしたがっています。
 ビッグカメラの人は考えてました。
 「クリスマスツリーにお願いゴトをぶら下げよう」
 クリスマスツリーの側には、
 なぜか、短冊とペンがたくさん置いてあり、
 クリスマスツリーには、なぜか七夕のようにお願いゴトだらけ。
 やれ、おもちゃが欲しい、ゲームが欲しいと書いてます。

 その中に、書き慣れないガタガタの文字で、
 ぼくが作ったゲームの名前が書かれた短冊がありました。
 それも、結構たくさん。
 ぼくは、このためにゲームを作ってるんだと思って、
 ニヤニヤしちゃったのです。

覗いていただき、ありがとうございます。
クリスマスの短冊に、また書いてもらえるゲーム作りたいですね。

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